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第44話 最強の一撃

崩れた山道には、まだ熱気が漂っていた。


グランの光線を正面から受け止めたディモスは、分厚い岩の装甲に包まれたまま、自分の身体を見下ろしている。表面には大きな亀裂が走り、あちこちが赤黒く焼け焦げていた。


「……むう」


ディモスは試しに腕を動かした。だが、岩の装甲は相変わらずびくともしない。


「やはり重いな」


「ですから、解除してくださいと言っているんです!」


ロザリアの声には、すっかり疲労が滲んでいた。


「……なるほど。確かに、それも一つの手か」


「最初からそう申し上げています!」


ディモスは頷くと、全身を覆う《アースアーマー》へ意識を向けた。


直後、岩の装甲に無数の亀裂が走った。巨大な岩塊が次々と剥がれ落ち、足元へ崩れ落ちていく。周囲に轟音が響き、舞い上がった土煙が再び視界を覆った。


やがて、その中からディモスが姿を現した。


「……おお!」


両腕を回し、軽く足踏みをする。


「動くぞ!」


「……当たり前です」


ロザリアは小さく呟いた。


「しかし、なるほどな。鎧を解除すると、重力の影響もなくなるのか」


「……はい?」


「あの巨人、どうやら俺の鎧に重力を集中させていたらしい」


「いえ、それは……」


「だが、仕組みさえ分かれば恐れることはない!」


ディモスは満足そうに笑う。


ロザリアは何か言いかけたが、結局口を閉じた。


解除した途端に動けるようになったのだから、原因は鎧そのものではないか。そう説明すれば済む話なのだが、ディモスは既にグランへ意識を戻している。


「……もう、何でもいいですから、戦うのをやめてください」


「それは無理だな」


「どうしてですか!」


「まだ決着がついておらん!」


ディモスはそう言うと、グランへ向かって歩き始めた。


「おい! まだやるつもりかよ!」


ロディオが声を上げる。


「当然だ!」


「いや、今の光線で十分だろ!」


「何を言う。あれほどの攻撃を使う相手だぞ。ますます戦ってみたくなったわ!」


「……もう駄目だ、こいつ」


ロディオは頭を抱えた。


一方、グランは動かずにディモスを見下ろしていた。


メルディアが攻撃を止めるよう指示していたため、自分から追いかけることはしていない。しかし、ディモスが再び近づくと、その大きな腕がゆっくりと持ち上がった。


「グラン! 無理しないで!」


メルディアが呼びかける。


「危なくなったら離れて!」


グランは短く顔を向けた。


だが、次の瞬間にはディモスが踏み込んでいた。


「さあ、続きだ!」


拳と拳が激突した。


◇


天界では、オルディナが一枚の観測記録を前に、眉を寄せていた。


「……やはり、おかしいですね」


そこに表示されているのは、一人の人間に与えられた特殊職の情報だった。


《光と闇の聖女》。


以前から気になっていた職業である。


通常の《聖女》とは異なり、職業レベルの上昇に伴って祝福の出力が異常なほど増大する。しかも、職業レベルが変わっていないにもかかわらず、出力が変動する現象まで確認されていた。


