ソビエト赤軍南部師団第7歩兵大隊C中隊
今書いている話はすでに完結しており、それを細切りにして投稿しております。
投稿をお待たせすることはあまりないと思いますが、なるべく短い頻度で投稿していくつもりです。
着任初日のことは覚えています。ドン河沿岸の敷かれた後衛基地から半日かけて到着した陣地の中腹ではちょうど、兵士たちが塹壕の修復作業を行っていました。皆、腕まくりをして泥だらけの顔で僕を凝視していました。
案内役の兵士に促され自己紹介をすると、兵士たちは皆、僕の肩書に得心がいつていないようでした。
「従軍聖職者とは一体なんですかい?」
1人の兵士が尋ねてきました。この問い僕は閉口しました。なんでって、実は僕自身も己の役割を具体的に理解していなかったからです。とりあえず、僕が受けた説明を思い出しながら言葉にしました。
―従軍聖職者の職務は歩兵と共にあり、精神的、肉体的負担を分かちあい、軽減し、兵士個々人、部隊全体の士気を維持するものである。従軍聖職者は主たる神と母なる国に身を捧げるものであり、戦場においては神の代弁者として、神の御言葉を届けるものである。…簡単に言えば、君たちの精神的な負担を軽減させるのが役割だ。
僕がそう要綱の一部を諳んじると、兵士たちの間からくぐもった笑いが聞こえてきました。
「だったら何かい、ついでに下の悩みもきてくれるのかい」
そんな下卑た言葉が聞こえてきました。
「そりゃいい、ここのところ女を抱いてねぇんだ。この際、あんたみたいなかわいい顔だったらついてても、ついてなくても別にいい」
その言葉に笑いを堪えていた兵士たちは破顔し、大声で笑い始めました。
僕は目を白黒させました。怒りも湧いてきませんでした。僕の想像していた兵士たちと実際とがあまりにも乖離しすぎていたからです。もっと規律ただしく四角四面な様子を想像していたものですから、いきなり下の話をされ面をくらったのです。
「おいおい、牧師様が困っている。不浄なお話には慣れていないご様子だぜ」
誰かが茶化すようにそう言い、他の兵士たちは手を叩いて笑い合っていまいた。その様子に僕はむくむくと怒りが湧いてきました。牧師がどうのとかはどうでもよいのです。ただ、男として馬鹿にされていることは許せなかった。
―お前らこそそんな身なりで、いざって時に及び腰になるんじゃねぇのか。敵機落とすのと、女落とすのは理由が違うぜ。
憤慨した口調で叫んだ僕は、兵士の前にいって一言、相手の腰に向かって言いました。
―なんだい、口の割には小口径じゃないか。まぁ、よろしくなおちびちゃん。
一拍置いて、周りの兵士たちは何かが破裂するかのように笑い、言われた兵士は赤い顔をしていました。
「こりゃいいや。面白い」
「口の悪い奴は好きだぜ。特に下品な奴はな」
と、粗暴な言葉でしたが歓迎してくれました。
隣にいる僕を紹介してくれた将校は溜息を吐いて、目に手を当てていました。
―想像していたよりも随分と陽気な奴らですね。
「理由はその内わかるさ」
と、諦めた様子でつぶやいていました。
兵士たちとの仲は良好でした。着任時の態度が気に入られたらしく、居心地の悪さはありませんでした。
しばらく疑問を持っていたのは、兵士たちの精神的な状態に何の問題も感じなかったことです。
前線の兵士たちの間の精神状態が芳しくないとのことで創設された従軍聖職者だというのに、僕は拍子抜けしました。
ですが、その理由も初めての戦闘で理解できました。
着任して数日後に、ドイツ兵が僕たちの元へと打ち掛けてきましたね。仰ぎ見るようにして砲の口を向け、どんどんと打ってきました。
初めは慣れない砲弾の音に体を硬くしていましたが、兵士から
「心配するな。当たりっこねぇよ。見てみろ」
と促され、塹壕から首を出して見てみると、
敵の砲弾は僕たちの塹壕に届くことなく、高台の麓付近に着弾していました。
詳しい理由は分かりませんが、敵兵の弾はこちらに届かず、それに対して、こちらの砲はてっぺんに設置されており、打ち下ろすようにして砲撃していました。こうすると、大砲は重力に逆らわず流れるようにして長距離を飛んでいくのです。
相手の弾は当たらず、こちらからは攻められるというのは快感ですよ。
敵が運良く砲弾の雨霰を抜けてきたとしても、機関銃の掃射が待ってますから、まずまともな方法では、あの陣地を落とすことは難しいでしょうね。
そんな戦場を見ていて、自分は殺されず相手を殺す立場にあるとわかれば、あっという間に僕は相を改めました。血が滾るような感覚があり、気がつけば塹壕から身を乗り出して、食い入るようにして戦場を眺めていました。
「戦場へようこそ、准尉殿」
そんな兵士の声が聞こえました。
難攻不落の陣地の中にいる僕たちは、戦場にあって死に遠い人間としていたのですから、特異な存在だったと思います。
当時は配属された理由なんて考えたことありませんでしたが、今となっては比較的安全な場所に置いておこうという軍部の意図があったのでしょう。
軍人でありながら聖職者である僕は軍の構造から分かれた存在でした。所属は軍ですが、指示系統は教会に属していたのです。そういうところの権力云々は詳しくは知りません。
