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どうやら口上と食前酒に続いて前菜も合格点をもらえたらしい、と内心で胸を撫で下ろす。
それぞれ気に入った小鉢を手に眺め、味を楽しみ、酌をして回るスズとの会話も弾ませる来客たちを一望できる壁際に、彼らをもてなす為に活けられた生花に姿を潜ませているのは、五行の召還した〈森の精霊〉だ。
自然の環境下、特に森の中での活動を補助する能力を持ったこの精霊の目を使い、召還した従者に術者の精神を宿らせる特技〈幻獣憑依〉の効果を受けた五行は、来客たちの反応を窺っていた。
あとは温めるばかりとなった椀物の火加減を仏のザに委ね、五行が来客の様子を見ているのは、その健康状態を見極めるためだ。
それには相手を直に見るのが一番であり、顔色や歩く姿勢、座り方などから推し量れる情報は多い。
また、今回用意した前菜八皿は冷製と温製を四種ずつそれぞれ異なる味付けのものを選んである。
人の身体というものは、どこに不調を抱えているかによって自然と求める味が変わるもので、この前菜には、相手の食べ方からその体調や好みを読み取るための仕掛けが施してあった。
背筋を伸ばした姿勢を崩す事なく、完璧なテーブルマナーで「炙り蛸と長芋の豆乳寄せ」を口に運んでいるのはエルフの〈伝記作家〉だ。
今回の依頼人である濡羽から貰った資料によると、名前はレイジ・コクラ。
〈神聖皇国ウェストランデ〉の内裏で歴史書編纂の職についており、貴族たちに暦学を教える教授でもあるという。
だとすれば、長時間を机の前で過ごしているのだろうとあたりを付けていたのだが案の定、豆乳寄せに添えられていた梅肉の餡をこれでもかと言うほど乗せ、それを平然と口に運んでいる。
腎臓の悪い人は身体が塩辛い味を求めるようになるのだ。
そういうときには甘味を控え、鹹味……つまり塩気のあるものを摂取するのが身体には良い。
同様に、甘めに味付けをしたワカメと筍の茶巾玉子豆腐に感嘆の声を挙げているヘンリー・レインウォーターは警察と警備の責任者として連日の会食で胃を弱らせているし、レモン酢を絞ったさよりの三種盛りに舌鼓を打つティム・ベラミーはここ数日間の緊迫した警備業務からか深酒で肝臓を痛めている。
来客の健康情報を一通り集めた五行は、最後にスズの様子を確認する。
〈大地人〉貴族の礼法については彼女の持つ〈娼姫〉の特技で自動補正が入るらしく、立ち居振る舞いも堂に入ったもの。
そもそも鈴名が生まれ育ったのは政府高官や財界の要人も利用する京都の老舗高級料亭で、今でも里帰りの際には仲居のアルバイトをこなしている。
それだけでなく、普段の彼女は大型百貨店のサービスカウンターに勤務している。
ともあれ、彼女にとって接客はむしろ本分。得意分野なのだ。
どうやら会場の方には問題が無い様だと判断し、〈幻獣憑依〉を解いて〈森の精霊〉から自分の身体に意識を戻した途端、五行はむせ返るような熱気に包まれる。
「仏のザちゃん。五行ちゃんが目ぇ覚ましたっちゃよー」
だだっ広い厨房の奥に設置された巨大な樽の前で両手を掲げていたはこべが目敏く気づく。
来客を宴会場まで案内する役目を終えた彼女は、虎皮ビキニ鎧という軽装に着替えている。平生は上から羽織っていた水干も椅子の背に無造作に掛けられており、玉の汗が肌を流れるようすがよく分かる。
この女子高生が樽に向かって気合いを込めて行っているのは醤油の醸造だ。
彼女が就いているサブ職業〈醸造職人〉は、〈酪農家〉などと共に発酵食品を製造する専門職として、その生産に便利な特技を有している。
〈大地の魔力〉を材料に注ぎ込んで発酵速度を早める〈発酵促進〉もその一つで、今日の食前酒や料理に使った塩辛もこの一週間の彼女の努力によるものだ。
どういう訳か、店売りの食品系アイテムはろくに味がしなかったため、ほとんどの食材を手作りしなくてはならなくなった。
この世界の細菌事情がどのようになっているかは不明だが、発酵によって武器や防具まで作れてしまう事を思うと、この件を深く考える気にはならない。
ともあれ、本来であれば数ヶ月から年単位の時間を必要とする発酵食品のこと、彼女のこの特技が無ければ、一週間という期限で酒類や醤油など用意することはできなかっただろう。
もっとも、未成年を監督する立場から、味見は他の三人が担当していたが。
「お帰りね五行さん。お客さんの様子はどうやったと?」
