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スズナ=スズシロ ~京から始まる帰還の旅~  作者: 大きな愚
1:六畳間から始まる〈大災害〉
1/66

1-1

 カチャカチャ、カチャ、カチャカチャ・・・・


 断続的に聴こえてくる耳障りな音に鈴名(すずな)が目覚めると、最初に目に入ってきたのはまるで見覚えの無い天井だった。

 G・W(ゴールデン・ウィーク)に入ってからというもの、京都にある母親の実家で寝起きをしているため、最近また見慣れるようになった従姉の部屋の天井とも違う。


 カチャカチャ、カチャ、カチャカチャ・・・・


 (ここ何処なん?)


 記憶に照らし合わせて天井に見覚えが無いことを確認した鈴名は、先刻から聴こえてくる音の出所を探そうと、仰向けに寝転んだ姿勢のまま首を巡らせる。

 厳しい祖母に鍛えられた鈴名の感覚ではおそらく畳敷きの六畳間。上がり(かまち)に木戸と、その対面に腰高の窓、床の間と押入れもあるようだ。

 そして・・・・


 (あ、誰か居てはる・・・あの格好、コスプレやろか、よう出来てはるなぁ)


 視線の終点では、そろそろ青年期に移行しようかという年頃の少年が一人、非常に焦った様子で全身に纏った甲冑の腰パーツを外そうと悪戦苦闘を重ねていた。

 その甲冑は金属光沢を放っており、鈴名が見た範囲では着脱のための金具などは見当たらない。


 カチャカチャ、カチャ、カチャカチャ・・・・


 (なんや、えらい焦ってはるなぁ。トイレ近いんかしら)


 鈴名が静かに見守る前で悪戦苦闘を続けるうち、自棄になったのか少年はもんどりうって倒れてしまった。


 「うわぁっ!!」

 ゴワッシャーン!!


 凄まじい音と共に何故か顔面から落下した少年だが、怪我した様子もなく平然と起き上がってくる。

 座り込んだまましばらく呆然としていた彼が、不意に右手を持ち上げルーン文字でも宙に描くかのように人差し指を動かすと、それまで何をどうしても外れなかった鎧が魔法のように消え失せた。

 ただし、腰を覆う装甲だけ、インナーごと、である。

 それまで、首から上と二の腕くらいしか露出面積が無かったところから、腰部、より正確に言えば、下腹部から太腿の半ばにかけてが大気に晒された。

 同時に鈴名の視線にも晒されることになる。


 「きゃあっ!」


 仰向けに寝転がったままの姿勢で首だけ傾けてその様子を見ていた鈴名の視界に、二重に情けない格好で座り込んだ、どうやら下着を穿いていなかった少年の真っ白な尻が飛び込んでくる。

 更に情けない話で、二十代も半ばを過ぎるというのにろくに男性経験のない鈴名としても、その光景は刺激的に過ぎて、思わず声をあげてしまう。


 「うわぁっ!」


 少年は少年で、そのような姿を晒したタイミングでかけられた声に驚き、思わず振り返りながら立ち上がってしまう。

 そして、彼の股間にボロンとぶら下がる逸物。


 「きゃぁぁぁぁぁぁぁあっ!!」


 六畳間に鈴名の絶叫が轟いた。


 「ホァタァーーーッ!」

 バッコーン!


 外側からの圧力で木戸が粉砕される。引き戸だったそれは中央部から圧し折れ、木屑を撒き散らしながら部屋の中へと吹っ飛んでくる。

 驚愕に目を見開きながらもなんとか身をかわした少年の顎に、続いて飛んできた爪先がヒットする。激しく脳を揺さぶられぐらりと傾く少年の身体。

 襲撃者は空中で一回転して体勢を整えると、少年の剥き出しになった弱点(ウィークポイント)を蹴り上げる。


 「お、ご・・・・」


 鈴名の脳内に、仏壇で鈴棒(リンばち)が奏でるチーンという幻音が響き、的確(ピンポイント)に防護の薄い箇所を痛打された少年は、意識を失って倒れ伏した。

 「ちょお、何すんの!」

 鈴名は襲撃者に向き直り、非難の声をあげる。

 扉を蹴破って室内に飛び込んで来たのは、目にも鮮やかな山吹色の運動着(トラックスーツ)を着込んだ十歳前後に見える少年だ。

 短髪は炎のように紅く眉は太く、倒れた鎧の少年を見据える鋭い視線と相まってどこか不適な凛々しさを感じさせる。

 ただし、その表情を鈴名が見たのは、ほんの数瞬だった。

 くるりと鈴名の方を向いた赤髪の少年は、厳しかったその表情を和らげる。

 にへら、とでも形容したくなるような笑顔、そして、胸の辺りで何かを持ち上げるような仕草から、親指を立てて頷く。

 それは肯定の合図(サイン)


 むにゅ。

 「むにゅ?」


 思わず彼の動きをトレースした鈴名は持ち上げる形になった掌に違和感を感じ、己の身体を見下ろす。

 鈴名が驚いた点は二つ、一つは彼女自身の服装だ。

 胴は旧式のスクール水着に似た形の白いレオタード、足はピンク色のオーバーニーソックスを太腿の半ばにフリルのついた甘ロリのガーターリングで止め、腕も二の腕まである白の長手袋、そして上半身には両肩に装甲の付いた丈の短い桃色のセーラー服。

