第2話 平常心が大切
他の受講者を押しのけるようにして、威勢よく教卓の方へとずんずん進み出てくるバキバロッソさん。俺の講義を熱心に聞いてくれていた前列の数名が、鬱陶しそうにしている。
そう、こういった輩が場を荒らしはじめた場合、即座に対応しなければ真面目に取り組んでくれる人に申し訳が立たない。
俺はあれを実行するために、バキバロッサ氏を観察しつつ深呼吸をした。講義教室の上部側面にある小窓から、外の空気が流れ込んでいるのがわかる。
「オラァァ! オレ様を止めてみやが――ぅぴょ!?」
「いよっと」
勢いよく俺の胸倉をつかんだバキバロッソくんの腕を、上回る力でぐいっと握り込む。そしてそのまま横から足払いし、腕を支点にして一回転させる。いわゆる人間扇風機状態。
てかうぴょって、見た目の割りに可愛い驚き方するな。
「テ、テメェ今なにを――」
「はい、今のが【スタンダードスキル】の《身体強化》ですね。俺みたいな普通体形じゃ、本来バキバロッソくんのような大男は持ち上げることすらできません。が、スキルを使うことで今のようにぶん回すことすら可能になります」
呆気にとられた様子の彼を無視して続ける。
合間に、すかさず深呼吸。
「座学も飽きたでしょうから、スキルの実践からどんどんいきましょう。バキバロッソくん、サンドバ……相手になってくださいね」
「なんでオレ様が――ぎゃああああああああ!?」
バキバくんの抗議を無視して、スキル《手指強化》を実行。
今度はつかんでいた彼の腕を、強化された握力で軽く握る。
「いでェェ!? 骨、骨がぁぁァァ!?」
「はい、このように体内で生成された【魔力】を手、指先に集中させることで握力が強化され、バキバロッソくんの屈強な腕もポッキリと折ることが――」
「やめ、やめてやめてぇぇ!? オ、オレ様が悪かった、悪かったからぁぁ!!」
「……オレ様?」
「ぼ、ぼぼ僕、いやわたくし、わたくしめがわるうござんしたぁぁぁぁ!!」
「反省して謝れるというのは素晴らしいですね。ではこの調子でどんどんスキルを実践していきましょう」
「ひ、ひいいぃぃィィ!?」
そのまま俺は泣き喚くバキバロッソくんをサンドバックに、実践の講義を続けることにした。
「まず大前提として、スキルや魔法を発動させるには魔力が必要です。魔力は、呼吸によって体内に取り込まれる【魔元素】によって《《自動的に》》作られます。なので常に危険と隣り合わせの冒険者は、あらゆる局面で平常心で呼吸を絶やさないことが大切です。ほらすー、はー。バキバくんもほら、呼吸を止めないようにね」
「いてぇ、いてェんだよぉさっきからぁぁ!」
「おっと、ごめんごめん」
ずっと強化した握力でバキバくんの骨をギシギシさせていたのを忘れていた。
さすがに可愛そうになってきたので腕を離してあげる。彼は半べそ状態でおずおずと自分の席に戻っていった。取巻き連中も青ざめて俯いている。
「あの、先生! 質問があります」
「はい、どうぞ」
仕切り直すように、最前列の若い女の子が挙手する。
先生と呼ばれるのはむず痒いものがあるが、いかんせん『チュートリアラー』は呼び方がはっきりしていない。そのまま呼ばれても長いし、名前で呼ばせるなんてのも馴れ馴れしいし。
なのでまぁ『先生』と呼ばれたら、特に否定などはしないようにしている。
「体内で生成された魔力を、“任意の場所に移動”させるのはどうすればいいのですか?」
「うん、いい着眼点です。これはまず体内の魔力の所在をつかむのが大事です。基本は右胸下の鳩尾辺りに生成されると言われています。そして次は、その魔力をイメージすること」
言いながら、俺は自分の右胸下の辺りに手を当てる。
「皆さんは緊張したりして動悸が激しくなって身体が脈を打ち、熱を持っているような感じになったことがありますか?」
「あります。熱が出たときとか、動悸に合わせてこめかみの辺りが脈打つような……」
「そう、その脈打って熱がある感覚。まずはそれをここ、右胸の下辺りに感じ取れるようなってください」