オルディナは以前の記録を見返した。


職業Lv43の時点で、観測された出力は約10.1倍。


ところが、その後に観測した数値は約12.1倍へ変化していた。


職業レベルは同じだった。


「……精神状態が関係している、という可能性は考えていましたが」


オルディナは現在の数値へ目を戻した。


ルシエラの職業レベルは48。


職業レベルが上がれば、祝福の出力も強まる。それ自体は不思議ではない。


しかし、観測されている数値は、以前の記録から大きく跳ね上がっていた。


「……六十倍近い?」


何かの間違いかと思い、もう一度確認する。


表示は変わらなかった。


それどころか、数値はゆっくりと揺れ動いている。


「……フィルネラ!」


少し離れた場所にいた女神が顔を上げた。


「なに?」


「こちらへ来てください。以前の特殊職の件です」


「ああ、ルシエラ?」


「はい。少し気になることが起きています」


フィルネラが隣へやってくると、オルディナは観測結果を示した。


「現在、職業Lv48です。ところが、祝福の出力が……」


「うん」


「六十倍近い値が観測されています」


「へえ」


「……へえ、ではなく!」


オルディナは思わず声を大きくした。


「以前も、精神状態によって出力が変わった可能性がありましたよね?」


「そうだったね」


「今回は、その変化がさらに大きくなっています」


フィルネラは表示を覗き込んだ。


「本当だ。ずいぶん強くなったね」


「問題はそこではありません! 職業レベルが変わらないのに、出力がこれだけ変動しているんです!」


オルディナは新しい観測記録を開いた。


「しばらく、変化を追ってみましょう」


◇


グランの拳が、ディモスの頭上を通り過ぎた。


ディモスは身を屈めてかわし、そのまま巨体の脇へ回り込む。だが、反撃の拳を繰り出そうとした瞬間、グランの足が素早く踏み替えられた。


「……むっ!」


巨大な腕が戻ってくる。


ディモスは咄嗟に両腕を交差させ、拳を受け止めた。


凄まじい衝撃が走り、足元の岩盤が砕ける。


「ぐっ……!」


そのまま数歩押し戻された。


「……ははっ!」


ディモスは笑った。


「いいぞ! ますます良くなっている!」


グランは止まらない。


先ほどまでなら、大きく腕を振った後にわずかな隙があった。巨体を動かす際の重心移動にも、多少のぎこちなさが残っていた。


しかし、今は違う。


足を踏み出す動作と、拳を振るう動作が滑らかにつながっている。攻撃をかわされても姿勢を崩さず、次の動きへ移るまでが明らかに速くなっていた。


ディモスが側面へ回り込んでも、グランは身体を回して追ってくる。


拳を受け流して懐へ入り込んでも、すぐに反対側の腕が迫った。


「……なるほどな」


ディモスの笑みが深くなる。


「ようやく本来の力を取り戻したか!」


その言葉が正しいことを、ディモス自身は知らなかった。


グランの内部では、覚醒以来続いていた機能の回復が、ついに完全な状態へ到達していた。


関節の動き、姿勢の制御、攻撃への反応。


それまで少しずつ改善してきた動作が、ようやく本来の性能を発揮し始めている。


だが、ディモスにとって重要なのは、その仕組みではなかった。


「……面白い!」


グランが踏み込んだ。


拳が振り下ろされる。


ディモスは身体をひねってかわしたが、続く横薙ぎの腕を完全には避けられなかった。


「っ!」


両腕で受けた瞬間、身体が大きく吹き飛ばされた。


背後の岩壁へ叩きつけられ、岩が砕け散る。


「ディモス!」


ロザリアが声を上げた。


しかし、土煙の中からすぐに笑い声が響いた。


「ははははっ!」


ディモスは崩れた岩を払いのけながら立ち上がる。


