五章十三話目
「僕は庭師になりたいんだ」
レインは断固として言い張ったが、両親は良い顔をしなかった。
「せめて庭師になるにしても、もっと広い世界を見て、様々なことを経験してから庭師になるべきだ」
父親の意見に母親も賛成だった。
「そうよ、レイン。母さんも父さんと同じ意見よ。折角法術を扱えるというすばらしい力を神様からいただいたのに、その才能を埋もれさせたままにしておくなんてもったいないわよ。もしレインがどうしても庭師になりたいと言うのなら、母さんの知り合いのところで学校に通いながら庭師を目指したらどう? 庭師の見習いとして働きながら学校にも通うなら、父さんも文句はないと言っているわ」
母親は父親を振り返る。
「ねえ、父さん?」
父親は無言でうなずく。
「そうだぞ、レイン。父さんはお金がなくて学校に通えなかったから、庭師の道を選んだんだ。もちろん今では庭師の仕事をとても誇りに思っている。けれど、お前はお金がないわけでも、学校に通えない訳でもない。父さんと母さんは、お前が学校に行って将来ちゃんと働けることが願いなんだ。学校に行くと言うことは、お前の将来の選択肢を少しでも増やすことに繋がる。将来お前が困らないように、自分の望む道に進めるように願っているから、こんなことを言っているんだ」
父親の言葉の意味が、その時のレインにはわからなかった。
ただレインの意見に反対しているようにしか受け取れなかった。
「僕がどんな道を選ぼうが勝手だろう? 父さんと母さんは僕に庭師になるなと言うんだろ!」
「違うわ、レイン。父さんと母さんは、お前のことを思って」
「どこが違うって言うんだよ? 父さんと母さんは、僕が法術を扱える適格者だから、そんなことを言うんだろ? 法術の力がない不適格者の時は、今まで何も言わなかったのに。何を今更言ってるんだよ。こんな法術の力なんて、無かった方が良かった。僕が望んで欲したわけでもないのに」
「レイン!」
母親の言葉を聞こうともせず、レインは叫ぶ。
「父さんと母さんは勝手だよ! 自分達がなれなかったことを僕に押し付けて、勝手に期待して。僕は父さんと母さんの望むようには生きられない。法術の力があるから、何だって言うんだよ!」
その時、母親の浮かべたとても悲しそうな表情が忘れられない。
母親はそれ以上はレインには何も言わず、声もなく泣き出した。
父親は苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。
レインは言葉を引っ込めることも、両親に謝ることも出来ずに部屋を出て行った。
学費が安く、寮のある、ジョゼ神学校への進学を決めた。
レインがそれを話すと、父親は黙って入学の手続きの書類にサインをした。
半ばレインは家から逃げ出すようにして、この神学校にやってきたのだった。
「真面目に生きていれば、いつか報われることもあるわ、レイン。だからこの傷だらけの手は、私の勲章なのよ。それだけ一生懸命働いた証だもの」
働き者の母親は、いつもそう言って冬の辛い水仕事をこなしていた。
レインが小さい頃家は貧しく、母親はどんな雑用もこなしていた。
元々は裕福な家の出だと言う母親は、とてもそうは見えないほど傷だらけの手をしていた。
レインはリシェンの手を握りしめ、故郷の母親のことを思い出していた。
「レイン?」
リシェンが深緑の目で不思議そうにレインの顔を覗き込む。
レインははっとして、慌ててリシェンの手を離す。
「あ、ごめん、リシェン」
照れくさそうに笑う。
「少しぼうっとしてたみたいだ」
黒い短い髪をかく。
リシェンも柔らかな笑みを浮かべる。
それから少し頬を赤らめ、小声でささやく。
「レイン、あのね。わたし、イッショウケンメイレインを守る。頑張るから」
リシェンはじっとレインの青い目を覗き込む。
白い頬はほんのり赤く染まり、流れるような金色の髪が頬にかかっている。
「だから、アンシンしてね、レイン」
リシェンは真剣なまなざしでレインを見つめている。
レインは訳が分からず、ぱちぱちと何度も瞬きをする。
リシェンが落ち込んだ自分を心配してくれているのだな、と考える。
「ありがとう、リシェン」
リシェンの真剣な顔を見ていると照れくさく感じてしまう。
「僕も、リシェンと良い友達になれたら、と思っているんだ」
ぽろりとそんな言葉がレインの口からこぼれ落ちた。
特に深い意味で言ったつもりではなかった。
「トモダチ?」
リシェンは面食らったような顔をする。
レインの言葉を口の中で反芻する。
頬を膨らませて、まなじりをつり上げる。
何も言わずにレインに背を向ける。
さっさと廊下を歩いていく。
「え? リシェン」
レインはリシェンの後を慌てて追いかける。
リシェンはレインを振り返らず、早足で歩いていく。
――わたしは、レインを大事な人だと思っているのに。
故郷を出て、必死の思いでやって来たこの国で、ようやくレインに会えたのだ。
リシェンの複雑な気持ちを、友達なんて軽い一言で片づけて欲しくなかった。
もう二度と故郷に帰れないかもしれない、というリシェンの悲しみも心細さも、レインは何も知らないのだ。
「ご、ごめん、リシェン」
レインが追いかけてきて、むっつりと押し黙るリシェンの隣に並ぶ。
「僕、変なこと、言ったよね。そうだよね、僕弱音ばかり吐いて、格好悪いよね。ごめん、リシェン」
レインはしゅんとしょげ返っている。
リシェンは横目でレインを見る。
「そうじゃナイ」
ゆっくりと首を横に振る。
自分の気持ちを言葉にしようとしたが、リシェンのマース語の語彙力ではとてもレインに説明できそうもなかった。
「そうじゃナイノ」
リシェンは逃げるように走り出し、教室に向かう。
「リシェン」
走っていくリシェンの背を、レインは追いかけようかとも思ったが、結局は諦めた。
昼の休み時間はとっくに終わっていたし、次の授業はもう始まっていた。
レインはどうするべきかと考え、授業が終わるまで医務室にいようと考えた。
医務室のシェーラ先生ならば、レインの置かれている事情を知っている。
何の気兼ねもなく話せる相手だと思ったのだ。
「失礼します」
レインが医務室に入ると、何人かの生徒がベッドに横になっていた。
「あぁ、レイン君」
シェーラ先生は生徒一人の怪我の手当てをしながら、レインを振り返る。
レインは手当てを受けている生徒を見て、驚く。
「オルグ」
オルグは肩に包帯を巻いてもらっているところだった。
肩の辺りには青痣が出来ている。