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03 絶品親子丼

 

 何度も拒否したというのに、結局俺は双子に風呂場へと引き摺り込まれた。そのまま、野良犬でも洗うみたいに全身を揉みくちゃにされる。



「なんだ、このギシギシな髪の毛は。十年洗われてないカーペットみたいな触り心地だぞ」

「それよりも、このぷよぷよな下っ腹はなんだ。まともなものを食べてこなかったな」



 よるくもとひるくもが口々に悪口を言ってくる。俺は泡だらけになったまま、風呂場に反響するぐらい甲高い声で叫んだ。



「うるせぇ! お前ら出てけよっ!」



 何が悲しくて十以上も年下の男に、裸の品評されなくてはならないのか。


 俺が顔を真っ赤にして荒い息をついていると、双子はこれ見よがしにため息を漏らした。



「お前は一人だと自分のこともまともにできないだろう」

「面倒を見てやってるんだから、ギャンギャンと文句を言うな」



 ひどい言い様だ。言い返そうと口を開いた瞬間、頭から大量の冷水をぶっかけられた。ぶわっ、と声をあげて、血管がキュッと収縮する冷たさに身体を丸める。



「何しやが――」

「あんまり騒ぐようなら水に沈めて喋れなくするぞ」

「僕ら、物分かりの悪い人間は嫌いだ」



 喚こうとした途端、氷のような冷たい声が突き付けられた。顔の左右から、双子が俺をじっと凝視している。その穴ぼらのような暗い瞳に、咽喉が窄まって声が出なくなった。


 黙り込んだ俺を見ると、双子は満足そうにうなずいた。そのまま髪を泡で洗い、身体をタオルで優しく擦っていく。まるで外の世界でついた垢や汚れを一つ残らず取り除くような丁寧な動きだった。俺が静かにしている間は、双子の手付きは怖いくらい優しかった。


 冷水を浴びせられた身体に、そっとお湯がかけられる。じんわりと染み込むぬくもりに、どうしてだかぶるりと皮膚が震えた。









 屈辱のバスタイムが終わると、茶の間に通された。


 ほかほかの身体で大きなちゃぶ台の前に座り込むと、すぐさま目の前に出来たての親子丼が出された。白身がとろりと半熟になっていて、湯気とともに柔らかな出汁の匂いが立ち上ってくる。付け合わせに、蕪の漬け物と味噌汁が出されているのもポイントが高かった。


 疲れているときに目の前にこの定食が出されたら、それだけで安心して胸がいっぱいになってしまうかもしれないと思った。実際、いま胸がちょっと苦しい。



「母さまが作ってくれたんだ。母さまの親子丼は絶品だ」

「感謝して食べろ」



 ひるくもの誇らしげな声に続いて、よるくもが居丈高な声で言い放つ。


 その声音にムッとしながらも、目の前のとろとろな親子丼の誘惑には耐えられなかった。木製のスプーンを半熟の卵に差し込んで、艶々とした白米と一緒にすくい上げる。そのまま湯気ごと口に放り込むと、途端に卵と出汁と白米が絡み合った。甘くてしょっぱくて、泣きたいくらい優しい味が口の中いっぱいに広がっていく。



「うっ――」



 思わず、うまっ、という声が溢れそうになった。だが、子供みたいな感想を言うのが恥ずかしくて、とっさに言葉が咽喉の奥で詰まる。


 口ごもる俺を、双子はニヤニヤとした眼差しで眺めていた。俺が何を言おうとしたのか分かっている表情だ。その表情が余計に恥ずかしかった。



「……じろじろ見るな」



 不貞腐れた声を漏らしながら、誤魔化すように口の中いっぱいに親子丼を詰め込む。



「素直じゃないな」

「素直じゃないところがオウジのチャームポイントだと思えばいい。誰にでも尻尾を振る犬よりも、自分にだけ懐いている犬の方が可愛いだろ。それと同じだ」



 よるくもの言葉に、ひるくもが適当なことを返す。



「おい、俺は犬じゃねぇぞ……」



 噛み締めるとじゅわりと肉汁が溢れてくる鶏肉を頬に入れたまま、うめくような声をあげる。すると、双子は顔を見合わせた。



「言われなくても、そんなことは分かっている。僕ら、犬は好きだ。犬は可愛いからな」

「お前は、別に可愛くない」



 こいつら俺の心臓で黒ひげ危機一髪でもしてるのか? 心臓をグサグサ刺されすぎて、そろそろこいつらに向かってちゃぶ台を引っくり返しそうだ。


 ちゃぶ台の端っこを掴んだまま、ぐぐぐ、とうなり声を上げていると、ふと襖が開かれる音が聞こえた。茶の間に入ってきたのは、両手に綺麗に折り畳まれた服を持ったメグルだった。



「服乾いたよ。少し破れてるところは、うちの奥さんが直してくれたから」



 足音もなく近付くと、メグルは俺の傍らに畳んだ服を置いた。昼の陽光が射し込む部屋に相応しくない、ラメでギラついた青紫色のスーツだ。



「……どうも」



 俺が言葉少なに頭を下げると、メグルはにっこりと微笑んだ。だが、双子はギラギラと光るスーツを見て、不愉快そうに眉を寄せている。



「目に優しくないな。眩しさで視覚を奪うための服か?」

「とかく悪趣味だ。こんなものを着る者の気が知れない」



 散々な言い様に、横目で睨み付ける。だが、悪趣味だと言われれば、それは否定できなかった。



「仕方ねぇだろうが。昨日は俺の誕生日イベントだったんだから、派手な服を着なくちゃならなかったんだよ」



 言い訳するみたいに言い返す。途端、驚いたようにメグルと双子が目を丸くするのが見えた。メグルが訊ねてくる。



「オウジ、昨日が誕生日だったの?」

「まぁな」

「そっかぁ。分かってたら、ケーキぐらい用意したのに」



 覚えてなくてごめんね。とメグルが眉尻を下げて言う。その申し訳なさそうな表情に、思わず口元に皮肉げな笑みが滲んだ。



「三十六にもなって、今更ケーキでお祝いもねぇだろ」

「そう? ケーキは何歳になっても嬉しいものだろ?」



 メグルが不思議そうな声音で返してくる。俺は曖昧な笑みを浮かべると、鼻で小さく笑った。



「俺は、嬉しくねぇよ」



 そう呟いて、スプーンを器の中に置く。親子丼のどんぶりの中には、もう米粒一つ残っていない。付け合わせの蕪漬けも味噌汁も、綺麗さっぱりなくなっている。



「ごちそうさん。俺、帰るわ」



 わざとぶっきらぼうな口調で言って、立ち上がる。綺麗に畳まれた服を雑に広げて、借りていた服と着替えていく。


 着替え終わると、さっさと玄関の方へ向かった。



「うちの双子が家まで送っていくよ」

「女じゃねぇんだから、送りなんかいらねぇよ」



 靴を履きながら邪険に言い返すが、メグルは小さな子を諭すように首を左右に振った。



「きみは危なっかしいから」



 まるっきり問題児をなだめる教師のような口調だ。その言葉を聞いた瞬間、カッと羞恥が体内を焼いた。込み上げてきた憤怒にも似た羞恥に耐えられず、苛立った声をあげる。



「ガキじゃねぇんだぞ!」



 そう言い返すなり、横開きの玄関扉を勢いよく閉めた。バンッと響く音を聞いて、胸の奥がじんわりと痺れるように痛んだ。



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