「素晴らしい! ここまでの相手とは思わなかったぞ!」


その様子を見ていたメルディアは、杖を握りしめていた。


「……グラン」


グランは確かに強くなっている。


しかし、ディモスもまた、あれほどの攻撃を受けながら立ち上がってくる。


このまま戦いが続けば、どちらかが倒れるまで終わらないのではないか。


そんな考えが頭をよぎった。


「……もう、やめてよ」


メルディアの小さな声は、戦場の轟音にかき消された。


◇


ディモスはグランを見上げながら、ゆっくりと息を吐いた。


「……ふむ」


腕には、先ほどの衝撃がまだ残っている。


素手での攻撃も、決して通じていないわけではなかった。だが、今のグランは一撃を受けても姿勢を崩さず、すぐに反撃してくる。


いくら懐へ入り込んでも、十分な打撃を重ねる前に押し戻されてしまう。


「……ここまでか」


ディモスは呟いた。


「何がですか!?」


遠くからロザリアが叫ぶ。


「素手での戦いだ!」


「でしたら、もう終わりに――」


「そろそろ、本来の武器を使わせてもらおう!」


「……どうしてそうなるんですか!」


ディモスはロザリアの声を聞き流し、大型の戦斧を取り出した。


その刃は、普通の人間が両手で扱う武器とは比較にならないほど大きかった。柄も太く、ディモスの巨体に合わせて作られた重厚な武器だった。


「……おい」


ロディオが目を見開いた。


「あの人、今まで素手だったよな?」


「……うん」


メルディアも表情を強張らせた。


「まだ武器を持ってたんだ……」


エイルは盾を構え直した。


「あれを使われたら、グランが危ない」


ディモスは戦斧を片手で持ち上げると、軽く振ってみせた。


その動きだけで周囲の空気が震え、足元に散らばっていた小石が転がった。


「……よし」


満足そうに頷く。


「では、改めていくぞ!」


グランが腕を持ち上げる。


ディモスは真正面から踏み込み、戦斧を振り下ろした。


巨人の拳と巨大な刃がぶつかった。


轟音が響く。


グランの腕が押し下げられ、ディモスの足元でも岩盤が砕け散る。


「ははっ! やはり武器があると違うな!」


ディモスは斧を引き、続けて横から斬り込んだ。


グランは身体を回して攻撃をかわそうとしたが、刃が胴の外側を捉えた。


鈍い音が響き、巨体が揺れる。


「グラン!」


メルディアが叫んだ。


グランは一歩後退したものの、倒れなかった。すぐに拳を振り下ろし、ディモスへ反撃する。


ディモスは斧の柄で受け流し、身体を回転させながら再び刃を振るった。


拳と斧が何度も激突する。


そのたびに岩が砕け、地面に亀裂が広がっていく。


もはや周囲には、山道らしいものはほとんど残っていなかった。


◇


「……困りましたね」


ロザリアは目を閉じたまま、戦いの音へ意識を向けていた。


ディモスが戦斧を取り出した以上、これまで以上に危険な戦いになることは分かっている。


しかし、それとは別に、先ほどから気になっていることがあった。


《アースアーマー》の異常な厚み。


本来の威力を大きく超えているように見えたメルディアの攻撃魔法。


そして、今も山道を破壊し続けているディモスとグランの戦闘。


(……何か、おかしいですね)


ディモスは元々強い。


それはロザリアもよく知っている。


だが、先ほどの《アースアーマー》は、本人でさえ扱いきれないほど異常なものだった。


(……神魔大戦時代の遺跡)


今回、二人が調査に派遣された理由を思い出す。


この山脈には、古い戦争に関係する遺跡が存在するという噂があった。


もし、その周辺に何らかの魔力の影響が残っているのだとしたら。


(……能力が異常に強まることも、あるのでしょうか)


