第1話 辺境の転生者
生きていくためには仕事をしなければならない。
そんなことはある程度大人になれば、納得はできずとも理解はできる。
ただ前世の俺には、仕事に関する良い記憶はほとんどない。
管理職の手腕と性格で、仕事というものは大いに左右される。前世の忌々しい記憶では、他人に仕事を押し付けて定時退社する直属の上司が原因で、俺は最悪の労働環境にいた。
今でもはっきりと思い出せるが、俺はその年度、件のクソ上司の策略により名ばかり管理職の課長に任命された。はじめは少しのやりがいと責任感を抱き仕事に励んだが、これがヤツによる搾取のはじまりだった。
気付けばほぼ毎日残業で、労働時間が平の時の倍近くになり、自分の業務に加えて部下の仕事も管理するという激務に苛まれる日々が続いた。それでも懸命に働いたが、決して目の前のタスクが減ることなどなかった。
まぁ当然だ。
俺が仕事をこなせばこなすほど、クソ上司は自分の仕事を俺に回して楽をするという構図なのだから。
その渦中にいるときは目の前のことを消化するので精一杯だったが、今思えば俺がこなした仕事のほとんどは、あのクソ上司がやるべき仕事だった。
そうして俺は心臓を患い、過労死した。三十八年の、短くも長くもない人生だった。
死ぬ寸前に浮かんだのは、クソ上司から守らなければとできる限り面倒を見ていた若い部下たちの顔。あれが走馬灯ってやつなんだな。
『黒岩さんに面倒みていただいたおかげで、ようやく一人前になれたような気がします』
残業の合間にあんなことを言ってくれたときは、なんだか自分の人生が肯定されたような気がして、たまらなく嬉しくなったっけなぁ。
そんな彼ら彼女らが俺とクソ上司を追いこして偉くなって、職場環境を変えてくれればと思っていたが、そんな姿を見届けることはできず……俺は日本とは違う世界で、赤ん坊からやり直すことになったのだった。
「こっちの世界でも、もうすっかり大人になったもんだ」
春の温かい風がゆったりと吹き、頬を撫でた。俺こと【ユーキ・ブラックロック】は、この春で二十二歳になる。前世と合わせれば六十を過ぎ、もう還暦だ。
そう、俺はいわゆる異世界転生をした。
俺が生まれ直した世界は、小説などでよく見る剣と魔法、スキルやダンジョン、果ては世界樹の存在する世界だった。
クソな上司に時間と体力を搾取され続けた前世では、俺は自分の人生を生きられなかった。だから今度は自分の意思で、想いで、自分の人生を生きようと決めた。
剣と魔法があるのだ、せっかくなら冒険者として一旗揚げてやろうと思い、その道を歩んだ。
この世界では日本と違い、十四歳を過ぎる頃には大人の一個人として扱われるようになるが、そのぐらいから俺の冒険者人生はスタートした。
多少適正があったのか、中堅と言われるC級冒険者まではさしたる苦労もなく順調にステップアップできた。
しかし十代も終わりに近づいた頃、俺はふと『このままでいいのだろうか?』と疑問を抱いてしまった。
当然と言えば当然だが、冒険者は常に死と隣り合わせの職業。
主な仕事は魔物の駆除とダンジョンで採れる魔石の採掘だが、その他にも要人の護衛や特定危険指定魔物(特魔物)の討伐など、常に身体を張った職務を求められる。
うん、俺、今度は長生きしたいのよね。
そんな思いから俺は、次の仕事を探して各地を転々とした。そんな折、冒険者のライセンス化や労働環境の改善に取り組んでいる冒険者ギルドが、新しい試みとして【冒険者指導員制度】なるものを導入した。
これは要するに冒険者の死亡率や負傷率を軽減しようという試みで、Cランク以上かつある程度の経験値を持つ冒険者に、新人へ講習を行ってもらおうというものだった。
報せを聞き『これだ!』と感じた俺は、一も二もなく飛びついた。
なにせこの【冒険者指導員】、この世界では数少ない超安定職なのだ。
前世の感覚で言えば、超優良ホワイト企業で福利厚生万全で雇ってもらっているようなもの。
なにせ冒険者ギルドでは衣食住が確約される。この世界のギルドは宿と酒場が併設されている場合がほとんどで、ギルド職員はそこを寮や食堂として無償利用できるのだ。
そのうえ、冒険者を指導する立場であるため、自ら危険なダンジョンなどに出向くこともほとんどない。
安全・安心に加え、完璧な衣食住。
冒険者時代のコネもあり、俺は冒険者指導員、チュートリアラーとしてここ、辺境アルネストのギルドにて新たな人生をはじめたのだった。
ビバ、冒険者指導員。ビバ、冒険者ギルド。ビバ、定時退社後のエール!!
