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『十人目の証言』  作者: くろめがね


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1/8

第一話 近所の男の証言

第一話です。

――音声記録・文字起こし①


 質問:彼を知っていましたか。


「ええ、隣の部屋でしたから。

 あのアパート、古いでしょう。

 玄関のドアを閉める音で、

 誰が帰ってきたかなんとなくわかるくらいで」


「俺、

 最初はあの人のこと、

 学生さんかなって思ってたんですよ。

 夜も静かだし、

 荷物も少なかったし」


「……まあ、

 完全に外れでしたけど」


(小さく笑う)


「でも、

 生活音がほとんどしない人でした。

 料理の匂いもしないし、

 テレビの音も聞こえない」


「逆に、

 こっちが夜中にインスタントラーメン作ると、

 ちょっと申し訳なくなるくらいで」


 質問:どんな印象でしたか。


「優しい人でしたよ」


(すぐに続けず、間)


「……いや、

 優しいって言葉、

 後からだと何にでも当てはまりますよね」


「本当は、

 踏み込まない人、

 っていう方が近いかもしれません」


「ゴミ捨て場でよく会ったんです。

 朝の時間が同じで」


「俺、

 冬に手袋忘れて、

 袋が開かなくて困ってたことがあって。

 あの人、

 自分の袋先に出してから、

 黙って手伝ってくれたんです」


「……ああいうの、

 わざとらしくないから

 余計に覚えてるんですよね」


「そういえば、

 一回だけ缶コーヒーもらったことがあって」


「俺が二日酔いで

 階段の下に座ってたら、

 “これ、温かいですよ”

 って置いていって」


「……いや、

 別に仲良かったわけじゃないんですけど」


 質問:会話は多かったですか。


「挨拶くらいですね。

 “寒いですね”とか、

 “今日は風が強いですね”とか」


「でも、

 沈黙が気まずくない人でした」


「これ、

 うまく言えないんですけど、

 同じ空間にいて

 何も話さなくても平気な人って、

 あんまりいないんですよ」


 質問:怒っているところは。


「見たことないです。

 上の階の夫婦が夜中に喧嘩して、

 壁が揺れるくらい音がしてた日も、

 何も言わなかった」


「俺なんか、

 つい天井叩いちゃうタイプなんですけどね」


「……あの人は違った」


「関わらないって、

 最初から決めてる人でした」


 質問:夜、外出は多かったですか。


「散歩してました。

 九時とか十時とか、

 イヤホンして」


「急いでる感じじゃないんです。

 ……時間を確かめながら歩いてるみたいで」


「一回、

 靴が泥だらけで帰ってきた日があって。

 俺、

 “川沿いでも歩いてきたんですか?”

 って聞きかけて、

 やめたんですよ」


「……踏み込むの、

 なんとなく違う気がして」


 質問:誰かと揉めていた様子は。


「……一度だけ、ありました」


(長い間)


「女の人でした。

 焦ってる声で、

 “約束が違う”って」


「全部は聞こえてません。

 でも、

 あの人の声、

 すごく小さくて」


「……ああいうとき、

 怒鳴らない人って

 逆に怖いなって思ったんです」


「俺、

 なんとなくドア閉めちゃって」


 質問:彼を最後に見たのは。


「二日前ですね。

 ゴミ袋が破れて、

 一緒に拾ったんです」


「そのとき、

 ……肩の力が抜けてた」


「前は、

 少し周りを気にして歩いてたのに、

 その日は

 まっすぐ前見てて」


 質問:安心しているように見えましたか。


「安心ではないです」


「……でも、

 もう迷ってない顔でした」


(静かな呼吸音)


「引っ越す人とか、

 仕事辞めたあととか、

 たまに見るんですよ、

 ああいう顔」


「だから、

 そのときは何も思わなかった」


「ただ、

 少し静かだな、って」


 質問:ありがとうございました。


――音声記録①終了


誤字脱字はお許しください。

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