人生の逆転
あの後、ドイツ将校の死体を丁重に墓地に葬り塹壕に戻りました。
すると、兵士より作戦壕に来るようにとの言伝を受けました。
僕は嫌な気分になりました。中隊の中で僕を呼びつけられる人間は1人しかいません。中隊長です。
階級は中尉で、年は20代初めごろでしょうか。なんでもモスクワの士官学校を主席で卒業したばかりらしく、まだ子供のような垢抜けなさがありました。
彼が僕たちの塹壕の責任者で中隊の隊長でした。
世間が想像する軍人の型のままの男で、祖国のためだの、民草の安寧だのと精神訓読を言い、話すたび若いくせに年寄りのような説教くささがありました。
そのような話を誰がありがたがるものですか。前線に出ているのは皆、金欲しさに志願した貧乏人ばかりです。
国がどうなろうとも知ったこっちゃありませんよ。将校と一般兵では根っこが違うんです。
皆、中尉の言葉にうんざりとしていましたし、中尉も僕たちをいかにもろくでなしを見るかのようにしていました。その中でも特に中尉が嫌っていたのが僕だったんですがね。
僕が何かをすれば必ず口煩く責め立てるのです。それも初めの頃ならわかりますが、こいつは何を言っても変わらない、とわかった後も律儀に口を挟んでくるのです。
何度も賭けの場面を見つかってはあれやこれやとつまらない説教をかましてくるので、鬱陶しいったら仕方がなかったですが、僕も大概捻くれているので、するなと言われるとしたくなってしまうのです。
まぁ、隊長が兵士に好かれていては兵隊は成り立ちませんから、嫌われているくらいがちょうど良いのです。
その分、僕が兵士たちから好かれていたという話です。
兵隊だけの話ではありませんが、集団を率いる者は部下達に好かれてはいけません。長が部下の顔色を伺うようになっては、集団は堕落していくものですから。
部下を気遣うのは2番手の仕事です。貴方もゆくゆくは集団を率いる立場になるのでしょう。この事は覚えておいても損はありませんよ。
重い足取りで作戦壕の中に入り、気だるげに名乗ると、
「なんだ、その覇気の無さは。もっと腹から声を出せ」
と、一喝されました。
階級上は中隊長は上官に当たるので従うべきところですが、僕はそんなこと知りません。
―何用でお呼びか。
中尉の言葉を無視するようにして、口を開きました。
憎らし気ににらまれましたが、知ったことではありません。
怒りを抑えるように大きく息を吐いた中尉は、席につき膝をゆすっていました。
僕は近くにあった木箱に腰掛け、煙草に火をつけました。
「おい、上官の前だぞ」
ー上官の話に集中するために吸っているんだ。話の途中で眠っちまったら悪いだろう。
中尉の眉間に血管が浮きでました。
罵倒するなら勝手にしろ、と胸中で呟きながら煙をたっぷり吐き出しました。
ですが、僕への罵詈雑言は来ず、中尉は咳払い一つして座り直しました。
「本日、敵兵に医療行為を行ったそうじゃないか」
―それが何か。捕虜にしようと思っただけだ。
「だが、捕虜にはできなかった。死んでしまったそうだな」
―思っていたよりも傷が深くてな。中尉だったから情報でも聞き出そうと思ったが残念だ。なんだよ、情報を聞き出せなかったことへの嫌味か?
「違う。その捕虜は発見時から既に致命傷だったと聞いた。そんな奴に医療物資を使用したのか」
どこから知ったのかは聞きませんでした。大方、おしゃべりな誰かが言いふらしていたんでしょうね。嘘をつくのも面倒だったので、無言で首肯しました。すると、一喝されました。
「馬鹿野郎。貴重な医療物資を無駄にしやがって。前線はどこも物資が不足している。死にかけの敵兵に使っている余裕はねぇんだ」
―うるさい、そうわめくな。俺は聖職者だぜ。苦しんでいる人間がいたらそれを取り除くのが仕事だ。
「屁理屈を、今までさんざん好き勝手しておいて、具合が悪くなると聖職者かよ、聞いてあきれるわ」
その言葉は応えましたね。仏頂面で目を反らしました。叱られている子供のようでした。
「大体、名誉あるソビエト軍人が敵兵の死体を漁るとはどういう了見だ。いくら物資が不足しているからといって、誇りまで捨ててしまっては犬畜生と変わりないだろうが」
―はいはい、御高説痛み入るぜ。次からは気をつけるよ中尉殿。
そっぽを向き、手をひらひらと振りました。長い説教が始まりそうな気がしたので、退散しようとしました。
背後から太い溜息が聞こえましたが、無視しました。ちょっと待て、と呼び止められ。振り向かず、耳を傾けました。
「共有しておく。近々、本部の視察隊が来る。数日中に来るらしいから、その時くらいはおとなしくしておけ」
答える代わりに片手をあげて僕は作戦壕をさりました。
その夜のことです。いつものように寝酒を呑み、光る星を眺めながらうつらうつらとしていました。その夜はいつもよりも冷え込み、酒量が多かった。それでも冷え込みには耐えられず、塹壕のところどころでは隊員たちが焚き火にあたっていました。
皆、寒さに凍ったような表情をしていました。いつもならば酒に酔い、ラジオから流行歌が流れていましたが、ラジオは切られ、とろとろと燃える炎に視線を落としていました。
「ルカ、ずいぶんときれいな首巻をつけているじゃねぇか。どこで拾った?」
昼間のことを知らない兵士が僕の首に巻いている首巻を指差しました。酒に酔い顔が赤くなっていました。
―何でもかんでも落とし物を身に着けていると思うな。ドイツ兵からもらったんだ。
「上等なものじゃないか。それならずいぶん価値になるぜ。また賭け事ができるな」
昼間、あの場にいた兵士たちが鋭い視線を、赤ら顔の兵士に向けました。
―これはそういうものじゃねぇよ。
ドイツ将校からもらったあの首巻は、それまでの敵兵からの拾いものとは何か意味が違いました。
耳をすませば、ドイツ将校から物を貰った物を自慢する声が聞こえました。
「見ろよ、鉄十字の勲章だぜ。本物を初めてみた」
「こっちは将校用の懐中時計だ。俺達の使っているボロとはやっぱり違うな」
「これは人にはやれねぇな」
これまで、ドイツ兵から奪ったものについての扱いは人それぞれでした。気に入ったものなら自分のものとして手元に残す人、他のものに交換してしまう人、そして僕のように片っ端から種銭として使用する人、ですが、あのドイツ将校から受け取ったものについては皆、それを手放すことはなく、丁重に扱っていました。
それこそ、家族や親友、恋人からの贈り物のようにです。
ふと、僕は疑問に思いました。
ーお前たちはどうして戦争にきたんだ?