俺は前世の頃から夢にまで見ていた安全・安心なスローライフを、還暦(中身)を過ぎてようやく手に入れたのだった。
この喜びを、何度でも叫ぼう。
ビバ、定時退社後のエール!!
◇◇◇
理想のスローライフ生活も、はやくも三年目に突入していた。
「さて、と。今日も異常なし、と」
冒険者指導員としての仕事の一つ、朝の見回りを終えて、俺はギルドへと足を運んでいた。
「ユーキおじちゃん、おはよっ!」
「ユーキさん、おはようございますっ!」
「おーうおはよー。俺はまだこれでも二十二だぞー」
町の目抜き通りを歩いていると、脇を二人の子供たちが駆け抜けていく。あれは鍛冶屋んとこの兄弟だな。朝早くから元気いっぱいで、なんとも微笑ましい。
俺は身体的には二十二歳でも、中身は前世と合わせて還暦を過ぎているので、ある意味で子供は鋭いのかもしれない。
「おーユーキ。今日も早いねぇ」
「おうムコルタのばあさん。また腰曲がったんじゃないか?」
「うるさいねぇ。この抜群のスタイルのどこが気に食わないんだい?」
「ははは、俺に色仕掛けは通用しないぜ」
「ったく、ワタシがあとニ十歳若ければ嫁になってやったのにねぇ」
「ありがとな、ばあさん。そう言ってもらえるだけでも嬉しいよ」
子供の次は『アルネストの門番』とあだ名されているムコルタばあさんである。いつも町の入口近辺を掃除してくれるうえ、怪しい来訪者たちに目を光らせているのでこう呼ばれるようになった。
なんともたくましく、ありがたい存在だ。
こうして町の皆に挨拶をしながら、朝の散歩を兼ねて見回りからギルドへと戻る。愛すべき、なんとものどかな時間である。
ここアルネストは、都会というには貧相で、村というにはいささか賑やかすぎる中途半端な辺境の町だが、とても穏やかな場所だ。
この辺り一帯を治める有力貴族であるオルカルバラ家の現当主、ルカ・オルカルバラがかなりの賢主らしく、人々は平和で安定した暮らしを享受している。
ルカはどうやら主君であるダイトラス王国の王にも顔が利くらしく、かなりやり手なのだそう。
前世の経験から言えば、上の人間が有能であるほど下はノビノビできる。なんともありがたい限りだ。
「さて、仕事だ仕事」
比較的大きな石造りの建物、それが俺の職場である冒険者ギルドだ。
一度深呼吸してから、ギルドの中へと入った。
◇◇◇
「腰抜けのチュートリアラーの分際で、何様だコラァ!?」
で、新人向けの講習中。
一際身体のデカい冒険者志望の男が、座学に飽きたのか、突然立ち上がり怒鳴り声を上げた。彼は外からやってきた……バキバロッソさんね。名前はやけに強そうだな。
この仕事のイヤなところその一。
荒くれ者の相手がめんどい。
「えー、とですね。まぁ座学がめんどいとかつまんねぇってなる理由はわからなくはないんですが、今やっている【魔元素】と【魔力】のところは、冒険者にとって一番大事な、命にかかわるところですからね、ちゃんと座って——」
「うるせぇ! このオレ様に指図するんじゃねェ!!」
えぇと。別に指図のつもりはないのだけれども。
あなたの人生がポックリ終わってしまわないために、知っておいた方がいいことをお伝えしているだけなんだけれども。
「オレはなぁ、オメェみてぇなヤツが一番嫌いなんだよ! ぺちゃくちゃぺちゃくちゃうるせぇだけのクソザコ野郎が、先輩気取ってんじゃねェ!!」
「はぁ。これでも一応、冒険者としてCランクまではいったんですけどねぇ。五年くらいの経験値もありますし」
「うるせぇ! 一端の冒険者気取って先輩面すんなら、腕っぷしを見せてみろい!!」
「いいぞ、アニキ!」「ヒュー!!」
あぁ、バキバロッソ氏の怒声に合わせて取巻き連中まで盛り上がってきちゃったなあ。
はぁー。どうしたもんかな。
俺はポリポリと後頭部を掻いた。
……めんどいし、あれ、やっちゃうか?