「あ……なんか、わかったような気がします!」
質問をくれた熱心な彼女の、満面の笑み。
聞き手から一定の理解を得られたときのこの感覚は、この仕事の醍醐味の一つだ。
「で、その熱を感じられたら、脈に乗せて、全身へと熱を運んでいくイメージです。全身に行き渡らせる《全身強化》のスキルはかなり高度で魔力の運用も難しくなるので、まずは腕や足といった箇所で練習するといいと思います」
「はい、わかりました!」
「何度もやって慣れるのが一番の近道です。頑張ってください」
そういった感じで、バキバ氏が暴れた以外は特に何事もなく【新人冒険者向け講習】は終了した。
ふぅー、しゃべり疲れたな。喉も乾いたし食堂でも行くか。
と、遅めの昼食をとろうと講義教室を出たところで、最前列にて講習を受けていた冒険者の子と目が合った。どうやらギルドの受付で、さっそくライセンス発行をしてもらっていたみたいだ。
「先程は丁寧でわかりやすい指導をありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ熱心に聞いてくれたのでやりやすかったです」
ぺこり、と頭を下げてくれた彼女に、俺も軽い会釈で応えた。
彼女のような熱心で真面目な冒険者が、いつかは『勇者』と呼ばれるような偉大な存在になっていくのかもしれないな。
俺は受付の先にある広間、酒場スペースの方へと足を運んだ。
カウンターで注文してしばし待ち、品物を受取って長机の端に座る。
「ユーキ。おつかれ」
「お、シーシャ。お疲れ様」
と、メシを一人もしゃもしゃやっていると、ギルドの受付嬢であるシーシャがやってきた。
彼女は俺がアルネストのチュートリアラーになったのとほぼ同じタイミングで、ここのギルドに配属された。なので勝手に同期のような感覚を持っていて、特に気兼ねなく話せる。
シーシャは俺の前に腰掛けると、さっそく大きなパンにかぶりつく。彼女はいつも、炙ったベーコンとチーズをたっぷり挟んだパンを食べている。顔立ちは整っておりショートカットの似合う大変な美人さんなのだが、今は両頬がぷっくりと膨らんでいて、リスみたいだ。
「今日は新人のライセンス申請が多い。冒険者指導講習は大丈夫だったか?」
「ああ、一人イキったヤツがいたけど、まぁ問題なく」
「春になったから外から来るヤツが増えた。この時期、治安悪くなるからムカつく。受付で待てないヤツにはライセンス発行してやらなければいい」
「はは、確かに」
無表情のまま、感情のこもっていない平坦な声で話すシーシャ。でも顔はずっとリス。なんとも愛らしい。
ここアルネストの冬はなかなか厳しい。だが辺境であるがゆえ、都会に比べると【魔元素】が濃く、魔元素濃度が高いと出現する【ダンジョン】も数多く存在する。
そのため、一攫千金を狙った冒険者志望がこぞってやってくるのが春の風物詩となっている。現代風に言うと、いわゆる繁忙期ってやつだ。
「わたし受付やだ。ユーキと変わりたい」
「シーシャは冒険者の経験ないっしょ。ダメダメ」
「ムカつく。来年こそわたしもギルドに移動願だす」
「まぁまぁ。ギルドの上の人らからしたらさ、シーシャみたいな美人には受付やらせたいんじゃない?」
「美人? もっと言うがいい」
「さすが、謙遜しませんなぁ」
シーシャと軽口を交わしている時間は、なんとも心地がよい。
前世はこんなに異性とテンポよく会話することなどできなかったが、なにせ俺はもはや還暦(中身が)、人生経験が違う。変な汗が出ることもなく、マジで余裕だ(本当だよ?)。
仕事の愚痴も言い合ったりできるので、とてもいいガス抜きになる。
ひとしきり話し込むと、すっかり日が暮れ始めていた。
「さて、夕方の見回りに行くとしますか」
「いってらっしゃい」
「おう。シーシャも事務作業がんばってな」
「うん。ありがと」
シーシャに見送られながらギルドを出て、俺は夕暮れの郊外へと歩き出した。
それにしてもシーシャのやつ、いつも無表情だよなぁ。
笑った顔を見たことがない気がするけど、ちゃんと人生楽しめてるといいなぁ。