第12話 超逸材の弱点
早朝のアルネスト大森林。
俺はヒロカちゃんをダンジョン領域の境界線で待たせ、特訓場所周辺を見回り、環境把握とその調整に努めていた。
「…………うん、これで大丈夫そうだな」
なぜ、こんなことをするのかと言えば。
言うまでもないが、一番は安全のためだ。
あまりに魔物が多かったり、下手に魔元素が蓄積していたりすると、急な【特魔物】の発生などの危険性が出てくる。
なので、事前に魔物を駆除したり、魔元素が減少するよう深呼吸して吸収し濃度を下げたりといった環境整備をしているのだった。
いかんせん地味極まりない仕事だが、実はこうしたことが大災害を予め防ぐ最善策だったりする。なので時折、ギルドの仕事としても周辺ダンジョンでこのような作業を行うことがあった。
地道な努力は、決して人を裏切らないのである。
「ヒロカちゃん、入ってきていいよ」
「はい、失礼します!」
ダンジョンの外、領域ではないところの木の陰から、ヒロカちゃんがひょこんと顔を出す。トレードマークのポニテが揺れて、艶やかに輝いた。
「うん……やっぱりダンジョンの中は甘く強い香りがします。はっきりわかります」
ダンジョン内に足を踏み入れた途端、ヒロカちゃんは鼻をすんすんして言った。
相変わらず良い感覚をしている。
「新人でそこまで迅速に状況判断できる人はいないと思うよ。たぶんだけど、ヒロカちゃんのスキルは嗅覚も強化しているんだと思う」
「そ、そんな。たぶん普通ですよ」
俺の褒め言葉に対して謙遜するヒロカちゃん。んー、優秀すぎるほど優秀なのに、この子は自己評価が低いんだよな。
先生として、どう言ってあげればこの子に自信を与えてあげられるのだろう。日々考えていることだが、簡単に答えは出ない。
とまあ、それはそれとして。
今日は大切なお知らせがある。
「本日、次の『冒険者ライセンス試験』の試験日が前倒しされることが決まりました。本来は一か月後の予定でしたが、領主様らの来訪があるということで、予定を早めることになったそうです」
「えっ、それって……?」
「そう、ヒロカちゃんの目標の試験。これのタイミングが早まります。開催は、約二週間後」
「二週間……っ!」
ヒロカちゃんは俺の発表を聞き、一気に表情を曇らせた。
反応を見るに、おそらく本人的には『やば、全然時間ない!』ということなのだろう。
が、俺の視点から言わせてもらえば、ヒロカちゃんは普段通りにできればすでに合格できる力を持っている。教える立場の人間として、それは断言できる。
ちなみにライセンス試験は筆記と実技の二つの試験を受けるのだが、筆記は特に楽勝だろう。
となると問題は実技となるが、実技は毎年『魔物三体討伐、F級魔石三つ採掘』が課題と決まっている。
この条件も、『空気を読む』を持っているヒロカちゃんなら余裕だ。
その鋭敏な感性を十分に発揮できれば、ダンジョン内で魔物を安全に倒し、かつ苦もなく魔石を見つけられることだろう。
……が、これはあくまで普段の実力を発揮できれば、という注釈が付く。
これに関しては一つだけ、俺の中に懸念事項があるのだった。
「じゃあ今日は試験に向けて、実際に魔物を討伐してみるとしよう」
「はい!」
俺の言葉に対して、元気よく返すヒロカちゃん。
……今はわからないかもしれないが、もしかしたらこの課題は、彼女にとってなによりもキツいものになる可能性があった。
「それじゃあ、ダガーを準備して、臨戦態勢で俺についてきてね」
「わかりました!」
俺とヒロカちゃんは森の少し深いところまで、前後に並んで歩きだした。
◇◇◇
「いた」
「あれって――ゴブリン?」
少し進んだ地点で、森林系ダンジョンに発生する一般的な魔物――ゴブリンがいた。人間の子供ぐらいの身体に、凶暴なカエルのような醜悪な顔が乗っかっている。
草むらの陰から観察すると、どうやら餌となる虫や小鳥を狙っているようだった。
「ダンジョンの魔物は全部、魔元素と動物、植物、水分や鉱物などが結びつき、変異が起きて生まれるとされてる。ゴブリンは顔の通りカエルが素体となっているとされてる。魔物の中では最弱級とされてる相手だけど……戦えるかい?」
俺の隣でじっとゴブリンを見つめているヒロカちゃんに尋ねる。
「……やってみます。怖い、けど、目標のため、ですし」
「わかった。俺はここで見ている。危険だと判断したらすぐに割って入る。無理だけはしないで」
「はい……!」
言うとヒロカちゃんは、意を決したようにダガーを構えて、ゆっくりとした足取りで草むらから出て行った。
そう、魔物との戦闘はできれば相手に気づかれぬまま一撃必殺で終わらせたい。
ヒロカちゃんは基本通りに、足音を立てないように近づいた。
――が。
「GRyuuuu?」
「ひ……っ!」
もう少しでダガーの射程に入るというところで、振り向いたゴブリンに気付かれてしまう。しかもその動きに驚き、ヒロカちゃんは腰を抜かしてしまった。
……まずいな。ギフトもまったく使えてない。
俺は体内の魔力を全身へ循環させ、いつでも飛び出せるように準備する。
「ぃやぁ! やめ……!」
「BRyuu、Gyuu!」
「やめ、やめてぇぇ!!」
「GRRyuuuu!!」
興奮したゴブリンに一気に組み伏せられ、そのままマウントポジションを取られてしまうヒロカちゃん。ダガーを必死に振り回すが当たらない。
「BRyuuuu!!」
「やだ、やだぁぁ! やめてぇぇ!!」
「ヒロカちゃんっ!」
「いやぁぁ、いやなのぉぉぉぉ!!」
「Gruu――ッ」
俺は飛び出し、強化した拳でゴブリンを思い切り殴り飛ばした。
殴られたゴブリンは視界から見えなくなるほど、木々をブチ倒しながらどこかへと飛んでいった。
すぐさまヒロカちゃんを抱き起し、身体を検分する。
……ケガはない。でも、大丈夫ではないよな。
「うぇぇ……ひっ……ひぐ……こわい、こわいよぉぉ……」
「……ごめん。本当にごめんよ、ヒロカちゃん。俺がもう少しやり方を考えるべきだった」
必死の力で俺に抱き着いてくるヒロカちゃん。その頭を撫でながら、俺は自分の嫌な予感が的中してしまったことを、激しい後悔と共に痛感していた。
『勇者』をも狙える逸材、ヒロカ・エトノワにとっての唯一とも言える弱点。
それは。
――襲いかかってくる者への、トラウマだ。
 




