ふたりのバケモノ
僕も化け物で、あいつと同じで人を食べないと生きることはできない。
そんな現実を認識したくなくて体を動かす。
元々の目的であった祖父の遺品整理を進め、倉庫から農機具を出して整理し、残るは祖父の私室のみ。
祖父の部屋の襖を開け、電気をつける。
そこに、その化け物がいた。
ただの少女の見た目で、白いワンピースを着て、明るい亜麻色の髪を畳に垂れさせて本を読んでいるソレは夏らしさを人に押し固めたような姿で僕の日常に入り込んでいる。
「あ、おにーさん」
怖い。
喉が乾く。
足が下がろうとする。
手がそれを殺そうと伸びそうになる。
それを全部必死に抑え込んで歩を進める。
「なんで、お前は健司を喰った」
「なんで、お前は平気なんだ」
目の前のそれが顔を上げる。僕の目を見つめて、何かを探るように目を細める。
永遠に感じる数秒の後に、それは口を開く。
「おなかすいてたから」
嗚呼。そうか。
きっとこいつにとって人は意思疎通ができる食料なのだ。
食欲に逆らうことは難しい。
僕が腹が減って作り置きを食べるのと同じように、こいつは腹が減って健司を食ったのだ。
「ナギサ」
初めて、名前を呼んだ。
その少女が、目を見開くのが見えた。
「健司を喰った時、どう思った」
それはいたって普通に、いたって真面目に、出会ったときから変わらない目だけが動いているような無表情で口を開いた。
「おいしかった」
予想はしていた。
予想していたし、完全に想像通りの返答ではあったが、やはりこれは化け物で、人と違う生物であると認識させられて、喉に何か詰まるような……息を忘れたような何とも言い難い感覚が脳を痺れさせる。
「でも、なんかいやだった」
「…はじめて。はじめてたべたくないって。ちょっとおもった」
意味が分からない。
食べたくないと思った?嫌だった?考えていることがまったくもってわからない。
「おにーさんは、わかる?」
「いただきますが、いやだったのがわからないの」
情でも感じたのだろうか?
そんなことはないと、お前は何も感じない冷徹で残忍な化け物であってくれと、ただ祈った。
もし、こいつが人間的な感情があるのだとしたら。
もし、こいつが健司に何か思うところがあったのなら。
僕は正気でいられると言い切る保証がない。
だから願う。
ただ、ただ捕食者であってくれと。
それが、繰り返し口を開く。
何故を繰り返す幼児のように。
親に何でと問いかけ続ける子供のように。
「あのおにーさんは、食べちゃダメだったのかな?」
「……そう思うなら、そうだったんだろ」
呼吸が薄い。脳が回らない。かんがえがまとまらない。
浅い呼吸を整えようと部屋を出て化け物を視界から外す。
蒸し暑い空気が肺を満たし、だるいほどの暑さを感じるが、今は頭を冷静にさせないそれが心地良い。
人間的な感情など持たないでいて欲しいが、恐らくあいつは僕たちと食事以外何も変わらない。
今は僕も同じなんだろうが、食人衝動はない……はずだ。
僕は人は食べたくない。もう遅いんだろうけど、それでも。
「おにーさん」
襖が開いてナギサが顔を出す。手には祖父が持っていた本。
にへら、と下手な笑顔を……お前、そんな顔もできるんだなと思いながら差し出された本を手に取った。
「これ、読みたいの。読んで」
読み聞かせをしろ、ということだろうか。
「……座れ」
「ん!」
廊下の窓を開け、温い風に吹かれながらナギサと腰掛ける。
足が下のアスファルトに少し触れて熱い。
興味津々といった様子で僕の手を掴んで催促してくるナギサを横目に本を開いた。
それは僕の好きな本。正確には昔祖父によく読み聞かせをねだった絵本だ。
これなら、自然と言い淀むことなくナギサに聞かせられる。
内容自体は善人の正直者が得をしてそれを利用して儲けようとたくらむ強欲な悪人に罰が当たるだけのよくある話。
「ぱちぱち」
読み終えるとナギサが手と口で拍手を送ってくる。
その目の輝き様に少し気分が軽くなる。非現実的すぎてまだそんな余裕があるだけかもしれないが、少なくともその目を向けられるのは嫌じゃない。
「この話、好きか?」
「すき。おじいさん、よかった」
童話らしくハッピーエンドなのが気に入ったらしい。
僕の膝から本を下ろして自分で読み始めたナギサから視線を外し、祖父の部屋に入る。
遺品らしい品はそこまでない。元々自分の興味ない部分というか、しっかりしなくていいと判断した部分にはかなり雑にしていた祖父らしく、布団やテレビ、果ては衣服まで幼いころの記憶と一致する。
埃をかぶった写真たてを軽く布巾で拭く。
いくつかある写真たて。その中に、一つだけ女の子がいる。
両手でひまわりの束を抱えた、ナギサとよく似た少女が。




