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第127話 一教徒の心証

「なんと素晴らしい……!」


 異様な光景に恐れおののくディンゼルの前で、ザイルイル大司教が感嘆の声を漏らした。

 両名の視線の先には待機所の小窓があり、その向こうでは『聖魔樹海の門番』と呼ばれ恐れられている怪物――グラウンドドラゴンが、異形と表現できる巨体で暴れている。


 そんな危険極まりない魔物を、単独で相手取っているのが、ヒロカ・エトノワ。

 大国であるダイトラスにて、歴史上最速で勇者となったとされる年若い女である。


 彼女の評判が世界的に知れ渡って以来、デムナアザレムはダイトラスとの外交を積極的に行うようになった。

 元々両国は、そこまで付き合いのある関係性ではなかった。その細く弱い国交が、デムナアザレム側からの働きかけによって、日に日に強固になっていった。


 理由はひとえに、ザイルイル大司教の意思が働いているからであろう――ディンゼルは大司教の興奮気味の横顔を見ながら、底の見えない腹の内を想像する。


 ディンゼル自身は正直に言えば、聖魔樹海などに来たくはなかった。

 いくら親の代から続く信仰深い家の生まれとは言え、ディンゼルは信仰より命を大切にしたいという考えだったし、人生を楽しみたいという人並みの欲も持っていた。


 たまたま希少性の高いギフトを授かったおかげで、ザイルイル大司教――出会った当時は魔流派側の一司教に過ぎなかった――に見出してもらい、今の地位にまで引き上げてもらうことができた。


 おかげで、教典にある清貧とは、程遠い贅沢な暮らしをさせてもらっているが……その代わり、様々な汚れ仕事も請け負わなければならなかった。


 それでもディンゼルは、いついかなる時もザイルイル大司教に忠誠を尽くしてきた。


 他にも有望そうな者たちが、何人もザイルイル大司教の元で()()()()()をしていたが、ディンゼル以外のほぼ全員が、司教への忠誠心と理性の板挟みに遭い、辛苦を抱え心を壊し、いなくなっていった。


 ディンゼルは自分に、俗物的であまり悩まない性格を与えてくださった神に、心底から感謝していた。


 だがそんな彼ですら、ザイルイル大司教から真の信頼を寄せられていると実感したことは、ただの一度もない。

 さらに、大司教の指示で後ろ暗い行いを繰り返しているせいか、常に人と目が合わないよう、背中を丸めて歩く癖がついてしまった。


 いつも、ザイルイル大司教から授かる言葉がある。


『あなたはわたしの言うことに従っていればいいのです。そうすれば、あなたの元にはこれ以上ない幸福が転がり込んでくるでしょう。一生懸命に尽くしなさい』


 これを言われる度に、ディンゼルは気を引き締めた。

 その通りだ、ザイルイル大司教の言うことを聞いていれば、人生が全ていい方に向いてきたのだから――。


 しかしそれでも、聖魔樹海という危険極まりない場所では、できる限りひっそり目立たずやり過ごしたかった。


 他の教徒が聖魔樹海へありがたみのようなものや、畏敬の念すら抱く中で、ディンゼルはただ一人醒めた思考で『帰りたい』と、状況を俯瞰しているような気分だった。


「ディンゼル、こっちに来なさい」

「は、はい」


 が、そこでザイルイル大司教に手招きされる。

 ディンゼルの背筋が反射的に硬直するが、そのまま、彼と共に部屋の隅へと移動する。


「やはりあの少女は素晴らしい。先ほどわたし自身のこの目で見て、真に()に相応しいと確信しました」

「は、はぁ」


 ザイルイル大司教がなににこんなに興奮しているのか、ディンゼルにはさっぱりわからない。

 が、ここ数日の大司教はとにかく機嫌が良く、平時なら時折発生する理不尽な癇癪などもなかった。ディンゼルは個人的にあの少女へ、大いなる感謝を抱いていた。


 が、それとこれとは別の話である。


「なんとしても、この遠征中に()()()を終えたい。ディンゼル、事前に指示していた通りに、諸々頼みますよ」

「……はい。お任せくださいませ」

「事を成した暁には、あなたにも相応のポストを用意します。期待していますよ」


 ザイルイル大司教は口元を扇子で隠し、目を細めた。この貼り付けたような穏やかな笑みの奥に、様々な策謀が渦巻いているのをディンゼルは知っている。


 由緒正しさと年功序列が最優先される古い体質の教会勢力内で、なんの後ろ盾もない一司教から、次の教皇の最有力候補にまで上り詰めたこのザイルイルという男が、思考を停止させている瞬間などないのだから。


 そして彼の右腕であり実行役として働いてきたディンゼル自身にも、相応の自尊心と覚悟が芽生えていた。


「……あの人の言う通りにすれば、オレの人生は間違いないんだ……」


 待機所を出て一人、なにかの準備をはじめるディンゼル。

 自己暗示のようなつぶやきが、冷たい外気の中に溶けていった。



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