もちろん、確証はない。


そもそも遺跡そのものをまだ確認できていないのだから、原因と決めつけるわけにはいかなかった。


それでも、これ以上ここで戦わせるのは危険だ。


「ディモス! もう十分ではありませんか!」


「何を言う!」


ディモスは戦斧を振るいながら答えた。


「これほどの相手、そう簡単に出会えるものではないぞ!」


「だからといって、命を懸ける必要はないでしょう!」


「相手はあの巨人だ! おそらく、魔神の先兵か何かだろう!」


「……はい?」


「重力を操り、強烈な光線を放ち、この巨体であれほど動く! 古代の魔神に仕える存在だとしても不思議ではあるまい!」


ロザリアは言葉を失った。


確かに、この巨人が普通の生物ではないことは分かる。


しかし、そこから魔神の先兵だと結論づける理由が理解できない。


「……ディモス、それは確認できていませんよね?」


「戦えば分かる!」


「それでは何も分からないでしょう!」


「少なくとも、強いことは分かったぞ!」


「……もう嫌です」


ロザリアは深いため息をついた。


少し離れた場所では、エイルたちもディモスの戦斧を警戒し、ロザリアへの攻撃を控えていた。


今は彼女の障壁を破ろうとしている場合ではない。


グランとディモスの戦いが、あまりにも激しくなりすぎていた。


◇


「……また上がりました」


オルディナは観測結果から目を離せなくなっていた。


フィルネラも隣で同じ表示を見ている。


「さっきより強いね」


「はい。しかも、職業レベルは48のままです」


「じゃあ、やっぱり気持ちの問題かな?」


「その可能性が高くなってきました」


オルディナは過去の記録と現在の推移を重ね合わせた。


以前、ルシエラの職業レベルが変化しないまま、祝福出力が約10倍から約12倍へ変わったことがあった。


あの時は、比較的小さな変化だった。


しかし、今回は違う。


先ほど六十倍近かった出力が、職業レベルは変わらないまま、さらに揺れ動いている。


それも、一定ではない。


一度上がった数値が少し下がり、また上がる。


何かに反応するように、絶えず揺れ動いていた。


「……精神状態が変化するたびに、出力まで変わっているとすれば」


「うん?」


「この職業、私たちが思っていたよりずっと危険なものかもしれません」


フィルネラは首を傾げた。


「でも、強くなるだけでしょう?」


「強くなるだけ、という程度ではないんです!」


オルディナは現在の数値を指した。


「通常の聖女の祝福がどのくらいか、覚えていますか?」


「一・二倍くらい?」


「そうです。それに対して、こちらは既に何十倍もの出力が出ています」


「すごいね」


「ですから、すごいで済ませないでください!」


フィルネラは少し考えた。


「……じゃあ、もっと強くなったらどうなるの?」


オルディナは答えようとして、口を閉じた。


そして、再び観測装置へ目を向ける。


「……それを、今から確かめることになるかもしれません」


◇


ディモスは戦斧を振り抜いた。


グランが大きな腕で受け止める。


衝突した瞬間、周囲の岩盤が一斉に砕け散った。


「……ぐっ!」


ディモスは歯を食いしばった。


武器を使い始めてから、攻撃の威力は確かに増している。


だが、グランは倒れない。


斧を受けても踏みとどまり、時には腕を使って刃の軌道を逸らしてくる。攻撃をかわされればすぐに反撃され、ディモスも簡単には懐へ入り込めなくなっていた。


さらに、グランの動きにはもう迷いがなかった。


大きな拳が左右から迫る。


ディモスは斧の柄で片方を受け、もう片方を身を屈めてかわした。


だが、その直後、グランの膝が跳ね上がった。


「……っ!」


まともに受ければ危険だ。


ディモスは咄嗟に後方へ跳んだ。


しかし、完全には間に合わなかった。


衝撃が身体を捉え、ディモスは地面を何度も転がった。


「……ははっ」


崩れた岩の中から立ち上がる。


息は荒い。


身体のあちこちに傷も増えていた。


それでも、笑みは消えていなかった。


「……強い」


ディモスは戦斧を握り直した。


「本当に、強いな……!」


グランは無言のまま踏み込んでくる。


今度はディモスが正面から斧を振り上げた。


だが、グランは攻撃の軌道を見て、半歩だけ身体をずらした。


刃が外れる。


その隙に巨大な拳が迫った。


「……っ!」


ディモスは柄で受け止めたものの、今度は踏ん張りきれなかった。


大きく押し戻され、背後の岩壁へ激突する。


轟音とともに岩が崩れ落ちた。


「……まずいな」


エイルが呟いた。


「グランが押してるのに、まだ戦うつもりだ」


ロディオも表情を強張らせた。


