六章十三話目
レインはイヴン先生の口ぶりに面食らう。
――母さんのことを、アンジェ様?
イヴン先生は持っていた鍵でレインの手錠を外す。
「ンゴロがいい加減なばかりに、こんなものを付けてしまってすまなかったな。まったくあいつは昔から独断専行ばかりする奴でな」
手錠が外れ、机の上に転がる。
イヴン先生はぶつぶつと文句を言っている。
レインはようやく自由になった手首をさする。
「あ、はい。いえ、僕はそれほど気にしてないので大丈夫です」
手錠を外すと急にレインの周囲の感覚がはっきりしたような気がした。
――れいん。
今まで聞こえなかったリタ・ミラの種の声も聞こえてくる。
――れいんが、いなくなったかとおもった。くらくてさむくて、なにもみえなくなった。こわかった。
ようやく感覚が繋がった気がして、レインはほっと胸をなで下ろす。
――僕は大丈夫。それよりも君が無事で良かった。怖い思いをさせてごめんな。
法術を封じる手錠には、リタ・ミラの種の力を抑え、体に負荷を掛けていたようだ。
レインの体にどっと疲れが出てくる。
「本当に大丈夫か?」
机に突っ伏してしまったレインを、イヴン先生が心配そうに見下ろしている。
「もう夜も遅い。今夜泊まるホテルは既に取ってある。一緒にセラフに来た皆はそこに泊まっている。送って行くから、君も少し休みなさい」
レインはのろのろと顔を上げる。
イヴン先生に色々と聞きたいこともあったが、今は疲れて体に力が入らなかった。
「すみません」
レインはイヴン先生に体を支えられて、懺悔室を出て行く。
一緒に書記官も部屋から出る。
長い廊下を支えられて歩く。
廊下のあちこちに法術の青い明かりが灯っている。
レインは先程のイヴン先生の言葉を思い出していた。
イヴン先生はオリヴィエ先生がイストアのスパイで、死体が見つかったと言っていた。
それはすぐには信じられないことだったが、イヴン先生が嘘を言っているとも思えない。
――オリヴィエ先生が死んだ? どうしてそんなことが。
レインはイヴン先生と長い廊下を歩きながら、ぼんやりと考える。
歴史を教えてくれていたオリヴィエ先生は、鈴牙人であるレインを嫌っていた。
授業中にぼんやりしていたとして、レインに反省文を書かせて、次の日に職員室に持ってこさせたほどだ。
思い返してみると、その日の朝、職員室に反省文を提出した帰り、レインがたまたま温室に立ち寄ろうと思ったことが、リタ・ミラや種との出会いだった。
――まさかオリヴィエ先生がイストアのスパイだったなんて。
レインはその時のことを思い返す。
ふとひっかかりを覚える。
――あれ? そもそも僕はどうして温室に行きたいと思ったんだろう。
それは以前から、ジョゼ神学校では植物の研究が盛んだと聞いていたからだ。
そして温室は以前から薬草学で使っていた。
しかし薬草学の授業では、レインにリタ・ミラの声は聞こえなかった。
レインは不思議に思って、リタ・ミラの種に聞いてみる。
――ねえ、君。君はあの温室に来たのはいつごろなのかな? 僕が温室を授業で使った時には声は聞こえなかったけれど。
すぐにリタ・ミラの種の声が返ってくる。
――ぼくがあそきにきたのは、れいんのくるすこしまえ。おかあさんといっしょにあのおんしつにきた。
レインはさらに尋ねる。
――それがいつ頃のことか詳しく覚えてるかい?
そもそも貴重なリタ・ミラの種が保管されている温室で、授業などするだろうか。
そんな温室に生徒など入れるのだろうか。
レインの中の疑問はさらに大きくなっていく。
リタ・ミラの種の考え込むような気配に、レインは隣を見る。
黒い異端審問官の服を着たイヴン先生の横顔を見上げる。
「イヴン先生」
レインは緊張した声で尋ねる。
「ん、何だ?」
イヴン先生がゆっくりとこちらを見る。
「リタ・ミラの種をあの温室に移したのはいつのことですか? 僕、今までに薬草学の授業で、何度もあの温室を使ったことがあるような気がするのですが。その時には何の声も聞こえなかったのですが」
「それはそうだ。リタ・ミラの種をあの温室に移動させたのは、君が温室に来る前日のことだ。あの時は手が回らなくてな。温室の周囲に法術の結界も張らず、立ち入り禁止の通達も出せなかった。かろうじて何重もの法術を施した鍵を入口のところに付けておいたのだが、それも無駄だった。次の日の早朝、大司祭たちと連れ立って種の様子を見に行ったのだが、そこでまさか君と出くわすとは思っても見なかった」
イヴン先生はその時のことを思い出すように目を細める。