二章二十五話目
レインは眉を寄せる。
アンリの素性は話してはいけないことではないのか。
それともそれくらいなら話していいことなのか。
――それは、娘であるリシェンさんを捨てて、ということですか?
もう少しで口から出るところだった。
レインは口を手で押さえ、言葉を飲み込む。
慌てて言い直す。
「それは、故郷にいるアンリさんの家族を捨てて、ということですか?」
向かいに座るアンリを見据える。
「んー」
アンリは背もたれにもたれ、大きく伸びをしている。
何でもないことのように話す。
「竜の民として生まれ、竜に選ばれたからには、おれが仕事を優先させることは、家族も十分に承知している。家族にも多少寂しい思いをさせるだろうが、それも仕方ないことだ。大樹ラスティエの啓示を受けた時から、おれもそれを十分覚悟していた」
「啓示?」
その言葉にひっかかりを覚え、レインは聞き返す。
「そう、ラスティエの啓示だ。君もリタ・ミラの種を持っていて、それが芽吹いているのなら、もう夢で大樹ラスティエに出会ったはずだ。最近見た夢で、とんでもなく大きな樹の下で、誰かと出会わなかったかい? 本来ならば、その人物が君の守り手になるはずなんだけど」
アンリは言いよどむ。
レインに意味ありげな視線を向ける。
「まあ、誰が君の守り手になったのか、大体想像は付くけどね。娘も自分の竜を持つことを夢に、小さい頃から努力していたからね」
「なっ」
レインは言葉を失う。
見る見る顔が真っ赤になっていく。
「おれが君の守り手になるよりは、かえって良かったんじゃないかな? 年齢も同じくらいだし。おれが言うのもなんだけど、娘は妻に似て、村一番の美人だからねえ」
アンリはからかうように笑う。
レインは顔を赤くして口ごもる。
「べ、べ、別に、僕は、守り手がアンリさんでも、彼女でも、どっちでも」
「またまた、冗談を。君も健全な高校生なら、こんなおっさんよりも、美人な女の子がそばにいてくれた方がうれしいだろう? これからリタ・ミラの種が成長するまでの十年近く、一緒に過ごすことになるんだよ? これからバラ色の高校生活が待っているかもしれないんだよ? おれが若くて妻がいなけりゃ、迷わず女の子の守り手を選ぶね」
アンリは身を乗り出して、レインの青い瞳をのぞきこむ。
「そ、それは」
レインは返答に詰まる。
視線をさまとわせ、別の話題を探す。
「と、ところで、アンリさんも啓示を受けたということは、もう誰かの守り手なんですよね? 今日はその人とは一緒じゃないんですか?」
わざとらしくならないように尋ねる。
「あぁ」
アンリは少し困った顔をする。
馬車から見える田園風景に目をうつす。
どこか遠くを眺めるように深緑の瞳を細める。
「おれが啓示を受けた相手、ルーカスは、死んだよ」
ごとんと馬車の車輪が何かに乗り上げ揺れる。
レインは背もたれに倒れる。
「通っている学校の校舎から飛び降り、おれの目の前で自殺したんだ」
アンリは淡々と語る。
レインは今更ながらそれが聞いてはいけないことだと悟った。
「すみません」
レインはうなだれる。
罪悪感の気持ちがレインの胸の中に生まれる。
アンリは驚いた様子でレインを見つめる。
「どうして、君が謝るんだい?」
不思議そうに聞いてくる。
レインは膝に置いた手に力を込める。
顔を上げ、真剣なまなざしでアンリを見つめる。
「だって、それはアンリさんにとって、思い出すのも辛いことでは、ないのですか?」
アンリは困ったように笑う。いや、笑おうとして、失敗した。
「おれは大人だからね。人の生き死にで、君ほど心を動かされることはないんだよ」
レインは青い瞳でじっとアンリを見つめている。
アンリよりもレインの方が落ち込み、暗い顔をしている。
「まいったなあ」
アンリはこまったように頭をかく。
おもむろに振り返り、一段高い御者台に座る男に声をかける。
「ユキエばあさんの店に着くには、まだ時間がかかりそうかい?」
レインとアンリの話をまるっきり聞いていない様子の男は、陽気な声で答える。