五章四話目
それはレインの心からな素直な気持ちだった。
レインに笑顔を向けられ、弟は呆れたようにつぶやく。
「お前、よく人からはお人好しだと言われるんじゃないのか? 鈴牙人のいかにもお人好しそうな顔しているものな。鈴牙人は概して温和な民族だと聞いていたが、お前もご多分に漏れず、お人好しじゃないのか? そんな顔をしていると、あの豚や筋肉馬鹿のような奴に騙されるぞ?」
にこにこと笑顔で弟を見ていたレインは、弟に指摘されて笑みを引っ込める。
「へ?」
自分の頬に手を置く。
――僕、そんなに人の良さそうな顔してるかな?
ぺちぺちと自分の頬を叩いてみる。
精一杯真面目な顔を取り繕ってみる。
「ぼ、僕はお人好しじゃないよ。スミルノフ君にはずいぶんと助けてもらったから、力になりたいだけだよ」
真面目な顔で訴えてみる。
「それでも、どうしようもないお人好しだな。その顔では、人が良いのを言って回っているようなものだ。っと、少し言い過ぎたな。悪いな、悪気があるつもりはないんだ。とにかく、姉さんと僕のことを心配してくれてありがとな、レイン」
弟にお礼を言われ、レインは照れくさくなる。
「べ、別にお礼を言われるほどのことじゃないよ」
レインは弟に背を向ける。
短い黒髪をかく。
そんな時、始業の鐘が鳴る。
レインは慌てて振り返る。
「もう授業が始まっちゃうね。スミルノフ君、早く教室に戻らないと」
振り向いた先に、既に弟の姿はなかった。
「あれ、スミルノフ君?」
始業の鐘が鳴る中、レインは辺りを見回す。
どこにも弟の姿は見られない。
レインは大聖堂の高い鐘楼が目に入る。
鳴り響く鐘楼の鐘を見上げ、レインはぽつりとつぶやく。
「まさか、スミルノフ君。あの上にいるんじゃないよね?」
弟の超人的な身体能力をもってすれば、高い大聖堂の鐘楼に飛び上がることも可能だろう。
レインは弟を探すのを諦め、きびすを返す。
授業に遅れないように、教室に向かって走った。
鐘が鳴り終わる頃、レインが教室に滑り込むと、それを見かねたようにワン先生が生徒たちを見回し咳払いをする。
「えぇ~、皆も知っていると思うが。大聖堂で校長先生から紹介された留学生のリシェン・ブラダマンテさんが、皆の学友として本日からこのクラスで共に勉強することになった。皆、仲良くするように」
レインは皆の座っている机の間を、身を低くして通り抜け、オルグとリャンが座っている机へと向かう。
二人の隣へこっそりと座る。
それを見たリャンがレインに小声で話しかける。
「おい、レイン。お前とリシェンちゃんがどういう関係なのか、後でちゃんと説明しろよな」
隣に座ったレインを肘で突っつく。
レインは口の端を歪め、何も答えないでいる。
――僕とリシェンの関係って、話していいものなのかな? リシェンが竜の民で、僕を守りに来たと言ってもいいものなのかな?
詮索好きなリャンにどこまで話せばいいのか、レインもよくは知らない。
弟に聞こうにも、彼は教室に戻ってきていない。
――わ~い、りしぇん、りしぇん!
リタ・ミラの種が心の中で喜んでいる。
ワン先生の隣に立つリシェンは、心持ち緊張した様子だった。
レインを見て、深緑の目が優しげに細められる。
頬杖をついてぼんやりと眺めていたレインは、急に照れくさくなる。
「あ~あ~、ご両人とも仲の良いことで」
隣のリャンがやっかみ半分でそっぽを向く。
「べ、別に仲が良いわけじゃ」
レインは訴えたが、照れくさそうな表情では説得力の欠片もない。
「いいじゃないか。女の子と仲が悪いよりは、仲が良い方がいいと僕は思うよ」
オルグはのんびりと応じる。
ワン先生の隣に立っていたリシェンは、たどたどしいマース語で話す。
「コレカラ、お世話にナリマス。リシェン・ブラダマンテと申します。皆さん、ヨロシクお願いします」
クラスの男子生徒の間から、どっと歓声が沸き起こる。
「こちらこそよろしく、リシェンちゃん」
「リシェンちゃん、どこ出身? おれはラスティエ教国の南方の」
「誰もそんなこと聞いてねえよ。それよりも、リシェンちゃんの好きな物は?」
質問を投げかけられ、リシェンは困ったように笑っている。
騒ぎ立てる男子生徒たちを見て、女子生徒は呆れている。
「馬鹿じゃないの?」
「彼女、困ってるじゃないの」
「この国の男子が全員、あんた達みたいな奴だと思われたどうするのよ」
騒ぎ立てる生徒たちに、ワン先生は眉をひそめ、額を押さえている。
「ナンナ」
ワン先生に呼ばれ、一人の女子生徒が立ち上がる。
このクラスでオルグの次に学業優秀の、真面目そうな女子生徒だった。
「リシェンさんに色々と教えてくれないか?」
「はい」
ナンナは短く答えて、ワン先生のそばまで歩いていく。
「リシェンさん、よろしくね」
にこりともせず、リシェンにあいさつする。
「ヨロシクお願いします」
リシェンは頭を下げ、ナンナの後について行く。
連れられてナンナの隣に座る。
二人で何事か話している。
レインはそんな二人の後姿をぼんやりと眺めている。
少し落胆する。
――でも、リシェンも女の子同士で話した方がいいよね? 休み時間に、リシェンと話せればいいよ。
リシェンと会ったら色々と話したいこともあったが、レインはぐっと我慢した。
一時限目の授業は、ワン先生の数学理論だった。
「では、授業に入る」
ワン先生に言われ、レインは教科書とノートを開く。
リシェンの背中から、ワン先生の立つ黒板へと視線を移す。
ペンを片手に、ワン先生の声に耳を澄ます。
――そう言えば、リシェンと友達の竜のサライはどうしてるんだろう?
ふとそのことが心にかかったが、レインはその考えを心の中にしまい、数学理論の授業に集中した。