第2話 憂鬱な世界
今日もまた憂鬱な時間が始まる。
中学を卒業して、晴れて高校デビューっていうのに、
学校は楽しく、新しい友達もできたのに、これがあるから、毎日が憂鬱...
いっそのこと、転向しようかなと、最近思う。
朝の通勤ラッシュ。
昔より良くなったらしいけど、朝の中央線の混雑は酷い。
恋人とキスしたこともないのに、知らないオジサンと肌が密着する。
これだけでも嫌なのに…
電車に乗ると、今日もオジサンが、私にぴったりとくっついて、離れようとしない。
しばらくすると、この後ろのオジサンが、私のお尻を触ってきた。そして、なにやら硬いものが私の腰にあたって嫌。
車両を変えても、時間を変えても、別のおじさんに痴漢にあう。
毎日毎日、お尻やら、胸の脇やら、もぞもぞと触ってくる。
私の高校の最寄り駅は、このオジサンと電車に乗り合わせて5分くらいで着く。わずか5分かもしれないけど、5分間もこれを耐えなくてはいけないのだ。
最近はエスカレートしてきて、スカートをまくったり、胸を触ってこようとする…どこまでエスカレートするのか、どんどん不安になる。
この人、年齢は何歳なんだろう。
髪は薄く、シワも多い。40歳は確実に超えている。
家族はいるのかな?
私くらいの年齢の子供が居てもおかしくないのに、こんなことをしている。
恥ずかしくないのかな?
一回でも勇気を出して、「この人痴漢です。」って、腕を上げてみたい。
でも、私には無理…。
怖くて、ずっと体が震えちゃって、動けなくなっちゃう。
こんな私がとっても嫌い。
そして、私がこんな目に会っているのに、誰も助けてくれない。見て見ぬふり。
しかし、今日は違った。
「あなた、何をやっているの」
いつもは居ない女性が、声を上げてくれた。
ツーサイドアップの爽やかな美少女。白いブラウスを着ていて女子大生だろうか。身長が高く端正な顔つきで、女性から見ても魅力的な女性だ。
声を上げてもらえて、助かったと思った。
しかし、現実は違った。
左右から突然延びてきた手が女性の右手と口元を拘束した。
ニヤリと笑うさっきの痴漢と女性を押える男たち。
集団痴漢。
ネットの掲示板や携帯電話で連絡しあう集団による痴漢だ。
時間をかけても場所を変えても無駄だったのは、私は彼らに監視されていたんだ。
「こっちの女の方が良い女だな」
「そうだな。今日はこっちで楽しもうぜ」
女性は必死に抵抗するが、抑えられている上に、満員であるため上手く抵抗できない。
「助けてください」
もはや私だけの問題ではない。
勇気を振り絞り、声を上げるが、周囲の大人は無視。
まるで何も起きていないがごとく、携帯をし、新聞を読み、本を読んでいる。
(なんで、誰も助けてくれないの)
電車が駅に停まり、客が次々に電車を降りて行く。
男たちは、女性を車外に引きずり出した。
私は、側に居る大人に、すがりつき助けを求めたが、まるでネコや犬を払うかのように、あしらわれた。
続いて、電車に乗る人の波。私の存在を無視するかのように押し寄せて来る。
私はその波に押され、車内に戻されてしまった。
そして、扉が閉まり、女性を外に残したまま電車が出発する。
私の周りから、痴漢は消えた。正直助かったと思った。しかし、彼女はどうなったのだろうか。
それを考えると、震えが止まらなかった。
私は、大人たちに、社会、そして、彼女に押し付けたズルイ自分に対して、絶望した。
◇ ◇
なぜ、忘れてしまったのだろうか。
思い出したくない嫌な記憶だったためだろうか。
だとしたら、私は、ズルイ人間だ。
ちゃんと話していたら山村さんは、こんなことをしなかっただろう。
私は、女性を見捨て、自分を心配してくれた友人とその先輩をこんなことに撒き込んでしまった。
私は本当にズルイ人間だ。
* *
「駄目!!」
突然、鈴木さんが悲鳴を上げた。
「奴らに逆らっちゃ駄目なのよ。もっと酷い目に会うのよ」
「奴ら?」
左右から突然延びてきた手が、近藤信也の口元を押え、羽交い締めにした。
