二章二十三話目
中年の男は馬車に乗り込んだレインとアンリを振り返る。
「ユキエばあさんの店は、街の東の外れにあるんだが、少し遠いが構わないかい?」
「うまければどこでも構わないよ」
アンリは上機嫌で答える。
ゆっくりと馬車が走り出す。
レインの座っている椅子に、規則正しい振動とひずめの音が聞こえてくる。
レインは馬車の上から大通りを歩く人々を眺める。
この街が観光に力を入れているだけあって、観光客らしき人々が目立つ。
石畳の大通りはきれいに掃き清められ、通り沿いの家々の窓には色とりどりの花が飾ってある。
喫茶店の軒先には、テーブルとイスが出され、人々が思い思いにくつろいでいる姿が見える。
レインは揺れる馬車から、道行く人々を見るともなしに眺めていた。
「君の名前は、レイン・アマナギ、と言ったかい?」
名前を呼ばれて振り返ると、アンリの深緑の瞳と目が合った。
「は、はい。あなたは、アンリ・アザンクールさん、でしたよね?」
そこで初めて、レインはお互いに自己紹介をしていないことに思い至った。
「す、すみません。まだ、名前を名乗っていませんでしたよね。僕の名前はレイン・アマナギ。見ての通り鈴牙人で、ラスティエ教国の北にある北方群島の出身です」
慌ててアンリに向かって頭を下げる。
「おれの名前は、アンリ・アザンクール。これは、まあ、偽名だけど。アンリ、と呼んでくれればいいよ。仕事上、色々と面倒があって、本当の名前は打ち明けられないんだ」
アンリは短い焦げ茶の髪をかく。
レインも付け加える。
「ぼ、僕のことは、レイン、と呼んでください。アンリ、さん」
「うん、よろしく。レイン君」
アンリは左手を差し出す。
レインもおずおずと左手を出し、握手を交わす。
握手をしたときに、腕をぐいと引っ張られ、耳元に小声でささやかれる。
「そう言う訳だから、人前であまり娘の名前を出さないでくれよ。おれも本当の身分がばれると、色々と厄介なことになる。下手をすると、君の身にも、家族にも危害が及びかねない」
レインの顔からさっと血の気が引く。
体をちぢこませる。
「す、すみません」
「うん、わかればいいんだよ」
アンリはレインから体を離す。
笑顔で、ぶんぶんと握った手を上下に振る。
「それにしても、君に初めて空の上で会ったときはびっくりしたよ」
アンリの言葉に、レインは列車から白い竜目がけて飛んで行った時のことを思い出す。
あの時は必死で、何も考えている余裕はなかった。
「驚かせる、つもりはなかったんですけど」
レインは首の後ろをかく。
アンリはゆっくりと首を横に振る。
「違うよ。おれが言いたいのは、君の容姿だよ。君の姿が、おれの知っているある人とそっくりでね。その人も聖職者をやっているんだけど」
「そ、そうなんですか?」
今度はレインが驚く番だった。
今までに誰かに似ていると言われたのは初めてだったので、どう反応すればいいのかわからなかった。
「年は、君よりも十ぐらい年上かな。今度機会があれば、紹介するよ」
「あ、ありがとうございます」
レインは訳がわからないながらも礼を言う。
馬車は大通りを抜け、街の外へつながる細い路地へと入っていく。
街の高い石壁の門を通り過ぎ、枯草の生い茂る細い農道へと向かう。
ここまで来ると、観光客らしき人達の姿は消え、農作業をする農夫ぐらいしか見かけなくなる。
馬車はのんびりと進んでいく。
太陽の光は温かで、空は晴れ渡っている。
会話の途切れたレインは、次第にまぶたが重くなってきて、ついうとうととしてしまう。
そのため、アンリが話しかけた時、すぐに反応することができなかった。
「レイン君」
どこか遠くから呼ばれているくらいにしか、レインは思わなかった。
「レイン君?」
二度名前を呼ばれて、ようやくレインは目を覚ます。
「は、はいっ」
慌てて顔を上げる。
向かいに座るアンリを見る。
アンリはじろじろとレインを見つめている。
「レイン君は、リタ・ミラの種を持っているね?」
深緑の目を細め、悪戯っぽく笑う。
リタ・ミラの名前が出され、レインはどきりとする。




