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いよいよ旅に出ます。これでタイトルに偽り……なくもないか。
大規模MMORPGにおけるGMとは、ゲーム運営会社側のサポートスタッフを指す。
彼らサポートスタッフはハラスメントやアカウントハックなどの違反行為を受けた場合の対処、BOT利用者のような利用規約違反の摘発、不具合によってゲームが進まない場合への対応、といったサポート業務を行い、また大抵はそのための権限を持っている。
そのGMと連絡を取る手段が「GMコール」なのだ。
しかし、集中すれば脳裏に浮かぶメニュー画面の中で、その「GMコール」のボタンは〈エルダー・テイル〉に酷似したこの異世界に転移させられて以降、ログアウトのボタンや時計と共に沈黙している。
「ウチ、天ノ橋立が見に行きとぉおすぇ!」
スズがそう思い至った背景にも、このGMコールが関係していた。
〈神聖皇国ウェストランデ〉の〈大地人〉貴族たちを招いた宴席の場で、スズは御座敷芸の一つとして都々逸を口遊みながら舞を披露した。
歌舞は〈娼姫〉のスキルである御座敷芸のレパートリーであったのに対し、都々逸は〈歌姫〉のスキルにある〈伝承記憶〉から引き出した歌詞であった。
拡張パック〈美姫の紅玉酒〉が適用された際に、音声メモの記録・再生という機能が追加された。
古参のRPGユーザーからは「おもいだす」と呼ばれたこの機能は、NPCの語る伝承を記憶し、好きな時に再生できるというモノで、〈歌姫〉〈小説家〉〈伝記作家〉といった伝承と関連深いサブ職業のスキルとして搭載され、各地に配された語り部NPCを辿るスタンプラリーめいたサブ職業関連クエストも実装された。
菘は、〈見習い徒弟〉となったスズシロの師匠として、長期休暇の度に一緒にウェストランデの語り部を訪ね歩いていた。そのため、スズシロのスキル記録にも、鈴名の記憶にも、訪ねたNPCの語った伝承は残っていたのだ。
「天に掛けたる梯子を昇り 姫に贈ろか恋文を 寝てる浮橋起こしてみれば 月の階手が届く~♪」
その内容は天に召された姫に恋文を送ろうとする騎士の物語であった。
宴席に招かれた貴族の中にエルフの歴史学者コクラ・レイジ博士が居た。
コクラ博士もまた、語り部の一人として配置されていたNPCの一人だったのだろう。
彼は、その物語が「浮橋を起こして梯子にすれば天に手紙が届く」という史実を下敷きにした伝承だと教えてくれた。
「この前の戦争でアルヴの国は軒並み滅んだ訳ですが・・・・」
「エルフの時間感覚に合わせて話をしないでいただきたい」
三百五十年前に終結した古のアルヴ族と他の人間種族との戦争を、つい最近のことのように話すコクラ博士と、定番の(なのだろう)茶々を入れる〈検非違使別当〉レインウォーター卿ではあったが。
やはり応仁の乱を「この間の戦争」と言ってしまえる京都者であるスズにとっては、なんとなく理解できる話だった。
(京都者とエルフって時間の観念が近いのやろか?)
