二章二十四話目
「どうりで飛行の法術を長時間使っていても、疲れないわけだ。しかもその種は、もう芽吹いているようだね」
アンリの率直な物言いに、レインは青い目を丸くする。
「え、ええと」
とっさのことに頭が回らない。
「め、芽吹いているって」
レインがこわごわ尋ねると、短い返事が返ってくる。
「そのままの意味さ」
アンリは頬杖をついて、レインを興味深そうに見つめている。
「変な声が聞こえてきたことはなかったかい? 直接頭に声が響いてくるような。つい最近、そんなことはなかったかい?」
「そう言えば」
レインは列車での出来事を思い出す。
あの時、自分に語りかけてくる不思議な声があったような気がする。
その声はレインに、アンリの乗る竜が助けたいのかと、尋ねてきた。
レインはその声に同調し、アンリのところまで空を飛んで行くことになる。
あの声が何だったのか、レインはいまだわからない。
「アンリさんと出会う前に、不思議な声を聞きました。あの声は、いったい何なんですか? アンリさんは、その声の正体を知っているのですか?」
するとアンリは声を立てて笑う。
「ははは、やっぱり。普通の高校生が、あんな強力な法術の力、持ってるわけないよな。ナルダのように、生まれつき法術を扱える八神徒じゃあるまいし」
ラスティエ教の聖典にある聖人の名前を出され、レインは眉をひそめる。
「どういうことですか?」
レインが尋ねると、アンリは笑いながら答える。
「そのままの意味さ」
謎めいた笑みを浮かべ、アンリは口に指を当てる。
「君も、ラスティエ教国の首都、セラフに来るといい。そうすれば君の疑問に思うことの大半に答えられる人がいるだろう。そう。君の学校の先生として、君を監視しているイヴン先生のように、すべてを知っていても教えてくれない大人もいるかもしれないが。少なくとも、あの人は君が聞けば、包み隠さずすべてのことを教えてくれるだろう。何と言っても、彼は歴史の生き証人だからね」
レインは先ほどのアンリとイヴン先生とのやり取りを思い出す。
イヴン先生のことは、みなに秘密にしておくべきことではないのか?
いくら盗み聞きしてしまったとは言え、レインに話してもいいことなのか?
レインの頭の中で考えがまとまらず、ぐるぐると思考の渦にはまり込む。
混乱しているレインを見て、アンリは肩をすくめる。
「おれは君の疑問にあまり答えられない立場の人間だからね。こういった仕事をしている以上、むやみに秘密を話せないんだよ」
アンリは申し訳なさそうに答える。
レインは慌てて首を横に振る。
「い、いいえ、アンリさんには色々なことを教えてもらって、その上」
レインは生徒達の面前でマムーク先生に怒られたことを思い出す。
ちょっと口ごもる。
「先生に怒られているところを、助けてもらって」
アンリは驚いたような顔をする。
声を立てて笑う。
「ははは、君はよっぽどあの先生が苦手と見えるね」
レインは、はあ、と曖昧に言葉を濁す。
本当は、あの先生が苦手なのもあるのだが、生徒達の前でさらし者になるのが、何より嫌だった。
それはレインが鈴牙人だという劣等意識もあってのことだった。
沈み込むレインに、アンリは笑みを引っ込める。
馬車から見えるのどかな田園風景に目を移す。
「君も、鈴牙人に生まれて損したなあ、と思ってるんだろ? 実はおれも竜の民なんてものに生まれて損した、と思ってる口なんだよ」
「え?」
アンリさんが? と言いかけて、レインは言葉を飲み込む。
代わりに疑問を口にする。
「ど、どうしてですか?」
レインは竜の民と言われてもぴんとこなかったが、竜を手なずけ、乗りこなすアンリのことを、素直にかっこいいと思ったものだ。
それをどうして、損した、と思うのだろう。
その理由がレインにはわからなかった。
アンリは深緑の目を細める。
「竜の民なんてものは、千年前の古い慣習にがんじがらめに縛られて、窮屈なものだよ。竜の世話は大変だし、乗りこなすのも難しい。竜を操るには、血のにじむような努力が必要で、おまけに竜に乗れるのは、選ばれたほんのわずかな人間だけときたもんだ。おまけに法術は使えないから、剣や体術を習う必要がある。いざという時は、自分の身をていしてリタ・ミラの種を宿した人間を守らなくてはならない。おれはそれが嫌で、故郷を飛び出してきたんだ」
うっすらと笑う。