「……あの人、もう引く気ないだろ」


メルディアは戦場へ一歩踏み出した。


「グラン! もういいよ! こっちに戻って!」


その声に、グランがわずかに顔を向ける。


だが、その時だった。


「……見事だ」


ディモスが、崩れた岩の中から歩み出てきた。


その顔には、これまでとは違う真剣な表情が浮かんでいた。


「ここまで追い込まれたのは、久しぶりだ」


巨大な戦斧を両手で握る。


「……ならば、こちらもすべてを懸けねば失礼というものだな」


ロザリアの表情が変わった。


「……ディモス?」


ディモスは答えない。


静かに息を吸い、斧を構える。


その姿勢を見た瞬間、ロザリアは何をしようとしているのか理解した。


「……待ってください」


杖を握る手に力が入る。


「まさか、あの技を……?」


ディモスは楽しそうに笑った。


「これほどの相手だ。使わずに終われるものか!」


「駄目です! こんな場所で使ったら、周りまで巻き込んでしまいます!」


「分かっている!」


その返答には、迷いがなかった。


「だが、今使わずして、いつ使う!」


◇


異変に最初に気づいたのは、ロディオだった。


「……おい」


周囲の空気が震えている。


ディモスの足元に散らばっていた小石が、ひとりでに動き始めていた。


「……何だ、これ」


メルディアも杖を握り直した。


「……魔力が、集まってる?」


ディモスは斧を構えたまま、動かない。


その身体に込められた力が、巨大な武器へと集中していく。


足元の岩盤がひび割れ、細かな石片が浮き上がった。


「……まずい!」


エイルが叫んだ。


「みんな、ルシエラのところへ!」


ロディオが即座に駆け戻る。クラウスもルシエラのそばへ寄り、メルディアの腕を引いた。


「メルディア、戻るんだ!」


「でも、グランが!」


「今は危険すぎる!」


メルディアは振り返った。


グランはディモスの正面に立ち、大きな腕を構えている。


「グラン! 逃げて!」


叫ぶ。


「もう戦わなくていいから!」


しかし、ディモスは既に斧を振り上げていた。


「……来るぞ!」


エイルが盾を構える。


ルシエラも両手を握りしめた。


《絶対防御領域》はまだ維持されている。


仲間たちが自分の近くへ集まっていることを確認しながら、ルシエラはグランへ目を向けた。


「……グラン!」


離れた場所にいる巨人までは、領域が届かない。


「お願い、こっちに――!」


その言葉が終わるより早く、ディモスが踏み込んだ。


「《天地断砕》!!」


巨大な戦斧が振り下ろされた。


◇


世界が、白く染まった。


斧の一撃がグランへ叩き込まれた瞬間、凄まじい衝撃が周囲へ広がった。


轟音。


それに続いて、大地そのものが裂けるような音が響いた。


山肌が砕け、岩盤が抉り取られる。


猛烈な熱と衝撃が周囲へ広がり、斜面に生えていた木々が一瞬で薙ぎ倒された。さらに外側の樹木も熱波に飲み込まれ、枝葉が焼け落ちていく。


巨大な岩塊が空中へ吹き上がり、次々と砕け散った。


衝撃は山の斜面を駆け上がり、離れた尾根にまで達する。


山道は完全に消滅した。


それまで岩壁だった場所は大きく削り取られ、地面には深い亀裂が走る。剥き出しになった岩盤の一部は熱で赤く輝き、砕けた石と土砂が黒く焼け焦げていた。


周囲の森は広範囲にわたって吹き飛び、地表には焼けた大地が広がっていく。


山脈の一角が、焦土へと変わっていた。


その凄まじい破壊が押し寄せる中に、ルシエラたちもいた。


「……っ!」


エイルは盾を構えたまま、息を止めていた。


目の前を猛烈な熱と衝撃が通り過ぎていく。


しかし、《絶対防御領域》の内側では、何も壊れなかった。


飛来した岩塊は領域内に損傷を生じさせず、その外側の大地を激しく破壊していく。


五人は無傷だった。


だが、彼らの周囲にあった山道も岩壁も、ほとんど原形を留めていなかった。


少し離れた場所では、ロザリアが杖を握りしめていた。


「……くっ!」


自身の防御領域が凄まじい衝撃を受け止め、激しく揺らいでいる。熱波と岩片の大半は障壁に防がれたが、足元の岩盤まで守ることはできない。押し寄せる圧力に地面が崩れ、杖を突いて踏みとどまった瞬間、背後の斜面が崩れて身体が大きく傾いた。


「……ディモス……!」


障壁の一部が砕けた。そこから吹き込んだ熱風が袖を焼き、飛び込んできた石片が額を切る。ロザリアはとっさに顔をかばったが、次の衝撃で足を払われ、岩場に肩から叩きつけられた。


「っ……!」


すぐに防御領域を張り直そうとしたものの、崩れ続ける地面に足場を奪われ、起き上がるだけで精一杯だった。やがて長く続いた轟音が少しずつ収まり、黒い土煙が辺りを覆った。