軍としても僕は厄介だったと思いますよ。死にでもしたら教会からどんな因縁をつけられるかわかりません、ですので、安全な場所にいてもらおうという魂胆があったのです。
先にも話したように陣地の兵士達の精神は良好でした。元々、兵士の士気維持の目的で来たのに、士気が高ければするべきことはあまりありません。ですから、毎日が手持ち無沙汰な日々でしたね。
人間暇だと碌でもないことばかりしでかします。ましてや、血気盛んな若造の僕は、故郷や神学校では禁じられていたことにここぞとばかりに手を染めました。酒、煙草、賭け事を覚えたのはこの時です。
高地に陣取る僕たちにとって、いちばんの問題は娯楽の少なさでした。
後方には女郎屋や旅の一座が慰問公演に来ており、それなりに楽しめていましたが、前線ではそんなものはありません。
一度ばかり、娼婦を前線に呼べと具申したこともありますが、流石にそれは却下されました。
僕たちの無聊を慰めたのは賭けです。カードやくじといった小さなことから、上空で繰り広げられる航空戦や遠目に見える歩兵達の戦いにまでです。
ですが賭けはすぐに飽きました。何故かっていうと、種銭にできるようなものが少ないのです。
物不足の戦場故、仕方のないことではありますが、失うものも少ない賭け事に魅力はありません。
そこで僕は自分たちの資産を増やそうと試みましたね。その方法が傑作です。
遠目に死んでいるドイツ兵の死骸を漁るのです。ドイツ兵の装備は僕たちのものと比べても充実していました。綺麗な襦袢があれば儲け物で、サイズの合う革靴は一等良いものでした。
そうしたものを、這いつくばりながら死んだ兵士の元へ行き、よく探したものです。
随分と意外そうな顔をしますね。聖職者が死体漁りなんて、と思っているのでしょう?
ですが、本当のことなんです。それどころか、僕は進んで取り組んでいました。
表向きでは死体の埋葬というものでしたから、埋葬には聖職者がいないと始まりませんし、平時なら埋葬すれば遺族から献金があるでしょう。献金を渡す遺族がいないのなら、死体の装備を献金として納得しました。
戦場だろうともそれは変わりません。それが道理というものです。
敵が撤退してから半日ほどが経つと、僕は塹壕から頭をちょこんと出して、戦場を観察していました。
こちらの陣から「よし」という声が聞こえれば、塹壕から駆け出し、斜面を駆け下ろうと準備をしていました。
遠目に見れば僕達が突撃をしているように見えますが、手に持っているのは銃ではなく、目のあらい麻袋でした。
よし、という掛け声はあの時の僕達にはぴったりでした。
中腹に転がる死体は宝の山で、それを前に目を爛々と輝かせていた僕達は、まさに餌の前で待てと言われた犬のようでしたから。
死体の元へ辿り着いた僕達は、少しでも状態の良いものを探し、ドイツ兵の死体をごろごろと転がしては様子を確認していました。
不思議な話ですが、死体の顔はどれもこれも同じような表情をしているのです。比較的綺麗なものから、体の一部が欠損している悲惨なことになっているものまで、どうしてか皆、顔中のシワというシワが消えて、つるりとした赤子の寝顔のような顔になっているのです。
手早く身を改めるコツとして、まず確認すべきは肩章です。当たり前ですが、階級が上なほど、良いものを持っていることが多いからです。
二等兵、一等兵はハズレ、下士官の中でも伍長、軍曹はまぁまぁ、曹長は当たりといった感じですかね。士官なんかは当たりも当たりの大当たりです。しばらくは遊んで暮らせるほどです。
こういうのも性格が出るもので、大物を狙わず、小物ばかりを漁って着々と資産を増やす奴もいれば、一発逆転の大物を探すやつもいます。
僕ですが?そりゃあ僕は大物も大物狙いで、小物になんて目もくれません。悪くても軍曹くらいを狙っていたものです。
おかげで、良いものを手に入れる時もあれば、素寒貧の時もあり、ということになっていました。
酷い時には賭け事のツケを支払うために、配給されてきたばかりの食料の半分を失っていたこともありました。
賭け事は戦場に来て知ったことの一つです。
自分があれほど賭け事が下手くそだったとは知りませんでしたがね。
熱中するほど負けがこみ、たまに勝つからやめられなくなる。あれは一種の病ですね。
よく仲間の兵士から、お前はいつか賭け事で身を滅ぼすと笑われたものです。実際、これまで賭けで大損をこいたことは両手の指では数えられないほどですが、今では見ての通り悠々自適な隠居暮らしです。
命を賭けて仕事をした僕の勝ちです。
この死体漁りですが、それなりに危険も孕んでいました。何せ塹壕から出るので流れ弾は飛んできます。それに当たるのはよほど運が悪いとしても、死体の中には死にきれず生きている敵兵も紛れています。
そういう奴らは何をしでかすかわかりません。目があった途端に掴みかかってきたり、拳銃を向けてくるものもいますので、急な戦闘になる危険があります。
かといって死にかけの敵兵が死ぬのを待っていると、死体が腐り、戦利品が蕩けた肉でぐずぐずになり使えなくなってしまいます。
戦闘が終われば手早く、それでいて用心深く漁らないといけないのです。
僕も何度か敵に襲われたことはあります。
そんな話も聞きますか?