四章十五話目
ぎこちない言葉ながらもそれを聞いてレインが目を開けると、目の前には頭を下げた姿勢の弟がいた。
「へ?」
頭を腕で覆い、身構えていたレインは、呆気に取られる。
「あんたが姉さんを助けてくれたんだろう? あいつらが僕を目の敵にしていたことには気付いていた。でも、まさか姉さんにまで手を出すことは、少しは予想していた。だからあいつらの動きには注意していたつもりだったけれど。でもまさかあいつらがこんなことを仕出かすとは、思ってもいなかった。あんたがいなかったら、姉さんも何をされていたかわからない」
弟は姉をこんな目に合せてしまったことを自分の失態だと考えているようだった。
心底悔しそうな顔をしている。
ミゲロとウルベールに殴られたところが痛むレインは、頬をさすりながら答える。
「そ、そんな大したことじゃないよ。僕もミゲロとウルベールのことは嫌いだったし。正直に言うと、僕がスミルノフ君に謝らないといけないくらいだよ」
レインの言葉を聞いた弟は、驚いた様子で顔を上げる。
「謝る? なぜ?」
弟は怪訝な顔をする。
レインは照れくさそうに頭をかく。
「だ、だってさ、本当はあの二人にスミルノフ君が目を付けられた時に止めに入れれば良かったんだけどさ。僕も意気地なしだから、割って入ることが出来なかった。二人に一方的に言われているのを、黙って見ていることしか出来なかったんだ。本当にごめん」
今度はレインの方が頭を下げる。
「レインさん」
そばで見ていた姉が心配そうにレインを見ている。
「そ、それでしたら、わたしだってシェスの忠告を聞かず、一人で帰ろうとしたから悪いのです。責めるなら、レインさん一人でなく、わたしも」
姉はレインをかばうように弟との間に割って入る。
「シェス、わたしにも非はあります。わたしもあなたの忠告を無視して、こんなことに巻き込まれてしまって、あなたに謝る言葉もないわ。本当にごめんなさい」
姉は弟に申し訳なさそうに弁解する。
黙って二人の言い分を聞いていた弟は、呆れたように肩をすくめる。
「姉さんもあんたも、何を言い出すかと思えばそんなことか。論点がずれてきているようだから言うけど、そもそもの元凶は、あの豚と筋肉馬鹿のせいだから。あいつらにすべての原因があると言うことをお忘れなく。姉さんもあんたも何をそろって謝っているんだか」
溜息一つ、涼しい顔で弟が手を動かすと、少し離れた場所でワイヤーにぐるぐる巻きになっている二人から悲鳴が上がる。
「ぎゃっ!」「うぐっ!」
恐らく弟が手元にあるワイヤーを締め上げたのだろう。二人は苦しそうにもがいている。
それを見ていたレインの顔から血の気が引く。
――け、剣術部って、ナイフの扱いだけでなく、ワイヤーとかの使い方も教えるのかな? ぼ、僕も護身のために習っておいた方がいいのかな?
弟の容赦のなさに震えながら、弟を怒らせた相手が自分じゃなくて良かったと、レインは心の底から考えた。
「弟君、後のことは、君たちに任せてしまってもいいかな」
それまで黙っていたアンリが弟に話しかける。
弟はうなずく。
「わかりました。イヴン先生への報告は僕がしておきます。事後処理は任せてください」
「そうしてくれるとありがたいわ」
アンリとベアトリクスは倉庫の暗がりへと歩いていく。
正座した若者たちを見回す。
「あなたたちも、もうこんなことはしてはいけませんよ? 心を入れ替えて、真面目に学校に通うのよ?」
ベアトリクスに声をかけられ、若者たちはそろって返事をする。
「はい、姐さん。もう、こんなことはしません」
「そう、それならよかったわ。でも、また同じことをするようなことがあれば、今度は容赦はしないからね」
「はい、二度とこんなことはしません!」
若者たちの言葉に満足したのか、ベアトリクスは悠然と微笑み、アンリの後についていく。
現れた時と同じように、二人は忽然と姿を消した。後にはレインたちが残された。
「シェス、あ、あの、今回のことは、ごめんなさい」
二人が姿を消し、静まり返った倉庫で、姉が遠慮がちに話しかける。
弟は眉を寄せ、不機嫌そうに振り返る。
「もういいよ。今回のことは、僕が上手く立ち回れなかったのにも原因はあるから。姉さんは悪くない」
その言葉を聞いて、姉はうれしそうに笑う。
安堵したように胸に手を置く。
「ありがとう、シェス。あなたに迷惑をかけてばかりで、本当に申し訳ないわ」
弟は照れくさそうに首の後ろをかく。
「べ、別に、迷惑だなんて、思ってないけど」
姉は明るい声で続ける。
「これからは、もっと周囲に用心しないといけないわね。あなたの剣術部の先輩であるヨウタさんたちにも相談して、自分の身を守る術を教えてもらわないといけないわね」
その名前を聞いた途端、弟の顔が不機嫌に歪む。
「あいつに?」
吐き捨てるようにつぶやく
レインは弟の周囲の空気がとげとげしいものになるのに気が付いたが、姉は気が付かないようだった。
「あなたがお世話になっているあいさつもかねて、コンクールが終わったらまた剣術部にお礼をしに行かないといけないわね。しばらく顔を出していないけれど、皆さん元気にしているかしら?」
弟は見るからに不服そうにそっぽを向く。
「あぁ、主将のあいつはこっちが神経を疑うくらい元気だよ。この寒空の下、修行とか言って滝に打たれているくらいだからね」
「まあ」
姉は驚いたように口に手を当てる。
レインは耳を疑った。
――滝に打たれるって、あの鈴牙国の修行者がやる、滝修行のこと?
そんな変わった修業が、他の国でもやられているのかは不明だったが、レインは弟の所属する剣術部に興味を持った。
そろそろと手を上げる。
「ね、ねえ、スミルノフ君。僕も、また剣術部に見学に行っても、いいかな?」
レインの提案に、弟は険しい目でにらむ。
「勝手にすればいいだろ?」
やや怒った口調で返す。
「ちょっとシェス、何を怒っているのですか? レインさんに失礼ですよ。何か言いたいことがあるのなら、わたしに行って下さい」
弟が怒っているのに気付いた姉は、レインに対する態度をたしなめる。
「別に怒ってないよ。確かに姉さんに言いたことは山ほどあるけれど、まずはこいつらを学校側に突き出す方が先だろう?」
弟は手に持ったワイヤーを手繰り寄せ、静かになったミゲロとウルベールの方へと歩いていく。
「おい、起きろ」
弟は二人を乱暴に蹴る。
「う、ううん?」
目を覚ました二人は、怒りの表情で仁王立ちする弟の姿を見て硬直する。
「お前たち、もしまた姉さんに手を出すようなことがあったら、今度こそ殺すからな」
地の底に響くような低い声で、冗談とも本気とも取れない脅しを言う。