ロザリアは岩に手をついて立ち上がった。額からは血が流れ、片方の袖は焼け落ちている。肩を動かすと鋭い痛みが走ったが、どうにか杖は握れた。


◇


「……何ですか?」


天界で、オルディナが顔を上げた。


観測装置の数値が揺れている。


「……また上がった?」


フィルネラが尋ねる。


「……いえ」


オルディナは慎重に表示を確認した。


確かに数値は変動している。


だが、今のところ、これまでと同じ範囲の変化だった。


「まだ、極端な変化ではありません」


「そっか」


「それでも、この出力が継続していること自体がおかしいんですけれど……」


オルディナは記録へ新しい数値を残した。


そして、現在の職業レベルを改めて確認する。


48。


変わっていない。


「……やはり、職業レベル以外の要因がある」


その時、観測装置の出力表示がわずかに揺れた。


オルディナは顔を上げた。


「……?」


何かが起ころうとしていた。


◇


土煙が少しずつ晴れていく。


エイルは盾を下ろし、周囲を見回した。


「……何だよ、これ」


目の前には、見覚えのない景色が広がっていた。


山道は消え、岩壁は削り取られ、周囲の木々は黒く焼け焦げている。


遠くまで続いていた斜面の形さえ変わっていた。


「……みんな、大丈夫か?」


クラウスが声を掛ける。


「僕たちは無事です。ルシエラの防御領域が守ってくれました」


「……よかった」


ルシエラは小さく息を吐いた。


しかし、その直後、メルディアが声を上げた。


「……グラン?」


誰も答えなかった。


メルディアは崩れた岩場の向こうへ目を向けた。


そこに、巨大な影があった。


「……グラン!」


メルディアが走り出した。


「待て、メルディア!」


エイルが呼び止めたが、彼女は止まらなかった。


グランは、崩れた大地の上に横たわっていた。


あれほど大きかった巨体は、もはや立ち上がることもできないほど深く損傷している。


身体の一部は大きく破壊され、残された腕も動かなかった。


「……グラン?」


メルディアは駆け寄り、巨体のそばに膝をついた。


「……ねえ」


手を伸ばして触れる。


「……もう、終わったよ」


返事はない。


「だから、起きて」


グランは動かない。


「……グラン?」


メルディアはもう一度呼びかけた。


「……起きてよ」


それでも、何の反応もなかった。


遅れて駆けつけたクラウスが、グランの状態を確認し始める。


ルシエラもその隣へ座り込み、震える手で杖を握った。


「……治すから」


ルシエラは声を絞り出した。


「グラン、今、治すからね」


回復魔法が巨体へ注がれる。


しかし、グランは動かなかった。


クラウスも治療を試みる。


それでも、反応はない。


メルディアはグランの大きな手を両手で握りしめた。


「……どうして」


声が震えていた。


「……さっきまで、元気だったのに」


誰も答えられなかった。


グランの生命活動は、既に停止していた。


◇


一方、崩壊した岩場の中央には、ディモスが立っていた。


大型戦斧を握ったまま、わずかに身体を揺らしている。全身には焼けた痕と岩片による傷が残り、呼吸のたびに胸が痛んだ。あの一撃で周囲へ炸裂した熱と衝撃を、最も近くで浴びたのもディモス自身だった。


