六章十七話目
「冗談だよ、冗談。嫌だなあ、弟君はすぐ本気になって」
殺気を隠そうともしない弟に、青年は必死に弁明する。
「少しも冗談には聞こえなかったが?」
弟は憤怒の表情で青年をにらんでいる。
近くにいるレインも思わず弟のそばから後ずさる。
さっきまで震えていたリシェンと姉は、青年の言葉に安堵の息を吐き出す。
「冗談デ良かったデス」
「兄さまは冗談なのか本気なのか、いつもわからないですから」
安心している女性組を見て、弟は腰に手を当てて首を傾げる。
「とても冗談には聞こえなかった、そうだが?」
弟の怒りはまだ収まらないでいる。
窮した青年は背後にいた部下に助けを求める。
「お、お前たちは、さっきのは冗談に聞こえたよな。なっ?」
黒服の部下たちは顔を見合わせたまま何も言わない。
中年の部下が直立不動のままぽつりとつぶやく。
「我々はお二人の行動にはいっさい介入いたしませんので」
青年は絶望的な表情を浮かべる。
見かねたレインが仕方なく間に入る。
「ま、まあまあ、スミルノフ君。こ、今夜ももうこんな時間だし、みんな疲れているだろうし、今日のところはこれくらいにして、早く部屋に行こう」
レインは助けを求めるように、姉に声を掛ける。
「ね、お姉さん」
姉は驚きながらも、こくこくとうなずく。
「は、はい、そうですね。皆さん疲れているでしょうから、早く部屋で休んだ方が良いですよね?」
レインは弟を見る。
弟はまだ納得しないようだった。
姉が早口でまくし立てる。
「わたしはリシェンさんと同じ部屋に泊まりますので、レインさんとシェスはその隣の部屋と言うことになります」
シェーラ先生がホテルのカウンターから受け取った部屋の鍵を手渡す。
「私と兄さんはこの後仕事で出るけど、あなたたち四人はここのホテルで今夜は過ごしてね。特にリシェンさん、目の見えないサラさんのお世話を頼めるかしら? 部屋にはシャワーもトイレもついているから、部屋に外に出る必要はよっぽどないと思うけど。あなたたち女の子二人なんだから、鍵を掛けて、もしもの時は隣のレイン君たちに助けてもらうようにね?」
「ハイ」
リシェンは緊張した面持ちで鍵を受け取る。
シェーラ先生はレインにも鍵を手渡す。
「レイン君はスミルノフ君と同じ部屋ね。こちらは私と兄さんの連絡先よ。何かあったら連絡してね」
一緒に電話番号の書かれたメモ用紙も渡される。
「は、はい」
レインはシェーラ先生とイヴン先生の顔を交互に見る。
「じゃあね」
大人二人がホテルの玄関から外に出て行く。
ホテルの前に待たせていた車に乗り込む。
レインは弟を振り返る。
「す、スミルノフ君、部屋に行こう」
恐る恐るレインは弟に話しかける。
姉が杖をついて歩いて来る。
「シェス。わたしとリシェンさんの部屋はレインさんとあなたの部屋と隣同士です。今はイヴン先生もシェーラ先生もいません。もしもの時はあなたが頼りです。お願いしますね」
姉に頭を下げられ、弟も悪い気はしないようだった。
「わかった。備えはしておく」
ぶっきらぼうにそう答える。
姉の隣に立つリシェンがぐっと拳を握りしめる。
「サラさんは、ワタシガ守りマス。レインも、気を付けてクダサイ」
リシェンはレインの顔を覗き込む。
レインは驚いたように青い目を見開く。
――りしぇん、しんぱいしてる。
リタ・ミラの種の声に、今更ながらリシェンが自分のことを心配していることを自覚する。
――そっか。リシェンは普段はいつも僕のそばにいて、見守ってくれていたんだ。
レインは胸の奥がじんわりと温かくなる。
「ありがとう、リシェン。僕も一応は気を付けるけど、お姉さんをよろしく頼むよ」
少し照れくさく感じながら、リシェンにお礼を言う。
リシェンは顔を赤くする。
「サラさんは、ワタシガ守ります。故郷で男の人にもマケナイダケノ訓練は受けてイルンデス。その気にナレバ、男の人もナゲラレマス!」
勢い込んで叫ぶ。
――りしぇんのかお、あかい。さっきはあおかったのに。