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メシテロが長引いていますが、もうちっとだけ続くんじゃよ
「天に掛けたる梯子を昇り 姫に贈ろか恋文を 寝てる浮橋起こしてみれば 月の階手が届く~♪」
自ら口遊む都々逸にあわせて典雅に舞う小柄な〈娼姫〉見習いに拍手を送りながら、検非違使別当ことヘンリー・レインウォーターは料理に舌鼓を打っていた。
(実に約得と言えましょう。未だ、太祖の約定などという黴の生えた掟に縛られている東の一族に生まれていたならば、このような愉しみすら知ることはできないのでしょうな)
既に、前菜八品に続いて真鯉の濃漿、鯛の子の昆布巻きに薄衣を着けて揚げた物、穴子の鳴門煮、鰊蕎麦、鰹の焼き皮に酢をかけた物、小鮎の甘露煮、鯛手毬寿司の柏葉包み、葉生姜の甘酢漬けと、やはり味わい深い料理が立て続けに振る舞われており、スズの奏でる三味線や小唄、洒落の利いた会話を肴にそれらの料理を楽しんでいたヘンリーら四人の〈大地人〉だったが、彼らもただ楽しむためだけにこの席に姿を現して居た訳では勿論ない。
(まぁ、働きによって栄華と栄達を得られる反面、煩わしい責任や人間関係も増える訳ですが、東の同型みたいに〈衛士〉をしていたとしても、仕事の煩わしさは然程変わらないでしょうしね)
貴族の社会で設けられるこういった宴は、公的な場では行えない私的な根回し、談合、情報収集や情報交換の場である。
すなわち、この宴席を設けた濡羽の意図を貴族的な観点から見た場合、
「弟子を預けますからお好きなように情報収集してください。ただし、情報料についてもしっかりと考えておいてくださいね」
と、こうなる。
ともあれ、その意図を汲み取れないようでは貴族は務まらないし、事実、彼らは情報収集に余念がなかった。
誰彼と無くスズシロに話しかけ、他愛もない世間話や軟派な口説き文句、立ち居振る舞いへの説教から苦労話への相談という体を装って、この半月程の〈冒険者〉の動向へと探りを入れたのである。
このスズシロという〈冒険者〉の娘は、濡羽からそう言い含められて演技しているのか、はたまた本当に知己が少ないのか、優秀な情報源と言うわけでもなかったが、それでも、〈ミナミの街〉の〈冒険者〉が徒党を組んでいるわけでも、〈神聖皇国〉に反旗を翻そうとしている訳でもないこと、また逆に〈冒険者〉が統制を失っており、〈大地人〉の依頼を受けられる状態に無いこともわかった。
(〈ミナミの街〉の〈衛士〉を掌握する禁軍の長への紹介状・・・・ですか。紹介した後のことは彼女の腕前次第ですし、この宴の報酬としては申し分ありませんね。それにしても、他の面々はどのような対価を要求されたのやら)
そして、彼らは情報交換にも余念がなかった。
このような宴席において〈娼姫〉の役割の一つが歌舞音曲である。
スズシロもまた、会話の合間に舞いや三味線などを披露し、客が退屈しないようにと務めていたのだが、〈娼姫〉の芸を楽しみ酒や料理に舌鼓を打つその時間こそが、交渉の本番なのだ。
「ほう、〈ヘヴンズブリッジ〉ですな」
先鞭をつけてスズシロの舞いを評価したのはレイジ・コクラ博士だ。
歴学の専門家であり、生き証人でもある長命種の彼にしてみれば、彼女が舞った演目について注釈をつけるのは造作も無いこと。
永き虜囚の立場を抜け出し、人の世に鉄槌を下そうと反撃の狼煙を上げたアルヴの姫君と、彼女を護らんと奮闘した護衛騎士。
されど力及ばず、呪いの言葉と共に姫は月へと召され、その魂を取り戻さんと護衛騎士は神代に作られた天へと至る塔を目指す。
その物語の結末は、護衛騎士が海に没する塔と運命を共にした所で終わっている。
「その塔が倒れた場所とされるのが、〈ランデ真領〉の北にある〈ヘヴンズブリッジ〉なのですよ」
どこか緊張したような表情で博士の説明に耳を傾けるスズシロ。
若い外見に似合わぬ豊富な知識、時にこうやって浪漫ある物語で娼姫の気を惹くのはコクラ博士の常套手段でもある。
歌の背景を知ることで、芸に深みが増すということもあって、コクラ博士の注釈は人気が高いのだ。
そうやって、コクラ博士がスズの気を惹いている隙に、ヘンリーは部下でもある左衛門尉のティム・ベラミーと防衛や警備について意見を交わす。
この宴席の中でスズシロから得られた情報は、禁軍の配置すら動かすだけの価値があった。
ハンドサインや表情、食事の作法などに隠された符丁を用い、意志の確認、伝達、情報の共有を行う。
一方で、得られる情報の重要性が増すにつれて表情が険しくなっていくのは若き大蔵卿である。