竈に向かって鍋の灰汁取りをしていた仏の座も、振り返ることなく御形に応対する。
薪を焚べた竈と大鍋から湧き上がる蒸気が、今日のためギルドハウス内に特設したこの厨房の中をサウナのように加熱する中、涼し気な表情の彼女の姿は、はこべと対照的だ。
フードプロセッサも、ミキサーも、湯沸し器も、ガスコンロすらないこの世界では、料理の下ごしらえ、竈の火の番といった肉体労働の比率が高く、この饗応の献立に心を砕く五行に代わり、仏のザはそういったサポートをそつなくこなしていた。
「無問題ヨ。スズの接客も十全ネ」
しかし、この場合は無問題であることが問題であった。
普段から五行が使っていた手法、「相手を観て体調を看破し、それに応じたアレンジを加える事で回復させる」という〈医食同源〉の調理法。
これが通用するということは、つまり相手が決められたルーチンで動くデータの塊ではなく、血肉の通った人間であるということだ。
気を静めるべく、鍋の出汁をお玉で掬い小皿に移して一口、味を確かめる。
「ん~、絶品ネ。後は味噌を溶いて個別に薬味を加えればマゴイの濃漿が完成ヨ……仏のザに多謝」
仏のザは割り振られた仕事を完璧にこなしている。
となれば、次は自分が腹を括る番だと覚悟を決めた。
「不要 謝。やっぱり、スズさんの言うてた通りやったねぇ」
彼女の言う通り、その事に最初に気づいたのはスズだった。
濡羽からの依頼を受けた翌日の早朝、スズと五行は連れ立って〈キョウの都〉の朝市に出掛けていた。
そこに住む貴族やその生活を支える商人に職人、都には彼らが生み出す巨大な需要があり、それを狙って近隣の農村や漁村に住む村人たちが収穫物を持って集まる。
そのような人達が露天を広げるため、早朝の一時期にメインストリートである〈ミヤコ大路〉は巨大な市場と化すのだ。
二人の目的は宴席で使う食材の調達だった。
実際に調理を行う五行は兎も角として、スズが同行したのは経費節減のためだ。
スズが取得した〈娼姫〉の特技には一定額以上の買い物をした時に、その購入額を引き下げるという効果をもつものがある。
そのため、スズはギルドの予算と濡羽からの前金を預かって五行に着いてきたのだ。
店頭の食材は、新鮮なものも腐りかけたものも疵のあるものもないものも一緒くたに並べられており、一律でいくらといった感じに投げ売られていたため、予算の方はスズに任せて五行は商品の目利きに集中していた。
そうしてふと気づくと、スズが品物を手に露天の主と激しく(?)言い争っていたのだ。
「せやかて、こんな疵物やのにお値段同じいうんがおかしんと違いますのん?」
「疵があろうがなかろうが、芋は芋だ。何にも違いなんかあるもんか! 買いたくなけりゃ買うな!」
値切り、もしくは値引交渉という戦いであった。
これが〈娼姫〉の特技効果なのか、いや違うだろ、と瞬間思ったものの、どうやらスズは疵物が通常価格で売られている事に憤ったらしい。
身近に田畑が少なく、スーパー等で粒揃いの野菜や果物しか見ていない都会育ちの日本人らしさと五行は受け止めたが、そもそも都会育ちの日本人は値引交渉など滅多にしないものだ。
これは祖母譲りの関西人の血のなせる業である。
その帰り道のこと。
「ちょっと頭に血ぃ昇り過ぎたみたいやわ。あんじょう堪忍しておくれやす」
恐縮するスズに五行はあえて皮肉の篭った言葉をかける。
「よくもまあ良い年した大人が〈大地人〉を相手に本気で言い争えるものネ」
多分に辛辣な物言いは伝わったようで、スズも落ち着きを取り戻した。
「けど、そやねぇ。NPCやったんやねぇ、あの人。ウチらと常識とか全然違うんやけど、喋ったり怒ったりしてるの見てたら、普通に人なんとちゃうかなて想いましたぇ」
その言葉をヒントに献立を練り直してきたのだが、その思惑が的中してみると、やはり不安がある。
自分たちが閉じ込められたこの世界は〈エルダー・テイル〉ではないのだろうか、ゲームの世界に酷似した異世界がたまたま存在する、などという絵空事は信じがたいが、その確率も零ではない。
「どうであったとしても、ここがゲーム世界ってタカを括る訳にはいかないって事ネ」
仏のザやはこべにも聞こえるよう自戒する。
今や、五行の脳裏にあるのは濡羽からの依頼を果たすというだけではない。
文化や常識の異なる〈大地人〉の貴族に、彼女の料理を認めさせる、そういう戦いなのだ。
「此処までは〈大地人〉の流儀に合わせて来たけど、此処からは本気を出させて貰うネ。五行娘々の満漢全席を御覧じろ、ヨ!」