第110話 未来を意識するフィズ
「では陛下、イルミナ・ドナ、行って参ります!」
「うむ。くれぐれも粗相のないようにな」
ダイトラス王国の出入国口。
イルミナは元気いっぱいにエデン王へと挨拶し、数名の部下を従えただけの王は、穏やかな表情でそれを見送っていた。
かくいう俺はと言えば、デムナアザレム出向に備えてみんなが買い集めてくれた品々を、魔法馬車に積み込んでいるところだった。
すでにヴィヴィさん、シーシャは馬車に乗り込み、イルミナの乗車を待っている状態だった。
さて、俺は帰りの馬の毛繕いでもしておくとするか。
「あの、ユーキさん」
「ん?」
と、馬の元へ行こうとしていた俺の背に、出国の手続きを終えたフィズが声をかけてきた。いつものように左右にお団子のヘアスタイルで、身の丈ほどの杖を両手で大事そうに抱えている。
「どした?」
「えーっと、そのぉ……」
声をかけると、杖を持ったままでもじもじしはじめる。
なにか言いたげだが、なんだろう?
「大変わがままで申し訳ないのですが……帰りは、わたくしも魔法馬車に乗ってもいいでしょうか?」
「え、いいの?」
吹っ切るような表情で、フィズは言った。
俺としてはただただありがたい話なのだが、いったいどうして、彼女は考えを変えたのか。ここダイトラスで、なにか心境に変化を及ぼすことがあったのだろうか。
「今回わたくし、ダイトラス城内や広々とした街を一通り回らせていただいて、大変感動しました。今までは生まれた村とデムナアザレムしか知りませんでしたが、世界は広く多様なのだと、知識ではなく体感をすることができました。それもこれも全て、ここに連れてきてくれたユーキさん達のおかげです」
「大げさだって」
深々と頭を下げたフィズに、俺はいたたまれなくなる。
あくまでフィズを連れてきたのはついでだし、こんなに大仰な感謝を向けられるほどのことではない。
「わたくしにとっては、本当に心震える経験でした。ダイトラス城をはじめとした巨大な建物、活気ある大勢の人々、そして生活に合わせて導入されている利便性ある魔法化学……それら全てに圧倒されました。これからの世界は魔法化学が浸透し、どんどん発展していくのだと感じました。そして、樹教と魔法化学は手を取り合えると確信いたしました。この二つが拒絶しあう必要はない、人々を助け導く点で共通しているのですから。必ず、融和することができる」
「フィズ……」
あの澄んだ目を輝かせて、フィズは熱心に語る。
ダイトラスの各所にある魔法化学に直に触れたことで、その便利さや存在感が、抗えないものなのだと痛感したのかもしれない。
でもフィズは、それを『樹教を否定するもの』としてネガティブに捉えたのではなく、自らが信じる樹教と同じように『人々を助けるもの』として、前向きに受け止めている。
さらに言えば彼女は、もしかしたら元々エデン王の話していた『大聖堂建築計画』を知っていたのかもしれない。それが魔法化学ありきで行われる計画であることも聞いていて、そのことに対して前向きな感情を抱いたのかもしれないな。
「だからこそ、今のわたくしにできることは、魔法化学をできる限り実際に体験し、デムナアザレムへとその知識や経験を持ち帰ることなのではないかと思ったのです」
「だから魔法馬車に乗って帰って、実際のところを経験したいってことね」
「はい。馬も準備してくださっていたのに、申し訳ありません」
「ううん、全然おっけー。むしろありがたいぐらいだよ」
フィズはそう言い、また深く頭を下げた。
先ほどの話からも分かるが、彼女は信心深いが一つの価値観に縛られているわけではない。思考が柔軟で、吸収力もあるのだ。
フィズのそういった精神性は、どんどん考えが凝り固まってくる年頃のおっさん(中身は還暦)としては、本当に尊敬できる部分だし、見習わなければと思った。
「よーし、皆の者! 魔法馬車へ乗り込め! いざ参ろうではないか!」
「なんでお前が仕切ってんだ」
「ふふ、明るい方ですねぇ」
俺とフィズの会話が一段落したところで、王と別れたイルミナがドヤ顔で割り込んできた。思わずイルミナに突っ込んだ俺を見て、フィズがくすくすと笑った。
その顔は、大げさじゃなく太陽のように明るく思えた。
◇◇◇
「フィズ殿はデムナアザレムの人だとお聞きしているが、ユーキ達とはどのような縁で?」
「わたくしが『流浪』という修行の最中、アルネストの近くで行き倒れてしまいまして。そこを助けてくださったのが、ここにいるユーキさんとヴィヴィアンヌさんなのです」
魔法馬車の車内。イルミナの質問に、フィズが愛想良く答えている。二人以外は疲れもあり、肩を寄せ合って眠っている。
俺もずっとうとうとしているのだが、さっきまでイルミナがダル絡みしてきていたので寝るに寝れなかった。どうやらはじめての魔法馬車で興奮している様子。正直うざい。
次は興味がフィズへ向いたらしく、俺は薄目で様子をうかがっていた。
「ふむふむ、流浪か。それはなかなか興味深いことだ。さてはこの大きな杖も、修行に必要な道具かなにかで――」
などと言いながらイルミナが、いつもフィズが大事そうに抱えている杖へ、無遠慮に手を伸ばした。
と、そこで。
「やめてください!!」
「っ!?」
フィズが、大きな声で拒絶した。今までで、一番大きな声だった。
眠っていた皆が、起き出す。
「ぬぅ、なにごとじゃ?」
「……びっくりした」
「ヴィヴィさん、シーシャ。大丈夫だから」
俺は、寝惚け眼の二人へ声をかけ落ち着かせる。
「す、すまなかった。そんなに大事なものだとは知らず」
「今のはイルミナが悪いぞ」
「い、言われなくてもわかっている!」
その後、悪ふざけが過ぎたイルミナをたしなめる。
「すみません……つい、大きな声を……」
「いいんだフィズ、今のは仕方なかった」
杖を両手でぎゅっと抱き、俯くように自省するフィズ。大切なものを守ろうとして、反射的に大声が出てしまったのだろう。
「すみません……本当に、わたくし…………すいません」
「…………?」
あまり気にしないように、と声をかけたが、いつも以上にフィズが気にしている様子だった。
その顔がやけに暗く青白く見えて、妙な違和感が残った。




