死体を薪に進め
兵士は物言わぬ石くれか何かに話しかけるように語りました。
僕はただじっと考えていました。
彼の話、それをどのように解釈するのかは僕自身に委ねられました。
馬鹿な考えだと一蹴するも良し、実のある話として糧にするも構いません。
話の内容を自分の都合の良いように解釈しても問題ありません。
言葉の端々から感じた兵士の心を、追想し、補い、解釈し、思い込んで考えました。
彼の死にたくないという気持ちと、親友との約束のために戦いたいという気持ち、どちらも本物だと思いました。
血を吐くような思いで自分に納得させたのでしょう。
その結果が死にたくないから戦う、というものだったんです。
親友の真意はどうでも良く、ただ自分の都合に合わせた理由に書き換え、自分を騙した。
ぞくりとしました。誰もがやろうとしても出来なかったことですから。
己の意思のままに死者を弄ぶ。
ーなんて恐ろしい奴だ。
僕の声には怯えが混ざっていました。
ー戦場で多くのろくでなし共と出会ったが、貴君のような者は見たことがない。死者を弄ぶとは人でなしのすることだ。
今度は声を怒らせました。兵士は罵倒に近い僕の言葉に相槌を打っていました。
「ええ、間違いありません。僕は人でなしです。守るべきものは祖国でも仲間でもありません。自分自身です」
一つ一つの言葉が、まるで布に染みる水のように、僕の心に侵食してきました。
ー胸糞悪い。本当に貴君はなんなんだ。
萎縮し固まった舌をなんとか動かし、声を発しました。
「牧師様、僕は人間ですよ。死ぬ時も生きる時も人間です。英雄になれなかった、名もなき卑怯な男です」
声が裏返る僕とは対照的に、兵士は泰然としていました。
己を受け入れた故か、それとも諦観しているのかわかりません。
思わず、後ずさりました。得体の知れない何者かに魅入られているようでした。心臓が早鐘を打っていました。
ですが、彼の考えが間違っているとは思えませんでした。
死んだ人間はもう過去のもので、生きている人間にだけ未来がある。
それは紛れもない事実で、未来をもつものこそ、もしかしたら、という希望を持って生きる権利がある。
義務ではありません、権利です。自分の命を好きに出来なくて何が人生ですか。
希望を持つ権利があるなら、絶望する権利もあります。
ただ、権利の行使には己の意思による選択がいるのです。
貴方もこうしてここにいるのは、自分で選んできたのでしょう。
僕は目を瞑り、死んでいった仲間との記憶を一つ一つ思い起こしました。
どれもこれも泥だらけの顔で怒り、笑い、泣いていました。
僕を救ってくれた時も泥だらけの顔に茶色い涙を流していました。
記憶を遡る中で僕は己のことを酷く恥じました。
散々、目の前の兵士を貶したというのに、僕も同じことをしていたのです。
死の間際の仲間の真意を知る方法は無いというのに、知った気になって生き残った人間を再び戦場に追い立てた。
これほど間抜けで奢った人間は何処に探してもいないでしょうね。
ーすまなかった。俺がお前を責めることなんて出来ない筈なのに。
血を吐くような思いで声を出しました。
「いえ、良いんです。むしろ、貶されるためにここに来たのですから。おかげで力が湧いてきました」
僕たちは似た者同士でした。自分が生きる理由を他人に要求する、行き場のない乞食でした。
「それでも、止まってはいけませんよ。生きることを選んだ以上、貴方も僕も足掻かなければなりません。それが、死んだ仲間への弔いですから」
柔らかな口調なのに、不思議な響きを持って僕の耳朶を打ちました。
「それでは、僕はもう行きます。生きて会えるといいですね」
ー会えるも何も名前を聞いてねぇよ。
兵士の言葉に僕は被せるようにして問いかけました。
「懺悔するのに顔も名前もいらないでしょう。生きていればまた会えますよ」
弾むような声で彼はそう呟き、去っていきました。
また1人になりましたが、もう世界が流れるままにいようとは思いませんでした。
大仕事があります。決めなければいけません。あの涙の意味を、僕が解釈しなければなりません。
例え真意とはかけ離れていても、生きるための大義名分だろうとも、僕が生きるために利用するしかないのです。
自ら神だと崇めた彼らを、自分の目的のために使うのです。
数時間前の自分を裏切るのは、身を割くような思いでした。
それでも、目的の免罪符として喧伝しましょう。
僕を活かしてくれた彼ら、その涙の意味は僕を救えたことへの安堵の喜びだったのでしょう。
きっと僕は彼らに愛されていた。
自分の命を賭けてもいいと思ってくれていた。
それだけ僕の命には価値があったのです。
ならば、僕は僕を愛しましょう。僕の行為は死んだ彼らが保証してくれる。
神と崇めた彼が僕を正当だと言ってくれる。
やろう。自分のやりたいことを、やりたいように。死んだ彼らがそれを望んでくれるのだから。
そう決心した時、何か世界が開けたような気がしました。
いえ、世界は変わりません。僕が変わったのです。
不確かな足元はしっかりと地面を感じ、立ち上がりました。
暗闇の中でも自分の体がはっきりと感じられ、頭は冴え渡っていました。
突如として、頭にさっき夢を見た死んだ仲間達の会話が思い起こされました。
一体なんだと驚きましたが、不思議なことに夢の中では全くわからなかった言葉の意味がわかるようになりました。
まるで、翻訳されていくかのように、彼らの声で、言葉で耳に響いてきました。
腕の千切れた仲間からはこれまでの僕の行いへの賞賛が。
足が吹き飛んだ仲間からは自分たちを忘れずにいてくれたことへの感謝が。
そして、僕を助けてくれた仲間からは祈りと願いが、残った仲間を助けて欲しいという想いが言葉となって届きました。
彼らの死に際の真意は定かではありません。
今となっては知る由もありません。そうです、知る方法はありません。
ですので、僕はそう思い込んだんです。他の可能性を排除し、死んだ仲間の思いを解釈しました。
己を騙すために死者の想いを思い込みました。
いえ、思い込んだということすらも忘れ、それがあたかも彼らの真意だと己の思想を染め上げました。
僕は冷静でした。決して狂気に陥っていたのではなく、努めて冷静に、それでいて理性的に思考の分別をしていました。
ほろほろと涙が頬を伝いました。歓喜の涙です。僕の行いは神のご意志の拠るところであるという安心と勇気が胸の奥底から湧き上がっていました。
溢れる活力を元にして、扉に手をやりぐっと力を込めると、呆気ないくらい簡単に扉は開きました。
驚きはしませんでした。そうなって当然、僕には神がついているのですから。
今思えば、おそらく若い兵士が鍵を開けておいてくれたのでしょうね。
朝焼けに燃える空には白く輝く雲が浮き、空気は冷気を孕み、僕の肺を心地よく冷やしてくれました。
これほど、この世界を美しいと思ったことはありませんでした。これほど愛おしいと思ったことはありませんでした。
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