「……は……はは……」


口元には、笑みが浮かんでいた。


「……やったか」


目の前には、倒れたグランの姿がある。


あれほどの強敵が、とうとう動かなくなった。


「……見事な……相手だった……」


ディモスは満足そうに呟いた。


だが、その身体は既に限界を超えていた。異常なほど強化された肉体でさえ、山脈の一角を焦土に変えた一撃の余波に耐えきれなかったのだ。


ディモスの膝が折れる。


「……む」


戦斧が手から離れ、地面へ落ちた。


「……これは……」


身体を支えようとしたが、腕に力が入らない。


「……少々……やりすぎたか……」


ディモスは最後まで笑っていた。


そして、そのまま前のめりに倒れた。


二度と動かなかった。


◇


「……ディモス?」


ロザリアは、崩れた岩場の向こうへ呼びかけた。


返事がない。


「……ディモス!」


ロザリアは痛む肩を押さえ、崩れた岩場を進んだ。焼けた袖が傷に触れるたびに顔をしかめたが、足を止める気にはなれなかった。


やがて、倒れたディモスの姿を見つけた。


「……そんな」


ロザリアは駆け寄り、そのそばに膝をついた。


「ディモス、返事をしてください」


身体へ手を伸ばす。


「……冗談ですよね?」


返事はなかった。


ロザリアは震える手で、ディモスの状態を確かめた。額から落ちた血が頬を伝ったが、拭おうともせず生命反応を探す。


そして、表情を凍らせた。


「……どうして」


あれほど戦いをやめるよう言ったのに。


何度も止めようとしたのに。


結局、最後まで人の話を聞かなかった。


「……馬鹿な人」


ロザリアは俯いた。


「……本当に、どうして……」


しばらく、その場から動けなかった。


◇


「……あれ?」


フィルネラが声を上げた。


オルディナはすぐに顔を上げた。


「どうしました?」


「これ、上がってない?」


「……え?」


観測装置へ目を戻す。


その瞬間、オルディナは息を呑んだ。


「……何ですか、これ」


祝福の出力が上昇していた。


それも、先ほどまでとは比較にならない速さで。


「……百倍?」


数字が変わる。


「……二百……?」


さらに上がる。


「……ちょっと、待ってください!」


オルディナは慌てて職業レベルを確認した。


職業レベルは48のままだ。それなのに、観測される出力だけが急激に上がっている。


「……そんな」


出力は止まらない。


三百。


四百。


そして、さらに。


「……どうなっているんですか!?」


フィルネラも観測装置を覗き込んだ。


「……すごいね」


「すごいどころではありません!」


オルディナは表示された数字を見つめた。


職業レベルが変わらない以上、成長による出力の増加とは考えられなかった。


もし、以前から疑っていた精神状態による変化が本当だとすれば。


「……何が起きたんですか?」


オルディナは呟いた。


「いったい、何があれば……ここまで……」


◇


「……ルシエラ」


エイルが声を掛けた。


しかし、ルシエラは答えなかった。


グランのそばに座り込み、動かなくなった巨体を見つめている。


メルディアは泣いていた。


「……ごめんね」


グランの手を握ったまま、何度も謝っていた。


「……私が、連れてきたのに」


声が震える。


「……ちゃんと、守ってあげられなくて……」


ルシエラはその姿を見つめていた。


グランが目を覚ました時のことを思い出す。


メルディアの言葉に反応し、大きな身体を動かしていた。


傷を治すと、少しずつ元気になっていった。


荷物を運び、一緒に山道を歩いていた。


まだ何も分かっていないことばかりだった。


これから、もっといろいろなことを知っていけると思っていた。


なのに。


「……どうして」


ルシエラの目から、涙が零れた。


「……私、守りたかったのに」


自分には、みんなを強くする力がある。


仲間を傷つけないための防御魔法もある。


何度も、みんなを守ってきた。


それなのに。


「……グランも、守ってあげたかった……」


ルシエラは俯いた。


「……ごめんね」


その言葉とともに、胸の奥から強い感情が溢れ出した。


悲しみ。


後悔。


そして、もう一度だけでも助けたいという、どうしようもない願い。


《光と闇の祝福》は、まだ発動していた。


戦場では双方が大切な存在を失い、誰もすぐには次の攻撃へ移れなかった。だが、敵対した者同士が向き合うこの場の緊張は、まだ解けていない。


そして、その祝福の出力が、さらに上昇していった。


◇


「……フィルネラ」


オルディナの声が震えていた。


「……はい?」


「これ……まだ上がっています」


フィルネラが観測装置を覗き込む。


「本当だ」


「……九百倍を超えています」


オルディナは呆然と数字を見つめた。


先ほどまで六十倍近かった出力が、今は千倍に迫ろうとしている。


職業レベルは48のまま。数値だけが、異常な勢いで変化していた。


「……あり得ません」


オルディナは小さく呟いた。


「もし精神状態が関係しているなら……ここまで変わるというのですか……?」


表示はまだ揺れ動いている。


フィルネラはしばらく数字を眺め、それから首を傾げた。


「……ルシエラ、何かあったのかな?」


「……分かりません」


オルディナは、観測記録へ視線を落とした。


「ですが……」


もう一度、異常な数値を確認する。


「……これは、ただの祝福ではありません」


二人の女神は、その変化から目を離せなくなっていた。


そして、地上では。


倒れたディモスのそばで、ロザリアがゆっくりと顔を上げていた。


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