(これは余程の高額を吹っ掛けられたと見えますね。然程期待もしていなかった宴席でこれほどのサービスと情報の提供を受けて、どう断るか頭を抱えているといった処でしょうかな)
防衛や警察業務の関連で対立することもあるとは言え、同じ一族であるティムとは違い、おそらくは生粋の貴族であり、立場としても親しくない大蔵卿に対して同情する気は更々無いヘンリーだった。
そのように、ヘンリー達が〈冒険者〉に気取られぬように密談を交わしていた中、コクラ博士の薫陶を熱心に受けていたスズシロが不意に掌を耳に当て、へぇへぇ、と二言三言呟き始めた。
「急にどうしたのです? これが礼法の試験であれば減点モノですぞ」
熱弁を遮られた形になったコクラ博士が厳しく叱責し、スズシロは皆の視線を集めてしまうことになる。
「へぇ、御免しておくれやす。今、ゴギョウちゃん・・・・やのぉて厨師から連絡が入りましたんぇ」
〈冒険者〉の持つ〈念話〉の能力、離れた場所に居ながらにして言葉を伝える魔法の力、であると、まったく隠す素振りもなく柔らかな笑顔で告げられ、ヘンリーたち貴族は空恐ろしく感じたのだが、それに続く言葉は更に彼らを驚かせるものだった。
「次の会場の支度が整いましたよって、どうぞこちらにお越しやす」
案内された部屋へ入ったヘンリーたちの目を最初に惹きつけたのは大きな朱色の円卓であった。
その四方に置かれたスツールの前には、人数分の飲み物と取り皿が並べられている。
そして、通常ならば取り分けられて客に供されているべき料理の数々は、円卓の中央やや高い位置に組み込まれた回転盤の上に盛り付けられ、客を圧倒している。
「なるほど、これは豪華というか、なんというか」
ヘンリーが思わずといった形で口に出すのも仕方のない話。
極上鮑のクリームソース焼き、マヨネーズで和えた車海老の揚げ物、〈船喰鮫〉の鰭の姿煮、〈蜂蜜熊〉の掌の煮込み、揚げ鶏の甘酢餡掛け、子羊肉と甲魚と韮のスープ、麺、水餃子、春巻、肉饅頭、胡麻団子、瑞々しいフルーツと干し果物それぞれの盛り合わせ。
それら大皿や腕の中央に鎮座するは、燦然と輝く〈団栗瓜坊〉の黄金焼き。
前半の魚介類に比べると、特に肉系にモンスター素材が多く使われているのだが、これには〈キョウの都〉の立地条件が関係している。
〈キョウの都〉を中心とした〈ランデ真領〉内の街道は他の地方と比べてもしっかりと整備されており、領内の各所で採れた名産品を買い手の多い都まで運んできて売る行商人によって市が開かれる。
沿岸部で水揚げされた魚介類も新鮮なうちに市に並ぶことになるため、キョウ貴族にとって〈ヤマト海〉の味覚は慣れ親しんだものとなるのだ。
その一方で、禽獣は育てるのに時間がかかるため、滅多なことでは潰して肉にしないし、精肉用の家畜を飼うというのもコストに見合うだけの需要が見込めない。
〈狩人〉が山野を駆け巡って獲ってくる肉も彼らの住む村で消費されるのが通常であり、〈貴族〉が園遊会などの一環として行う狩りの獲物も、その会食に供される。
例外なのが羊肉で、家畜を連れて旅をする〈遊牧民〉が立ち寄った市では新鮮な羊肉が露店に並ぶことになるのだ。
「ふぅん。これが控えてたから、前半のメニューは量が抑えめだった訳か」
大蔵卿の言により、ヘンリーたちは我に返る。
一皿一皿の量が一般的な宴席料理と同じくらいだったなら、胃腸の弱い人だと見ただけで胸焼けがしてもおかしくはないこの光景である。
知らず、彼らは目を奪われ、言葉を失っていたのだ。
「なるほど。確かに、まだまだ食欲は衰えておりませんな」
軍人らしい健啖さを表すティム・ベラミー。
初体験となる味わい深い料理の数々であったがため、その少なさに物足りなさを感じていた彼らであったが、その物足りなさもまた、この段階に持ち込むための、すなわち、食欲増進のためのギミックだったのだろう。
「どうやら、事この段階に至っては、私が言うべきことは無いようですね」
半ば諦めたように溜息をつくのはコクラ博士だ。
上座も下座もない円卓、大皿から各自で取り分けることを想定された食器の配置、作法の知識に通じた彼は、そういったものから判断したのだろう。
この席に、彼の知る作法は通用しないのだということを、だ。
「それで、スズシロ嬢。これはなんと言うものなのですか?」
ヘンリーの問いは、四人に共通した疑問だった。
彼らの視線が集中する先で、問われたスズシロはゆっくりとその小さな唇を開き、答えを告げる。
「皆様おまっとうさん。これが五行娘々アレンジ、〈満漢全席〉の全貌ですぇ」