五章十五話目
普段であれば自分自身を卑下するようなことは、一度も口にしないオルグだった。
――オルグは一体どうしたんだ? 具合が悪いから弱気になってるのかな?
レインはいぶかしむ。
オルグの青白い顔は相変わらずだ。
「レインは鈴牙人だから、自分の国を失くすきっかけになったイストア人が憎いんだろう? ぼくはイストア人だから、レインはぼくのことを嫌いなんだろう?」
「な、何を言ってるんだよ、オルグ。そんな突然にそんなこと言い出して、一体どうしちゃったんだよ」
レインにとってオルグがイストア人であるなど初耳だった。
確かにオルグ、という名前はイストアでは普通に使われている名前だったし、姓を聞けばイストア出身であることは大体予想がつくのだが。
レインははっとしてオルグから離れる。
オルグは少しよろめいたが、その場に踏みとどまった。
「ま、まさか、オルグがイストアのスパイなのか? この学校にもぐりこんで、情報を集めているのか?」
レインの問いに、オルグはゆっくりと首を横に振る。
「ぼくはスパイじゃないよ。ぼくはイストア人ではあるけれど、スパイではない」
オルグの様子をうかがいながら、じりじりと後ろに下がる。
「じゃあスパイは誰だって言うんだよ。オルグはこの学校に入り込んだイストアのスパイが誰か知ってるのか? どうして僕にいきなりこんな話をするんだよ」
レインの頭に弟の言葉が蘇る。
――お前はその相手と会って、平静でいられるのか?
少し前に聞いた弟の言葉が胸に突き刺さる。
ぎゅっと拳を握りしめる。
――スミルノフ君の言った通りだ。僕はずっと友達だと思っていた相手から、イストア人だと伝えられただけで、動揺している。オルグはスパイじゃないと言っているのに、どうしてか、オルグを今までみたいに信じることが出来ないなんて。親友だと思っていたオルグのことを、信じることが出来ないなんて。
レインは青い目でオルグを見つめたまま動くことが出来ない。
オルグは静かに、どこか寂しげに笑っている。
「親友であり、鈴牙人であるレインには、ぼくがイストア人であることを知ってもらいたかったんだよ」
オルグはゆっくりと腕を上げ、レインの胸元を指さす。
「その種を持っている以上、これから様々なことに巻き込まれていくと思うけれど、レインには自分を強く持って欲しいんだ。スミニア杉のように、どんな大きな嵐にも揺るがない、強い体と意志を持って前に進んで欲しい。知ってるかい? イストアでは、スミニア杉は雷が落ちてもなお生き続けることが出来る木として、聖イストアが人々のために国にもたらした神樹とされている。スミニア杉は厄災を払い、幸運を呼び込む木として、ぼくの生まれ育った田舎では今でも大切にされている」
「何が言いたいんだ、オルグ」
レインは動揺を見せないように低い声で尋ねる。
オルグは薄く笑う。
「ぼくは過ちを犯したんだよ、レイン。だからこうして君とのゆっくり話せる機会も、これが最後だと思う」
レインは息を飲む。
「過ち? オルグが?」
オルグはそれには答えずに、話し続ける。
「レインは知らないんだろうけれど、あのスミルノフ姉弟は元々ぼくと同じイストアの出身なんだ。イストアで巨大財閥の跡取りだったものの、財閥の総裁が死んだとたん、跡目争いが起こってね。二人は財閥の権力闘争を制したものの、それまで財閥と癒着していた政治家たちの機嫌を損ねて、結局国内にはいられなくなって、亡命してきたんだよ。今は皇帝一族の取り成しもあって、財閥と政治家たちの仲もいくぶん良くなったけれどね。彼らはぼくと違って地位も名誉もある。亡命している彼らがイストアに戻れる日も近いんじゃないかな?」
レインはじっと黙ってオルグの話に耳を傾けている。
依然としてオルグが何を言いたいのかわからない。
それよりもオルグの言う、過ち、や、最後、といった言葉の方が引っかかる。
それにあの姉弟の過去まで、いくら同郷とはいえ赤の他人であるオルグが知っているのもおかしい。
「ねえ、オルグ。僕はオルグの言っていることがわからないよ。それにオルグはどうしてあの二人の過去を知ってるんだ? それにオルグの言う最後、とか、過ち、とかはどういう意味が」
人気のない廊下にレインとオルグの声が静かに響く。
「ぼくはね、レイン。ぼくは君のようにも、あの姉弟のようにも、恵まれた環境にはいない。ぼくの家は父さんが亡くなってから貧しくて、母さんとたくさんの弟や妹がいて、ぼくは国の援助でこの学校にやってきた。けれど、イストアに戻れば、きっとぼくは殺されてしまうだろう。イストアにとって、ぼくの命は軽い存在なんだ。過ちを犯したぼくを、イストアはきっと許さないだろう」
オルグは悲しげに笑っている。
手を伸ばし、レインの肩をつかむ。
レインは驚愕して青い目を見開く。
「ぼくは死にたくないよ、レイン。ぼくは、こんなところで死にたくないんだよ!」