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死体を薪に、兵士よ進め  作者: かきあつ
前線奪還戦
21/32

仲間との再開

 

 二等兵の援護を受けながら走り始めました。背後から発砲音が聞こえましたが、振り返らずに全力で走りました。


 走り続けました。ただひたすら前に前にと。目の前では弾丸が飛び交っているため、体を前屈させ、駆けていました。

 頭が前に入っているので転びそうになりました。

 途中から僕が体を曲げているのではなく、大地が傾いているような錯覚に陥りました。転ばないように足を回しているように感じ、走っているよりも落ちているようでした。

 どこに落ちているのか、それは全てが始まったあの高台の塹壕に決まっています。あそこを中心にして、戦場全体がすり鉢のように形を変えているのです。仲間の血に塗れたあの場所に、僕は落ちているのです。もう戻れません。落ちることが可能ではなく、落ちるしかなかったのです。どれほどもがこうとも、必ずそこに行き着くのです。

 悪い話ではありません。

 例え、恐れ、足がすくもうともそこに辿り着くのです。きっとそこが僕にとっての死場所だったのです。ここを逃せばもう他に、自分の納得いく死場所は見つからないでしょう。

 泥の中で永遠の青春を友と味わうのも悪くはありません。

 僕が見た神と共に殉ずるのであれば、聖職者としてもいい死場所です。

 

 そんな考えに気を取られて、足元が疎かになりました。一つの窪みに頭から転げ落ちました。窪みの底に溜まっていた泥水に飛び込み、水を飲みました。      ひどく咳込みながら顔を上げると、そこには10人ほどの兵士が腹這いになったまま、僕に銃口を向けていました。

 人がいるとは思っていませんでしたので、驚きました。それからほんの少し遅れて心の中に温かな水が満たされるような気持ちになりました。

 目の前にいるのが探し続けていた中隊の兵士達だったからです。


ー撃つな。俺だ、ルカだ。


 そう名乗りながら両手の平を向けました。

 隊員達は吊り上がった目をまん丸にしていました。


ーとにかく銃口を降ろしてくれ。


 僕がそう言うまで、彼らは信じられないものでも見るかのように固まっていました。

 顔の泥を袖で拭った僕を見て、兵士たちは太い息を吐きました。幾分か落ち着いたようでした。


「なんでお前がここにいる?」


 まるでこの世ならざるものを見たかのような声で尋ねてきたのは中尉でした。

 まだ生きていたのかと僕は喜びました。


ーお前達だけにいい格好はさせるものかよ。俺にもやらせろ。


 いたずらっぽく歯を覗かせて笑ってやりました。

 中尉は顔をしわぶかせていました。そんなことを気にも留めず、僕は尋ねました。


ー他の仲間はどうした?


「わからない。途中までは知っているが、気づいたら散り散りになっていた」


 頭を上げることすらままならない世界ですから、むしろ今、これだけ敵陣に肉薄できた兵士がいたことが奇跡のようなものなのです。

 兵士たちの隣に移り、同じように腹這いになりました。慎重に窪みから顔を出し、敵陣を確認しました。

 驚いたことに敵陣の塹壕が設置されている高台の斜面までは数十メートルほどしかありませんでした。敵兵の顔が見えるくらいです。

 当然、敵兵もこちらを狙い撃ちするようになります。少し頭を出しただけでも、耳元でチュンという弾丸が空を切る音が聞こえました。

慌てて頭を隠し、ずるずると窪みの底にずり落ちました。


「ここまでは順調だったのに、急に足が動かなくなりやがった」


 兵士は太腿を叩きながら言いました。

 その気持ちもわかります。

 兵士たちにとっては大勢の戦友が死に、仲間を置き去りにして撤退した記憶を呼び起こす場所です。いくら勇気があっても、近づくにつれて足取りは重くなるのは当然です。

 ちらりと仲間を見ると黙りこくっています、顔は地面の色が移ったのかというくらい青い顔をしていました。


 手足を動かし、体を動かしていれば気がまぎれるものです。彼らもそうやって戦場をひた走り、ここまで肉薄したのでしょう。ですが、足が竦み、体が止まってしまった。

途端に五体に流れていた血液が頭をめぐり、逡巡し、過去の記憶が頭をもたげてきたのです。

 誰かが僕の袖を引っ張りました。そちらを向くと、四つん這いになった兵士がいました。

 目には微かですが希望の色が浮かんでいました。


「お前が来たってことは、後方からは友軍が来ているんだよな?」


 兵士の考えはこうです。武器も何もない人間が最前線にやって来たのです。単独で来る訳がない、ならば援軍に守られながら来たのだろうと考えるのが自然です。

 だから、兵士の目には希望の色が映っていたのです。

 ですが、それは間違いです。ここに来たのは人を殺すことは出来ない、兵士としての職務から正反対にいる人間です。

 また、援軍はありえない話です。僕たちは捨て石なのです。少しでもここで耐え踏ん張り、敵を惹きつけ、他の隊が前進しやすくするのがこの隊の役割なのです。


 捨て石に援軍を割くような馬鹿はいません。ですが、誰が正直にそんなことを言えましょうか。彼の目にある希望の光は、弱りきった兵士にとって、この世に繋ぎ止める最後の鎖だと思ました。とてもそれを断ち切ることなんて出来ません。


