第120話 大司教との会談
宴の席で、イルミナに励まされた二日後。
俺、ヒロカちゃん、イルミナの三名は、デムナアザレムの中枢機関である『デムナアザレム中央神殿』に召集され、今まさに会談に臨まんとしていた。
神殿内に入った俺たちは、そこかしこに置かれた歴史的価値の高い芸術品などの数々に、かなり面食らっていた。
なによりもまず、神殿自体が荘厳極まりない歴史的建築物であると同時に、会談を行う会議室の扉が、あたかも芸術作品のようで、手をかけることすらはばかられた。
はっきり言って、全員かなり緊張している。
気を利かせてくれたのか、ここまで案内してくれた男性の方が扉をゆっくりと開け、中へと促してくれた。
扉を開けた瞬間、香を焚いたような独特の芳香が漂ってきた。
微かに甘いような、不快ではない匂いだ。
「どうも皆さん。遠路はるばるよく来てくださいました」
中に入ってすぐ、広い部屋の中央に陣取る男性から挨拶が。
事前に聞いていた話から察するに、彼がデムナアザレム側の中心人物、ザイルイル・インプティ大司教様だろう。大変恰幅が良く、穏やかな微笑みを浮かべている。
大きな司教冠や、世界樹が描かれた法衣がいかにも高尚な雰囲気を醸し出している。
「こちらこそ、本日はお迎えいただきありがとうございます。私、ダイトラス王国オルカルバラ領アルネスト代官、ヒロカ・エトノワと申します」
一歩進み出たヒロカちゃんが、丁寧な言葉遣いで握手を交わした。
ザイルイル大司教は、微笑みながら俺たちへ着席を促した。
「本日は貴重なお時間をいただきありがとうございます」
「こちらこそですよ、ヒロカさん。まさかこんなに若く美しい方がいらっしゃるとは夢にも思わず。わたしの方こそ光栄ですよ、ほっほっほ」
着席しつつ、ザイルイル大司教は軽口を言って笑った。もしかしたら、こちらの緊張を悟って、場の空気をほぐしてくれているのかもしれない。
「そちらの方々は?」
「私から紹介させていただきます。こちらの彼は私の右腕として、アルネスト代官補佐を務めてもらっております」
「どうも。ユーキ・ブラックロックと申します」
自己紹介する流れになったので、一度席を立ってお辞儀する。
「こちらの女性は、ダイトラス本国から護衛として来ていただいた方です」
「ダイトラス魔法騎士団、副団長補佐、イルミナ・ドナと申す。よろしく頼む」
堂々とした態度で、イルミナは挨拶をした。
着席のタイミングで、俺を横目に見てふんす、と鼻息を吐いた気がした。なんのマウントだ。
「ではさっそくではございますが、本日の議題についてお話していきたいと思います」
俺たちを案内してくれた男性が、冷や汗を拭いつつ「お手元の資料をご確認ください」と言い、進行を開始した。前世の感覚で言えば、会議のファシリテーターのような感じだろう。
「ほほ、ディンゼルよ、そんなに急ぐことはありませんよ。我々とヒロカさん達とは、決して敵対しようとしているわけではないのですからね」
「え、あ、は、はぁ……も、申し訳ございません」
実に穏やかに言ったザイルイル大司教だったが、ディンゼルさんはこの世の終わりと言わんばかりに焦りの色を浮かべ、冷や汗をかいていた。……大丈夫?
「話を進めてくださって、ありがとうございます。私から議題を切り出すのはあまり得意ではないので、大変助かりました」
「は、はぁ……」
と、そこでヒロカちゃんがディンゼルさんをフォローするように声をかけた。
さすが、我らがヒロカちゃんである。なんと気の利く子か。
「ではさっそくですが、聖魔樹海に大聖堂を建設したいという件について、お話していきましょう」
「ほほ、ヒロカさんはなんとも真っ直ぐなお方ですねぇ」
本題を投げかけたヒロカちゃんに対して、ザイルイル大司教は口元を隠すように扇子を広げた。目元は細められたまま、微笑の浮かべている。
「まずは基本的なところからですが、聖魔樹海の危険性などは承知されておりますか?」
「ええ、もちろん。存じ上げておりますよ」
さっそくヒロカちゃんが切り込むが、表情を変えずにいなす大司教。
「ですが、『聖魔樹海は危険』というのは、言うなれば一般常識の観点から、でしかないのです」
「と、言いますと?」
「我々デムナアザレムの価値観――聖魔樹教的な価値観で言えば、聖魔樹海は世界樹のお膝元と言える神聖極まりない地なのです」
「…………」
「その前提の下で言えば、こんな風にも考えられるわけです。……聖魔樹海という神聖なる地での死ならば、たとえどのような形であれ、それはある意味で信徒にとっては本懐であるとも解釈できるわけです」
「そ、そんな……」
ザイルイル大司教の語る樹教の価値観に、隣のイルミナが怪訝な顔をした。
……紛れもなく一般人である俺も、イルミナと同じような気持ちだ。しかし、多様な価値観が存在するのもまた事実。それらに対し、自分が理解できないからと否定的な態度を取るのもまた違う気がする。
ましてや今は、国家と国家の公的な会談の場である。あまり相手を否定するような態度を取るのはよくない。
ヒロカちゃんも俺と同じ考えだったのか、イルミナを窘めるように視線を運んだ。気付いたのか、慌ててイルミナが咳払いをした。
「ほほ、いいのですよ。外の一般の人々からすれば、命の危険が多い聖魔樹海をそのように考えることは無理難題でしょうからね。そこに巡礼地として大聖堂を建造しようなど、狂気の沙汰も甚だしいことでしょう」
大司教が穏やかな笑みを絶やさぬまま語る。
そこで給仕係が、紅茶を運んできた。
「実際、聖魔樹教内でも三百年ほど前までは、聖魔樹海は『悪しき瘴気の溜まる場所』と言われ忌み嫌われておりましたから。しかしその後、魔流派が生まれ融合を果たし、今の聖魔樹教となったわけです」
今の話は一度、ヴィヴィアンヌさんがフィズと話していた。そのときは俺はわからなかったが、あの後勉強したのでなんとか今は理解できる。
要するに、今の樹教は聖魔樹海を神聖な場所として考えているが、昔はそうではなかった、というわけだ。
大司教は一度話を切り、紅茶を優雅に口に含んだ。
「魔流派との融合を果たし、今の聖魔樹教となってから、ちょうど来年で三百年の節目を迎えるのです」
「その記念すべきタイミングで、大聖堂建造計画を信者の皆さんに発表したい、ということなのですね?」
「ええ。さすがヒロカさんだ、なんと察しの良いことでしょう」
人の空気を読むことに長けるヒロカちゃんが、大司教の意図を汲んで声を返す。
あの様子だと、おそらくギフトの力ではない。あの子自身の観察力だ。
「ゆえに、我々は引くことはできないのです。融和三百年の記念すべき節目のタイミングに、なんとしても信徒の皆に救いを与えてあげたい」
「……そうですか」
ヒロカちゃんは大司教の想いを受け取るように、数回ゆっくりと頷いた。
その後、考え込むように顎を何度か触った。
「ほほ、そこで一つ提案なのですが……どうです、我々と一度、聖魔樹海へ行くと言うのは?」
「…………!」
と。
大司教様から発せられた言葉で。
一瞬で、場の空気が緊張した。




