六章二十六話目
姉は困った顔をして立っているリシェンを振り返る。
「申し訳ありません、リシェンさん。わたしの着替えを手伝ってもらえませんでしょうか」
「キガエ?」
リシェンは着替えする意味がわからず、首を傾げる。
「ええ、着替えです。わたしはこの通り目が不自由なので、普段着でしたら差支えがないのですが、ドレスなど手間のかかる服を着る時には人の助けが必要なのです」
姉は説明する。
「リシェンさん、この事件を警察に通報した後、恐らく記者達がこのホテルにやって来ると思います。わたしたちがリタ・ミラの種を持っていることは、出来れば秘密にしておきたいのです。その時に、レインさんたちが注目されないように、兄さまとわたしが襲われたということにして、レインさんたちから記者達の目を逸らすのです。けれど、今のわたしのジョゼ神学校の制服では、兄さまの隣に立つには不釣り合いです。だからそれ相応の格好に着替えるために、リシェンさんに手伝って欲しいのです」
訳が分からない様子ながらも、リシェンはうなずく。
「う、ウン、ワカッタヨ」
姉は青年を振り返る。
「兄さま。どうせ兄さまのことですから、わたしのドレスを持って来ているのでしょう?」
青年は満面の笑みで応じる。
「もちろんだよ。ドレスの他にも、靴や帽子やコート、一通りは持って来ているよ。それに君のために女性のスタイリストも連れて来ているよ」
笑顔の青年の背後から他の護衛の男たちに混じって、黒服の女性たちが進み出てくる。
女性二人は姉に礼をする。
「後、おれと一緒に取材に応じるのなら、これも付けといた方がいいと思うよ」
青年は姉に歩み寄る。
その左手を取ると、薬指に指輪をはめる。
姉は驚いた顔をする。
「これはあの時の、婚約指輪ですか?」
青年はうなずく。
「そうだよ。君がおれの前からいなくなった時に、置いていった指輪を取っておいたんだよ。君がおれの隣で取材を受けるのなら、おれたちの関係性も重要だと思うからね」
姉は戸惑い、黙り込んでいる。
「コ、コンヤクユビワ?」
リシェンが好奇心から姉の左手の薬指はめられている指輪をまじまじと見つめる。
指輪は細かい細工がされ、色とりどりの宝石がちりばめられている。
上品な品であり、高価な物であることはレインの目にも明らかだった。
姉は浮かない顔で応じる。
「あなたは、最初からわたしを連れ戻すつもりでこの国にやって来たのですね? レインさんたちがいる以上は、わたしがあなたへの協力を拒まないとわかっていて、レインさんたちを巻き込んだのですね?」
「さあ、どうだろうね?」
青年は曖昧にはぐらかす。
「もちろん、おれも君との婚約指輪は肌身離さず持っているよ?」
青年は懐を探り、首から下げた鎖を持ち上げる。
鎖の先には姉と同じデザインの指輪がかかっている。
青年は鎖を首から外し、指輪を手の平の上に出す。
それを自分の左手の薬指にはめる。
「ほら、これでお揃いさ」
青年は姉の左手に自分の左手を重ねる。
得意げに微笑む。
(婚約指輪って、左手の薬指なんだ)
故郷の両親が仕事の邪魔になるからと言って、普段から結婚指輪をつける習慣がないため、レインには指輪はなじみの薄いものだった。
(でも、土いじりや水仕事をするのには邪魔そうだな)
レインは味もそっけもない感想を抱く。
頭の中で装飾品イコール、仕事には邪魔、という図式が出来上がる。
リシェンが憧れに目を輝かせ、レインが物珍しそうに眺めている傍らで、弟は思い切り不機嫌な顔をしている。
無言で青年の背後から回し蹴りを食らわせる。
「いてっ!」
弟の蹴りは青年の腰を直撃する。
黒服の部下たちが見て見ぬふりをする中、青年は体勢を崩しつつも壁に手をついて体を支える。
「お、弟君、いきなり何をするのかな?」
「別に」
青年の問いに、弟はそっぽを向く。
「もしかして、サラとおれのことで妬いているのかい?」
弟は何も答えない。
代わりに青年の足を思い切り踏んづける。
「!」
青年は声にならない悲鳴を上げる。
「悪かったな。足が滑った」
睨み合う弟と青年を前に、姉は深い溜息を吐く。