突然の事態に、もがく近藤。
「先輩に何すんのよ。離しなさいよ」
山村が声を荒げるが、男たちはニヤつきながら無視をする。
彼らだけではない、高校生がサラリーマンに押えこまれるという異常事態なのに、周囲の大人は無視。
まるで何も起きていないがごとく、携帯をし、新聞を読み、本を読んでいる。
(なんで、誰も助けてくれないの)
それどころか、山村に対して痴漢が始まった。
一方、近藤は激しく抵抗をする。
唯一自由な頭を使い、後ろから押える男の顔面に、後頭部による頭突きを食らわせる。
さらに、周囲の痴漢の仲間たちにも頭突き。
痴漢とその仲間たちは、鼻血により顔じゅうが血まみれになっている。
だが、男たちは、まるで痛みを感じていないかごとく、相も変わらず薄笑いを浮かべている。
「武蔵境。武蔵境」
車掌のアナウンスが車内に響く。
列車は武蔵境駅に停まり、客が次々に電車を降りて行く。
そして、痴漢の男は近藤を、車外に引きずり降ろす。
一方、山村は、側に居る大人に助けを求めたが、まるで何も起きていないがごとく、電車に乗り込んでいく。
そして、降りた大人たちも、まるで自分たちが存在しないがごとく、改札口へと向かう。
異常な世界。山村は自分が異世界に居るように感じられた。まるで、悪い夢を見ているような。
列車が出発するとプラットフォームに残っているのは、近藤たちと痴漢たちの仲間。その数...30人以上。
年齢は20代も居れば50代も居てバラバラだが、どれも、似たような黒いスーツを着たサラリーマン。
ニタニタと薄笑いを浮かべながら、少し離れて、近藤たちを取り巻いている。
積極的に参加するというより傍観して楽しんでいる感じだろうか。
その態度や表情は、精気を感じさせず、生きている死体ならぬ、ニヤついた死体。
近藤が自分を押えこんでいる男をどうにか振り払うと、合図も何もなしに、近藤と痴漢の仲間との間で、殴り合いが始まった。
日頃は草食系の近藤がうって変わって闘志を剥き出しにする。
痴漢たちが襲ってくるより先に、近藤が相手に襲いかかった。
一番大きい相手の腹部に、いきなり、右のキック。そして、腹を押え、頭を下げた相手の頭を両手で押さえると、顎へのひざ蹴り。
連続で技を決め、あっという間に、1人を倒した。
直後、背後から襲ってくる男の顔面に左手の裏拳。そのまま、回転を利用して、相手の側頭部へのハイキック。
日常のもっさりとした近藤とは別人のようだ。
2人目を倒したが、近藤の快進撃は、ここで終わった。
背後からタックルを食らい、プラットフォームに押えこまれる近藤。
男は近藤に馬乗りになり、殴りかかる。
山村も男に飛びかかるが、簡単にあしらわれてしまう。
鈴木の方を見ると、プラットフォームにしゃがみ込み放心状態になっていた。
別の男が、山村を押し倒した。そして、馬乗りに覆いかぶさる。
「俺たちは痴漢であって、強姦魔じゃないんだけど、お嬢ちゃんたちが悪いんだよ」
「糞ったれ!!!」
喚き抵抗する山村。
それに対して、男は、山村のほほを何度も叩く。
が、山村も簡単には屈せず、激しく抵抗する。
「ずいぶん威勢の良い女だな。こういう女のほうが燃えるんだよな」
そう言うと男は、自分のチャックに手をかけた。
「楽しませてやるよ」
「私も、混ぜてもえらないかな」
突然、女性の声が聞こえた。
近藤たちから少し離れたところに、大きなスポーツバックを背負った長身のポニーテールの女子高生が立っていた。
セイラー服を着ているところと胸の校章から、三鷹女子学院の生徒だということが判る。
三鷹女子学院は多摩では、歴史ある名門の女子校で、そこで通っている生徒は、真正のお嬢様で、上品でお淑やかな人が多いと言われている。だが、この少女は、活動的でカッコイイ感じだ。
男たちは手を止め、女子高生に視線が集まる。
少女は、何も言わず、自分の懐に右手を入れると、銃を抜き出し、撃った。
乾いた銃声が響く。そして、私の上に馬乗りになっている男の眉間から血が流れ、倒れた。