 気絶している鎧の少年に対してコスプレみたいと思った事を反省する。現実離れしているという意味では鈴名の格好も大差なかったのだ。

 むしろ、より際どくキャッチーな装いである。


 そしてもう一つ、上半身、正確には肩から胸を覆うだろうデザインのセーラー服は裾が上に捲られており、その下のレオタードは伸縮率が高いのだろうか、胸の部分の生地が中央に寄ってしまっている。

 下着は付けておらず、鈴名のコンプレックスでもある豊かな双丘が晒しだされていた。

 やはりこれも、鎧の少年の醜態は他人事ではなかったのだ。両手で持ち上げたことでむにゅりと形を変える柔らかな肉。

 滑らかな肌の感触とその肉の弾力はこれが夢ではないと無意識に語りかけている。


 (な、なんやのん、これぇ。胸がぱんぱかぱーんって)


 混乱した頭で助けを求めようと左右に視線を走らせるが、部屋に居るのは股間を丸出しにして倒れている鎧の少年と、それを蹴り倒した赤髪の少年だけ。

 その光景に鈴名は、今更ながら身に降りかかりかけていた危険に気付いたのだ。


 「いややぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 慌てて生地を引っ張り寄せて(さら)けた胸を隠そうとしながら悲鳴を上げる鈴名を他所に、涼やかな声が六畳間に響く。


 「弟々(ディディ)、オマエ何してるネ? とっとと送還されるヨ」

 「アチョォ~」


 赤髪の少年は親指を立てる仕草(サムズアップ)のまま、スゥっと薄れて消えてしまい、代わりに入室してきた女性は、鈴名にとってようやくといえる、見覚えのある声と姿の持ち主だった。

 長い銀色の髪を編んで左右に結い上げ、身に纏うのは長い裾に深くスリットの入った真珠色のチャイナドレス。

 紫色のレンズが嵌った色眼鏡越しに金色の瞳が見下ろしてくる。


 「五行(ごぎょう)ちゃん!」


 五行は鈴名にとっては六年も前に袂を分かった友人ではあったが、この訳の分からない状況で初めて見つけた知己である。

 呼びかけるも、そこから後が続かない。

 ここは何処なのか、何故こんな格好をしているのか、そもそもこれは夢なのか、現実なのか、倒れている鎧の少年は誰なのか、さっき消えた赤髪の少年は誰なのか、そして五行の外見が彼女に見覚えがあるのは何故なのか。

 この六年間、彼女は何をしていたのか。

 聞きたいことは幾つもあった。


 「久し振りやね、五行ちゃん」


 だが、その言葉が口を突いて出てきたのは、彼女に対する感情が懐かしさのみであり、遺恨や慙愧といったものがわだかまっていなかったからだろう。

 鈴名の素直な再会の挨拶に対し、五行と呼ばれた彼女の返答は、


 「その口調にそのおっぱい、ひょっとして鈴名ネ?」


 との確認だった。


 「え? そうえ、ウチは鈴名やよ?」


 何故そんな事を問うのか、確かにオフラインで出会ったことは数度しかないが、何も胸のサイズで判断する事はないだろうと不満に思う。

 そんな鈴名の内心も知らず五行は口下に手を当てて何事か思考に没頭し始める。


 「フム、つまりスズシロの中身は鈴代ではなく鈴名ネ、これは少々面倒な事になったかもしれないヨ」


 その五行の言葉に驚いた鈴名は、慌てて身体を起こす。

 とは言え、仰向けに寝そべったまま首だけで横を向き、そのまま胸を支えるように抱えていた。

 そんな姿勢の悪さに加えて、全身のバランスがいつもと違ったのだ。頭が振り子のように振り回され、重心を崩した鈴名は見事にひっくり返った。


 「あいたた~」


 額を押さえて起き上がる鈴名の眼前に、白い文字の並んだ黒い板が浮かんでいた。

 それは鈴名にとって見慣れた書式、そして見慣れない内容を伴っていた。


 名前:スズシロ

 種族:ドワーフ 性別:女性 所属ギルド:なし

 メイン職:暗殺者(アサシン)/レベル90 サブ職:見習い徒弟(アプレンティス)/レベル45


 それは鈴名がこの七年の歳月を捧げてきた老舗MMORPG〈エルダー・テイル〉の冒険者(キャラクター)がもつステータス画面。

 だがしかし

 それは鈴名がこの七年、愛着を持って育ててきた分身(アバター)のステータス画面であれば、こうなっている筈だ。


 名前:(すずな)

 種族:狐尾族 性別:女性 所属ギルド:西風の旅団

 メイン職:吟遊詩人(バード)/90レベル サブ職:歌姫/90レベル


 だが、目の前にあるのは従姉の鈴代(すずよ)が使っていた分身のもつステータス画面。

 そのことが徐々に鈴名の脳に染み渡って行き、彼女は唐突に理解した。

 彼女は、従姉のキャラクターの分身の姿で、〈エルダー・テイル〉の世界に入り込んでしまったのだと。


 「えええええええええええええええええええええええっ!?」


 度重なる驚きの連続、精神に負荷がかかり過ぎたためか、それとも知人が傍にいる安心感からか、鈴名は敢え無くその意識を手放したのだった。

 これが、彼女にとっての、後に〈大災害〉と呼ばれるようになるその日の出来事であった。


 なお、せめて放り出した乳を仕舞ってから気絶すべきだったと後悔したのは、彼女が意識を取り戻した後でのことになる。


2016/4/4:加筆修正しました。

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