第105話 ヒロカ、帰還
ヴィヴィアンヌさんと語り合った数日後。
朝の日課のパトロールなどをこなした後、俺はアルネスト入口に突っ立っていた。
今日、ヒロカちゃんが帰ってくるからだ。
「お、来た来た」
ストレッチなどしながら待っていると、遠くに魔法馬車が見えた。
ヒロカちゃんの乗っているものだ。
「ヒロカちゃーん!」
近付いてきた馬車へ向けて、俺は手を振る。
「先生っ!!」
気付いてくれたヒロカちゃんが、小窓から顔を出し、嬉しそうに手を振り返してくれた。
入口近くまで来ると、馬車から降りてすぐさまこちらに走ってくる。
「ただいま、先生っ!」
「おぉう」
いきなり抱き着かれて、俺は面食らう。
おぉ、どうしたどうした。
「あー、三日以上先生に会えなかったので、補充です!」
「な、なにを?」
「先生パワーです!」
顔を離して、嬉しそうな笑顔を見せてくれるヒロカちゃん。これまたとんでもなく可愛らしい。
ただ、中身が還暦を過ぎたおじさんとしては、若干自分の体臭が気になる。懐いて飛びついてくれるのはとんでもなく嬉しいことなんだけども。
「ちょ、ちょっと聞いて。ヒロカちゃんにお願いがあるんだ」
「はいっ、なんでしょう!?」
話を振ると、またも嬉しそうに笑った。なんだろう、ヒロカちゃんのお尻にぶんぶん揺れる尻尾が見えるようだ。
「ヒロカちゃんの《恩恵読破》で、ちょっと読んでほしい人がいてさ。フィズ・イグナシアっていう女の子なんだけど」
「……女の子」
俺がフィズの話を出した途端、ヒロカちゃんの顔から笑みが消える。
え、なんで?
「アルネスト大森林の辺りで行き倒れていた子なんだけど、すごい回復魔法を使うんだ。そのおかげで、ムコルタさんもすごく元気になってさ」
「ふーん。そうですか」
フィズと出会った経緯と、彼女がしてくれたことを説明して俺の意図をわかってもらおうとするが、ヒロカちゃんはどこか興味なさげ。
むむ、女心ってなんでこんなにピーキーなの? 何年生きてても(中身は還暦)最適解を見つけられる気がしねぇ!
「ただ教会……彼女が世話になってる人から、あんまり自分のギフトのことは話すな、って言われてるみたいで。でも俺もヴィヴィさんも、すげー気になっててさ」
「んー……本人が言いたくないことを《読む》のって、あんまりよくなくないですか?」
「う、それはそうなんだけど」
確かに、それはヒロカちゃんの言う通りである。
ただこれに関しては一つ理由があって、もしフィズの力が教会に搾取されていたりしたら、助けてあげたいのだ。
だからそのためにも、彼女のギフトを把握しておくことで、その対策なども考えられるのではないか、ということなのだが。
「えー、気が進まないなぁ」
唇を尖らせ、あからさまに不服そうなヒロカちゃん。
むーん、どんどん教え子が言うことを聞いてくれなくなっていってるぞ。
「ヒロカ、戻ったか」
「あ、ヴィヴィ! ただいま」
そこでちょうど、ヴィヴィアンヌさんがスタスタと歩いて登場。まだ眠そうな感じで欠伸をしているが、目隠しをしているので目元は窺えない。
頼む、ヴィヴィアンヌさん、助け船プリーズ!
「今ユーキがした話、考えておいてくれぬか? 後学のために、わらわもぜひ知っておきたいのじゃ」
「でも、私の力は人のプライバシーを侵害するためのものじゃないよ?」
さすが、ヴィヴィさんはしっかり助け舟を出してくれた。が、対するヒロカちゃんの意見も真っ当だった。
「それはその通りじゃな。しかし、あの娘っ子の回復魔法をわらわが知り、研究・分析を経て体系的にまとめることができれば、それはさらなる回復魔法治療の発展を実現し、もっともっとたくさんの命が救われることになるのじゃぞ? ヒロカがこの千載一遇を拒否するとなると、その未来をも潰すことになってしまうが、いいのかえ?」
「むー……ヴィヴィがそこまで言うなら」
しっかりとヴィヴィさんが話してくれたおかげで、ヒロカちゃんは折れてくれた。もはや俺の教え子が俺の頼みを聞いてくれない。ぐすん。
だがまぁそれはそれとして、ひとまずよかった。
「じゃ、私一旦部屋に戻って身だしなみを整えてきます」
「うん。じゃあギルドで待ってる」
そう言って、ヒロカちゃんは町へ入って行った。
「ヴィヴィさん、ありがとう。俺一人だったら説得できなかったかもしれない」
「あのぐらいはな。ただヒロカは心配じゃな」
「え、なにが?」
予想外の言葉に、俺は思わず足を止めてしまう。
「あの潔癖とも言える優しさと正しさが、いつか大人の都合や悪意みたいなものに飲み込まれてしまわぬか心配じゃ。もう少し世間の荒波に揉まれれば、処世術のようなものを身に着けるとは思うがのう」
「……言われてみれば、確かに。でもあれがあの子のいいところでもあるしさ」
「ふん、ユーキから見ればそうじゃろうな」
珍しく、ヴィヴィさんが真剣な声音で言った。
俺はあまり深く考えないまま応じたが、ヴィヴィさんはそれ以上言葉を重ねることはなかった。
その後の俺は、ただその横顔を見ていることしかできなかった。
◇◇◇
「おはようございます」
「やぁフィズ、おはよう」
「おはようございます」
「フィズちゃん、今日も元気だね」
ギルドの入口から、フィズの明るく元気な声が響いてくる。
俺は出勤一発目の冒険者講習業務を終え、アシスタントを担当してくれたヒロカちゃんと控室的なところで歓談していた。
「えー、すごく明るくていい子そうですね。お団子二つの髪型も似合ってる。可愛い」
「たぶんヒロカちゃんと同じくらいの年齢だよ」
ここからだと、少し離れた出入口がよく見えた。最近フィズは自主的に、その辺りを毎朝掃除するようになっていた。しかも誰かが通る度、ああして元気よく挨拶をする。
おかげで、ギルドを利用する人達にすっかり気に入られ、すでに人気者と化している。フィズ自身の人懐っこさも相まっているのだろう。
「あんなにいい子の言いたくないことを勝手に覗くの、気が引けるな……」
「ごめん。でもさっきも話した通り――」
「わかってます。これをしておくことが、あの子自身を助けることになるかもしれないってことですよね」
先ほどのヴィヴィさんの話に加え、もしかしたら教会の人たちに利用されているかもしれない、ということを事前に説明はしておいた。そこはヒロカちゃんもわかってくれた。
「じゃ、いきます」
すぐさま、ヒロカちゃんは目を閉じ、集中した。
少し距離があるが、今のヒロカちゃんなら問題なく読むことができるだろう。
「……え」
「どうしたの?」
が、事はそう上手くは運ばなかった。
「読めない。あの子のギフトが……読めないんです」
「…………!」
告げられた言葉に、俺は言葉を失った。