 この戦場で何度も僕はやってきました。死人の心を解釈し、相手の立場を斟酌して、不鮮明な希望を抱かてきました。戦意を失いかけた兵士に、亡き戦友の思いを届け再起させることを。

 同じようにしようと思いましたが、喉に何かが詰まったように言葉が出ません。

 えずきました。

 どうして言葉が詰まるのか僕には理解できませんでした。

 当時を振り返り、今ならわかります。根も葉もない嘘をつけなかった。

それだけです。

 思い出してください、僕がそれまで兵士たちを奮起させた言葉を。

 今は亡き戦友の言葉を僕なりに解釈し、それを伝えていたのです。真意は確かめようがありません。それ故に、嘘でも本当でもない曖昧な希望を伝えられたのです。ですが、援軍は来ない。それはNKVDの少佐が言ったことです。

 生きている人間の言葉を自分の都合の良いように変えるのは嘘です。

 例え、一縷の望みに命をかけようとしている人間が目の前にいたとしても、嘘は言えません。でないと、僕が今まで伝えた死者の言葉が偽物になってしまいますから。


ー援軍は来ない。俺達はここで敵を惹きつけ続ける。


 絞り出すように僕は声を発しました。兵士はしばらく時間が止まったように固まっていました。そして、ゆっくりと熾火の赤が薄れていくように目から希望の色が消えていきました。


 あぁ、と喘ぎ声を出し、悔しそうに地面をたたきました。

 しまったと思いました。要らぬ恐怖を抱かせてしまった。僕は頭を抱えたくなりました。彼らは恐れと勇気の中間地点にいました。だというのに、僕が正直に言葉を伝えてしまった。

 もう少し、嘘をつかないまでも濁す方法もあったのではないかと気がつきました。

 兵士が突然立ち上がったかと思えば、窪みの縁に足をかけ、体を晒しました。


「ちくしょう、ちくしょう。何だってバンバン打ちやがるんだ。お前らが打つから俺らも打たねぇといけねだろうが」


 怒鳴り声を敵陣に向けて放ちました。

 いきなりの事で呆然とした僕たちでしたが、おい、危ねぇよ、と、兵士の上着を掴み、窪みの中に引っ張り込みました。勢い余って泥水の中に飛び込んでしまった兵士でしたが、意に介さないようにちくしょう、ちくしょうと叫び、泥水の中で手を振り、足を振り回し、暴れ続けました。


 気でも狂ったかと思いましたが、どこか真剣に暴れ回っているように見えました。

 そこで不思議なことが起きました。他の兵士達も同じように叫び始めたのです。口汚い言葉を咆哮するように空に叫び、土の壁を殴ったり、泥水に飛び込んだりするのです。

 命の危機だというのに、怒りに打ち震える力強い表情でした。


 不思議なことに皆が皆、僕のことを憎らしげに睨め上げるのです。

 僕は思わず後ずさると、背後で何かに軽くぶつかりました。

 ちらりと目を回せば、中尉の怒りに燃える目が僕を捉えました。力強い足取りで僕の前に来て、僕の襟首を捻りあげました。


「なんでお前はここにいるんだ。伝令でもなければ何しに来たんだよ、なぁ」


 中尉が僕の襟首を掴んだまま、前後に揺らしました。

 まなこが吊り上がり、ひどく充血しているのがわかります。

 八つ当たりなのだろうと思いました。彼の怒りをぶつけるべき相手は他に誰もおらず、ぶつけたところでどうにもなりません。

 襟首を捻る腕に力が入り、息苦しくなってきましたが、僕は抵抗する気にはなりません。不思議な話ですが、敵に殺されるよりもここで仲間に殺された方が、気が楽なように思えました。 