ちょっとした共通点を見つけたスズは嬉しくなり、この若い外見とは裏腹に何百年もの齢を重ねてきた気難しい歴史学者の事を気に入り始めていた。
「ともあれ、王国を滅ぼされたアルヴの民たちは他の人間種族に隷属させられたのですが、僅かに残っていた王家の血統やカリスマを持つ個人などの元に密かに集結し、或いはバラバラに彼らは反旗を翻したのですな。その中に、後に〈六傾姫〉と呼ばれるようになる代表格の女性達がおりまして、その一人である姫君と、恋心を隠して彼女に仕える黒騎士とが、この物語の主人公なのですぞ」
〈娼姫〉として他の客の相手も卒なくこなしながらではあるものの、女子を歓ばせるようなコクラ博士の巧みな話術に惹き込まれ、〈歌姫〉のスキルによってその全てを完璧に記憶してしまっていたのだ。
と、いうわけで。
「〈神代〉の遺跡である浮橋〈ヘヴンブリッジ〉を起動させた黒騎士はんは、月に召されはったお姫さんに向けて手紙を射出することができましたんぇ」
濡羽を見送って家に戻ったスズは、その物語を、そして自分の思い付きを〈七草衆〉の仲間に語ってみた。
「ひょっとしたら、その浮橋を使うて、運営はんに連絡できひんやろか?」
「そんなら見に行ってみるっちゃ」
「フム。当たりを引く率は低いだろうけど、帰還できる可能性があるなら試ス価値は有るネ」
「私たちはスズさんば応援するから、思うごとやると良かよ」
スズの問いに、はこべは即座に頷き、五行娘々は思案の末に承諾し、その様子を見回して仏のザが柔らかく微笑む。
あっさりと同意を得られた事にスズは驚いたものだが、そんな彼女を尻目に三人の盛り上がりは、(驚嘆から復活したスズも含めて)やがて最高潮に達する。
思い立ったが吉日とばかりに、翌朝に〈ヘヴンブリッジ〉を目指して〈キョウの都〉を発つことに決め、宴席の後片付けを速攻で終わらせることにしたのだった。
翌朝、と言うには少々遅い時間。
もっとも、これも〈冒険者〉の感覚であり、朝の早い〈大地人〉にしてみれば、そろそろ一休憩を入れようかという時刻、現実の世界で言うなら午前九時頃に、彼女たちは〈キョウの都〉を出立した。
片付けと翌日の弁当の仕込みに思いの外時間がかかったこと、テンションが上がり過ぎてパジャマパーティから枕投げにまで移行したこと、そして前日までの宴席の準備で皆に披露が溜まっていたことが原因となり、揃って寝過ごしたのだ。
そもそも彼女たちは、この旅程について深刻に考えては居なかった。
現実の地球では、京都~宮津間は自動車で二時間程度。
〈ハーフガイアプロジェクト〉によりすべての距離が半分になっている〈エルダー・テイル〉の世界では一時間もあればたどり着ける距離。
自動車も電車も無いとはいえ、馬をとばせば夕方くらいには着くだろう。
そう考えてしまうのも無理のないことではあるだろうが、彼女たちの現実はそこまで甘くはなかった。
四人は、〈キョウの都〉を東西に貫くゴジョウ大路〉の西端から出発した。
この大路は現実の世界でも国道として使われている交通の要衝であり(その名に反して場所は六条なのだが)、この異世界に於いてはやや縮小されてはいるものの、市の度に都を訪れる〈大地人〉たちの入り口でもある。
四車線ほどの広い道を挟むように関が設けられ、槍を手にした〈大地人〉の兵士が番をしているのは、主に犯罪者の流入などを防ぐ目的からだ。
〈キョウの都〉は都市魔方陣による結界でモンスターの侵入を防いでいるし、〈冒険者〉の狼藉に対しては〈衛士〉が対応する。しかし、山賊などの〈大地人〉の犯罪者に対しては、同じ〈大地人〉の兵士が対応せざるを得ない。
当初、スズたちは、〈キョウの都〉の北から出発し、北上して海に着いたらそのまま海岸に沿って西に進むことを想定していた。
それが、スズの記憶にある最も鮮明な道程だったからだ。
しかし、都の北門が彼女たちのために開かれる事はなかった。
そもそも、〈キョウの都〉の北側には〈大地人〉が政治と軍事を行うための施設が集中して建造されており、北門はすべてその中核となる大内裏の敷地に築かれている。
〈イコマの街〉に実質的な権力の中枢が移動しているとは言え、遷都されている訳でもない現在、その大内裏に一介の〈冒険者〉が「ちょっと門を使わせてください」と入り込むのには、無理があったのだ。
現場責任者として応対する事になった〈左衛門尉〉ティム・ベラミーこそ迷惑な話であっただろう。
各自、召喚笛を使い、馬とアルパカをかけ合わせたような、全身からコレでもかと言わんばかりの違和感を醸し出す姿の騎乗生物〈ウマモドキ〉を呼び出し騎乗。