兵士たちは一瞬、目を丸くした皆でしたが思考するように腕を組みました。それから
「今更だな。金が無いから来たのさ。出稼ぎさ。ここにいる連中はみんなそうさ」
と、1人の兵士が答えました。
―なんで金がいる。
「俺は家族の食い扶持のためさ。金もねぇのに子供がポンポン生まれちまってな」
「仕事を始めるための元手だ。これでもいろいろ考えている」
「学校に行くための学費稼ぎだな」
思っていたよりも仲間たちが戦場に来た理由ははっきりとしていました。
家族や夢があり、それを叶えるための足がかりとして戦争を見ていました。
彼らには敵を殺すにたる正当な理由があり、金集めに執心するにたる理由がありました。
彼らにとってこの戦争で終わりではなく、その先の将来が続いているのだと僕は気づきました。
一心に続く思いは僕にとって羨ましくも妬ましくも感じました。
それに対して、僕はどうでしょうか。
つまらぬからと故郷を捨て、くだらぬからといって戦場にまで流れてきたただの根無し草です。己の快感ばかりをさがす愚かな乞食のようではないかと思いました。
「ルカはよ、刺激を求めて戦場へ来たんだっけか」
―まぁ、そんなところだ。
濁すように言いました。僕の参戦理由が彼らと比べるとあまりに軽薄に思えたからです。
「若いっていうのはいいな。俺もあと十若ければ、そんな理由で好き勝手できたんだがな。家族がいるとどうにも腰が重くなっちまう」
皆は笑っていましたが、僕は変わらずむっつりしていました。
僕の様子に気づいた兵士が声をかけました。
「何ぶすくれてんだよ。嫌なことでもあったのか」
ーいや、お前らもしっかりと考えてんだなって感心したんだよ。
僕のしおらしい反応が予想外だったのか、仲間たちはどこか照れているようでした。
「まぁ、自分だけの命じゃねぇからな。歳をとると色々背負うものが増えちまうんだわ」
しみじみと話す兵士に皆が同調するように頷きました。何処か寂しそうに見えました。
「そんな親父が酒呑んで、賭け事してるんだから笑っちまうぜ」
「俺なんて故郷を出る時は英雄って呼ばれたんだ。それが今は死体漁りしてる」
兵隊達が口々に理想と現実の差を茶化し始めました。
ーでも、家族のために戦場まで来たのなら上等じゃねぇか。
いじけ気味になっていたんだと思います。だから、相手を持ち上げ、自分のことを卑下していたのでしょう。
「だがよう、これじゃあ故郷の奴らに土産話の一つもできない」
「焦るなよ、ずっと気張っていたら持たないぜ。いざって時にどれだけの働きが出来るかにかかってるんだ」
その言葉が耳に残りました。随分と都合の良い考えだ、と少し呆れていました。
ーいざって時っていつだよ。
「そりゃお前、男のいざって時は生きるか死ぬかの瀬戸際だろうよ。そこでどれだけ格好つけられるかで、人生の値打ちが決まるのさ」
ふふん、と胸を張る兵士の言葉の意味がよくわからず、首をかしげました。
―死ぬのにまだ格好つけるのか?
「死ぬからこそ格好をつけるんだ。どれだけひどい人生でも、最後がきれいだと華やいだ人生に思えるものなのさ。どんな人間でも最後には人生の一発逆転を狙って格好つける。それが本心かどうかはわからないがね」
得意げに話す姿が癪に障りました。
―悟ったようなことを言いやがる。ずいぶんと都合のいい話だ。
「都合よくてもいいじゃねぇか。今日のドイツ将校を思い出してみろ。死ぬっていうのに随分とカッコよかったじゃないか。仲間のために戦ったなんて、そうそう言えるものじゃない。それを死の間際に言い放つんだから、俺は随分と心打たれた。誰かにそう思せたんだから、あいつは大したやつだ。どんな人生だったかは知らないけれど、十分に人生に逆転した」
―そういうもんかね。
「そういうものだ。宗教ではお得意の信じるものは救われるというやつさ。なまじ人生が長いとそういう考えが生まれるんだよ」
変わらず納得いきませんでしたが、どうしてか一笑に付す気にはなれず、頭の中で考えが反芻していました。
それからは他愛の無い話をしていました。焚き火の爆ぜる音と仲間たちの声、静かに夜は過ぎていくものだと思っていました。
いつもとは違うことが起きたので僕たちは感傷的になっていたのでしょう。焚き火の熱で体が温まったので、寝床に戻りました。うつうつと現実と夢との境が曖昧になってきたその時、音が聞こえました。
一つのエピソードを4000~5000文字程度にしようと思っていますが、皆さんは長すぎたり短すぎたりしませんか?