 気道が狭められ、ヒューヒューと僕の口からか細い呼吸音が聞こえました。 仲間の命を奪うのです。それで情けない死に方をしようとは思わないでしょう。


 視界が白黒と点滅し始めました。呼吸を失っているはずなのですが、頭の先から足の指先まで、これまでよりも敏感に知覚できるように感じました。

 五感が冴え渡り、言葉にし難い快感が僕を貫きました。ですが、それもすぐに終わりました。

 殺すなら殺せと言わんばかりに僕は、ポケットに手を突っ込み、無抵抗を示しました。


 その時、ポケットの中で固く握られた拳に何かがあたる感触がしました。忘れていました。途中に軍曹から渡された手紙のことと、中尉に伝えてほしいと託された言葉を。

 震える手で手紙を取り出し、僕を捻りあげる中尉の目の前に突き出しました。


ー俺は…賭けに…負けるつもりはねぇぞ…


 肺に残っていた酸素はわずかでしたので、声は掠れていました。それでも、伝えてくれと頼まれた以上、何としても中尉に、皆に届けなくてはなりません。


 すると突然、僕を引っ張っていた拳が解かれ、地面にどさりと尻餅をつきました。顔を上げますが、点滅する視界はぼんやりとしていて、目の前の光景も不鮮明でした。

 ただ、いつの間にか僕の手から手紙はなくなっていました。

 何かが僕を強く抱きました。背中に手を回し、痛みを感じるほど強く抱きしめられたのです。


 視界が鮮明になってきてわかりました。さっきまで僕をねじりあげていた中尉が、今度は僕を強く抱きしめていました。

 僕の耳元て嗚咽し、涙を流していました。


「お前が来ちまったら御破算だろうが。俺たちはともかくよ、お前が死ぬ理由なんてないだろう」


 そう叫ぶのです。僕の中でこれまでの彼らの行動が一貫しました。兵士達はただ己の身にふりかかる不遇に恐れ怒り募らせているのではありませんでした。

 生きるはずの、生かそうとした人間が死ににやってきたことが不愉快でならなかったのでしょう。僕が繃帯所にいれば少なくとも戦死はしなかったでしょう。


 もし、前線を放棄したとして軍法会議にかけられたとしても僕は従軍聖職者です。軍人でありながら教会に属するものとして、かなりの量刑が期待できたでしょう。生きるならばあの壕の中にいれば良かったのです。

それがこんなところまで来てしまった。後生が悪くて堪らなかったんでしょうね。


 彼らの誇りのために今一度言います。僕の仲間達には死を恐れる者はただの1人もいなかった。彼らの遺言は僕の無事を祈ることで、それを台無しにしてしまったのが不覚にも僕だったのです。


「お前が死ぬ必要なんてなかった。誰も望んじゃいないんだからよ」


 僕の耳元で涙を流しながら怒鳴る中尉は一度僕から身を離し、手を僕の目の前に突き出しました。手には僕がさっき、ポケットから出した手紙を持っていました。


 紙切れを受け取った僕は、紙面に目を落としました。

 そこには殴り書きのメモのようでした。何か見覚えがあると思えば、出撃前に生き残りの兵士たちと共に作った、誰が生き残るのかふざけ半分で作った賭けの表でした。

 すっかり記憶から抜けていたもので、思い出すまで数秒かかりました。

 みみずがのたくったような文字で読むのに苦労しました。


 読み終えた時、僕は言葉を失いました。手に持つ手紙を抱え込むようにして体を丸めて、涙を流しました。 

 手紙には誰々に何をいくつ賭けるというようなことが書いてありました。その中で僕が生き残るにことに、全員が大量に賭けていたのです。

 僕の心に温かい液体のようなものが満たされていくような気がしました。

 再び神を見たのです。

 自分の命の瀬戸際で、他人のために涙を流す人間に、他人に生きて欲しいと願った兵士たちに、僕は塹壕で僕を庇って死んでいった仲間と同じ神を見つけました。僕が信じたものは間違いでも気の迷いでもなかったと改めて思いました。

 紙に書かれている名前の一つ一つを見るたびに、おそらくもうこの世にはいないであろう仲間の顔を思い出し、遥かな空の先を見ました。僕の気持ちを、この胸に湧いた形のない淡く、ですが、確かな熱を持った何かを伝える相手がいないのなら空に放つしかありませんでした。


 空に向かって咆哮しました。喉に鋭い痛みが走りましたが、構いません。どうにかこの心を外に出さなければ、心が破裂してしまうような気がしました。

 いざという時に言葉なんて何の価値もないのだと改めて思い知りました。溢れた思いが胸に詰まって言葉にならず、獣のような絶叫でしたが、不満はありませんでした。

 涙が溢れて止まりませんでした。酷く底冷えのする戦場で、流れた涙が伝った頬は熱を持ち、冷えることはありませんでした。


お読み下さってありがとうございます。

イイネ、ブックマークなど嬉しい限りです、ありがとうございます!

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