このアイテムは〈調教師〉や〈遊牧民〉といった生物を飼育・調教するサブ職業のスキルによって生み出されるもので、育てた生物の調教レベルが一定に達すると笛として所有権を移譲することができるようになる。
様々な生物に対応した笛が存在しており、笛のランクによって召喚可能時間も違うものの、ゲームだった頃には狩場への移動時間を短縮させるため、〈魔法の鞄〉と並んで中堅以上の〈冒険者〉ならひとつは持っていて然るべきアイテムだ。
四人とも、乗馬の経験は無かったが、〈冒険者〉の身体能力補正なのか、常歩で馬を進めることができたため、歩かせながら徐々に慣らしていくことにした。
「ところでスズ。こっちの道でも案内はできるネ?」
おっかなびっくり歩を進めるスズの横に青鹿毛のウマモドキを寄せて五行が訪ねる。
彼女の大きくスリットが入ったチャイナ服は馬上生活に合わせて生み出されただけあり、その動きを阻害しない。もっとも、本来は下にズボンを履く仕様なのだが、それは野暮と言うものだろう。
「あんまり自信は無いんやけど、出会ぅた人に道を聞きながら進んだら良ぇかな~て」
白スク水とセーラー服を組み合わせた衣装のスズの自信の無さが手綱ごしに伝わったのか、大柄な体格の月毛が不機嫌そうに鼻を鳴らして抗議し始める。
「そいやったら、あん棚田に〈大地人〉さんが居んしゃあ」
ゆっくりと後ろから付いてくるのは優しそうな面差しの芦毛に跨った仏のザで、パンジャビドレスを纏ったインドの女神にも似た姿の彼女が指差す先には山肌に沿って棚田が作られている。
「田植えしてるみたいっちゃね」
一人先行していたはこべが会話を聞きつけて戻ってくる。
立派なたてがみの尾花栗毛は元気者で、気分が高まっているのか、騎手と同様に旅立ってからずっと落ち着き無く走り回っており、はこべが羽織っている薄手の水干が風に捲れ、虎柄のビキニが風に晒されている。
四人と四頭が〈キョウの都〉を出てしばらくは、長閑な田園風景が続いていた。
この辺りは、〈神聖皇国ウェストランデ〉の騎士団による巡回が行われており、モンスターの出現頻度も低いため、農業が発展している。
田植えの時期なのだろう、周辺の農村部でも一家総出で田畑へ繰り出し、日に焼けた肌の老若男女がそろって腰を屈めて水を張った田に苗を植える、畦にはそんな大人の様子を見ながら弟の手を引き背中の赤子をあやす少女の子守姿、そんな光景が四人の目に入る。
寂れ始めているとは言え首都の住人を食べさせていくためには膨大な食料が必要になる。
その食料生産地の一つが、この田園地帯なのだ。
なお、都で定期的に市が開かれ、周辺の村から野菜や魚介が持ち込まれることも、その食料消費を支えている。
そういった市を目指す村人や、騎士団の巡回によって使用されるため、この辺りの街道は比較的整備されているのだ。
「これで金髪やなかったら古き日本ん田園風景っちゃけど」
仏のザが呟いたように、水田で泥だらけになりながら田植えをしている〈大地人〉の農夫たちは、みな一様に、〈エルダー・テイル〉の舞台である異世界〈セルデシア〉の住人に多い、明るい色の髪をしている。金髪や栗色、明るい茶色など、無論、黒髪が居ない訳では無いし、老人には白髪も多いわけだが。
「すんまへん。〈ヘヴンブリッジ〉まで行きたいんどすけど、こん道でよろしおすのんえ?」
そんな中、休憩時間なのだろう畦に腰を掛けて煙草を取り出していた農夫を見つけ、スズが下馬して声をかける。
五行、はこべ、仏のザと続いて馬から降り、それぞれに一礼。
声を掛けられた農夫は、そんな一同の姿に目を丸くしていたが、やがて
「いやぁ。すまねぇけど、オラは村の外に出たことねぇから、わかんねぇな」
心底済まなそうに後頭部を掻きながら答えるその農夫の姿に被さって、スズたちには彼のステータス画面が見える。
名前:ガウェイン
種族:ヒューマン 性別:男性
メイン職:農夫/5レベル
〈農夫〉は田畑で作物を育て、刈り取り、行商人に託すまでが役割。
モンスターの実在するこの世界で、職業というシステムに囚われた〈大地人〉達は、旅人でもなければ村の外に出ることが無いどころか、村外の事を知る必要すらほとんどないのだ。
その上・・・・
「いやぁ。それにしても、こっちの方に向かう旅人さんは、随分久しぶりに見るなぁ」
などと言われてしまう始末。
不案内な道程、道で出会った人に行き先を確認するという手段への期待も持てなくなり、更にこの道を使う旅人が少ないという話に、四人は不安そうな顔で互いを見つめる。
〈七草衆〉初めての旅は、その出々しから暗雲が立ち込め始めていた。