六章二十八話目
自分が話題に上がっていることに気が付いた青年はこちらを振り返る。
「ん? なんだい?」
リシェンのあまりにはっきりした物言いに、レインは冷や汗を流す。
「り、リシェン、それはちょっと」
目を怒らせているリシェンと、困っているレインを見て、青年はおおよその状況は把握したようだった。
「つまりそこのお嬢さんは、おれが悪い、と言って聞かない訳か」
青年は肩をすくめる。部下に指示を出すと、こちらへと歩いて来る。
リシェンの前に立って彼女を見下す。
「おれが悪いとは言うけれどね、お嬢さん。ラスティエ教国にいる以上は、この国に対しておれは出来る限りの協力や情報提供はしているつもりだよ? 今回の襲撃の情報だって、既にラスティエ教国の警察には伝えてあるし、参考人として警察の事情聴取も受けた。今回の襲撃があるかもしれないという情報を知ってもなお、動かなかったのはラスティエ教国の警察の判断だ。今回の件でおれを恨むのはお門違いと言うものだよ」
青年の眼光に、リシェンはわずかに怯む。
「デ、デモ、アナタはサラさんを騙したジャナイデスカ」
小声で反論する。
レインと姉ははらはらした面持ちで二人を見守っている。
青年は困ったように笑う。
「そこを突かれると痛いな」
リシェンは得意げに胸を張る。
「ホラ、ヤッパリ!」
見かねた姉が二人の仲裁に入る。
「リシェンさん、そのくらいで」
「リシェン、今は時間が無いから、その話はまた後で」
レインもリシェンの止めに入る。
「でもね、お嬢さん。この一件に関して、おれは前もって注意をうながしたつもりだよ? それでもこのホテルに泊まる判断をしたのは君たちじゃないのかい? もしもおれのことが本当に嫌だったら、すぐにこのホテルを出れば良かったんだよ。先に出て行ったイヴン大司祭に、助けを求めれば良かったんだ。そうしなかったのは、自分の判断ミス、つまり自分自身の責任だと思わないかい?」
青年の主張に、リシェンはぐっと言葉に詰まる。
とっさに返す言葉が思い付かないようだった。
青年は話し続ける。
「もっと言えば、今回おれがこのホテルにいなくても、君たちが彼らに襲われた可能性は否定できない。君たちだけで、この人数の襲撃を何とかすることは出来なかったかもしれない。逆に考えると、おれの部下たちがホテルの外や中で見張っていたおかげで、これだけで済んだとは考えることは出来ないかな? 君も少し考えればわかることだと思うけれどね」
青年は意地悪っぽく笑う。
リシェンは不機嫌そうな顔で完全に沈黙する。
「兄さま!」
姉がぴしゃりと言う。
「リシェンさんは、わたし達を心配して代わりに仰って下さっただけです。それ以上リシェンさんに何か言うのでしたら、わたしが代わりにお聞きいたします」
姉は真剣な面持ちで青年を見上げる。
青年は苦笑いを浮かべる。
「麗しい女同士の友情だとは思うけれどね、サラ。君に何か言うと、後が怖いからね。その話はこの件がひと段落してから、ゆっくりベッドの中ででも」
レインは目を丸くし、姉は溜息を吐き、リシェンの顔にさっと赤みが走る。
皆が何か言う前に、青年の後頭部に何かがぶち当たる。
青年が頭を押さえ、うずくまる。
部屋の扉の前には、黒服を着た弟が怒り顔で立っている。
「僕がちょっと目を離すとすぐにこれだ。油断も隙もない」
黒服の弟は部屋の中へと歩いて来る。
たった今青年の頭にぶつけた柔らかいゴムのボールを拾う。
レインは好奇心から尋ねる。
「スミルノフ君、それは?」
「これは人に当てても怪我をさせないボールだ。本来は犯人に目印を付けるペイント弾なんかに使われるものみたいだけど」
弟の背後から中年の部下が、大きな革鞄を持ってやって来る。
「若に怪我があると一大事ですからね。シェス様には、若に怪我をさせない程度の道具をお渡ししました」
革鞄を開けて、中身を見せる。
ゴム弾の拳銃や、水鉄砲などの子ども用の道具が入っている。
床にうずくまっていた青年が頭を押さえて立ち上がる。
「いや、これだって十分に痛いんだけど。確かに怪我はしないかもしれないけどさ」
中年の部下はあっさりと言い返す。
「でしたらもう少しご自分の言動にお気を付け下さい。若自身にその気が無くても、財閥の副総帥である若の発言は常に周囲に注目されています。ご自分の屋敷内でならともかく、外ではいつ何時、誰がそのことを聞いているかもしれません。悪い噂が立つかもしれません。そのことを、どうぞお忘れなく」