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第102話 恩に報いたい

「わたくしに、ぜひお礼をさせていただけないでしょうか?」


 行き倒れていた少女、フィズ・イグナシアの澄んだ目に見つめられ、俺は少し居心地が悪くなっていた。

 ある程度年齢を重ねて(中身は還暦)、人生の酸いも甘いも噛み分けてくると、こういう純粋無垢で真っ直ぐな子の眼をあんまり見ていられなくなる。


 綺麗事だけじゃ済まない世の中に染まり、汚れてしまった自分を後ろめたく感じるからだろうか。


「……その前に、フィズはどうしてあんなところに? お腹が空いてたってのはわかったけど」


 心のうちを隠すように、俺は話を逸らす。


「話すと少し長くなりますが、よろしいですか?」

「ああ。大丈夫だよね、ヴィヴィさん?」

「うむ」


 隣のヴィヴィさんへ一度目配せし、各自椅子に腰かけてから話の先を促した。


「先ほど申し上げた通り、わたくしは【聖魔樹教せいまじゅきょう】の見習い修道女です。現在は『流浪』と呼ばれている修行の最中でございました。これは世界各地を最低限の衣服、聖典、杖のみを持って歩き回り、各所の霊験あらたかな地で祈りを捧げながら、布教を行っていくというものです」

「ふむ。民からの施しのみで旅を続けていくというアレか」

「はい、その通りでございます」


 丁寧な口調で説明してくれるフィズに、ヴィヴィさんが相槌を打った。

 世界樹を御神木とし、その存在にまつわる神話を原典とする宗教【樹教】は、正式名称を聖魔樹教と言い、この世界全土に広まっている世界宗教だ。

 この世界に生きる者であれば皆、一度はその教えの一端に触れたことがある。


『世界樹が世界のはじまりであり、あらゆるものは世界樹が生み出している』という教えである。

 前世の世界でもそうだったが、広く浸透した宗教の教えというのは、常識の形成にすら影響を及ぼすものだ。


 ただ、個人的に少しだけ警戒心が働く。

 ダイトラス王国で暗躍したディルビリアや、先の戦いで手ぐすねを引いていたアンディルバルト商会には、元々教会勢力と関りがあったためだ。


 まぁ樹教ほどの規模感となると、もはや見方によってはこの世界中の誰でもある意味で関係者、みたいな括りになってしまうのかもしれないが。


「今回わたくしは、尊敬する大司教様から特別に『オルカルバラ領に布教を行うように』というありがたいお言葉を賜っておりました。皆様のありがたい施しのおかげで、アルネスト大森林周辺まではなんとかやってくることができたのですが、そこで力尽きてしまったのです」

「野生動物や魔物に襲われんでよかったのう。まったく、なんで宗教というものはそんな非生産的なことをさせるのか」

「ちょ、ヴィヴィさん、そんな言い方……」


 教会勢力を嫌っているヴィヴィさんが、わかりやすく悪態をつく。

 俺も俺であんまり褒められた態度じゃないけど、敬虔な信者の方の前でそういうことは言わない方がいいのでは?


「世界樹の恩恵は、あらゆる人々に降り注ぎます。わたくしはそれを伝え歩くだけの、言わば器に過ぎません」

「む?」

「ただわたくし自身はまだまだ修行の身ゆえ、自らの煩悩に打ち勝てぬときがある、ということですね」


 そう言い、フィズは自分のお腹を円を描くようにさすり、少し照れたように微笑んだ。その顔は柔和で、なんとも愛らしく感じた。


「はは、そりゃ敬虔な修道女も人間だもんね、たまにはステーキを食べたくなるってわけか」

「はい、その通りです。ただ、わたくしから所望したというのは絶対内緒でお願いします」

「なんじゃこやつ、教会の連中に特有の融通の利かぬカタブツかと思ったが、なかなか話の分かる女ではないか! ぬははは!」


 俺もヴィヴィさんと同じく、事前情報やイメージで勝手に宗教家には苦手意識を抱いていたが、どうやらフィズはそんなことないみたいだ。なにより話やすいし、考えを押し付けたりもしてこない。


 話していると、自然に警戒心が解かれていく。

 そうしてひとしきり、俺たちは笑い合った。


「改めてですが、命を助けていただいた皆様へぜひなにかお礼をさせてください。恩に報いるというのも、大切な教えの一つですので」


 少し間を置いてから、改めて礼がしたいと頭を下げたフィズ。すっかり打ち解けていた俺は、その願いに応えてあげたくなる。


「んー、なんだろうなぁ」


 とは思うものの、あまりいい考えが浮かばず懊悩する。

 見返りを求めて助けたわけではないからなぁ。


「ではなにか怪我をして困っている方や、病気で苦しんでおられる方はいらっしゃいませんか? わたくし、こう見えても回復魔法は大得意ですので!」

「ほほう、このわらわの前で大した自信じゃのう」


 胸の前で拳を握ったフィズに対して、ヴィヴィさんが悪戯っぽく笑って言った。

 自分が探求する分野への知的好奇心が旺盛なヴィヴィさんのことだ、フィズの回復魔法に興味があるのだろう。


「怪我、か」


 俺はそこで、ムコルタばあさんのことを思い出した。

 ばあさんの傷はほぼ回復し、すでに以前のように歩けるようになっているのだが、たまに痛みが出る日があるらしい。

 朝、いつもの道を歩いて出勤しているとき、ばあさんがいないと少し寂しくなる。


 未だ責任を感じているのか、シーシャが様子を見に足しげくばあさんの家に通っている。怪我をさせたことは仕方なかったのだと、ばあさんと俺含めて皆が話しているが、シーシャは「わたしがしたいからしているだけだ」と言っていたっけ。


 ムコルタばあさんが完全回復すれば、アルネスト全体やシーシャにとってもいいのではないだろうか――ふと俺はそんな風に思った。


「よし、じゃあムコルタばあさんのところに行ってみようか」

「はい。よろしくお願いします」


 こうして、俺たち三人はギルドを出て、ムコルタばあさんの家へと向かうことになった。



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