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死体を薪に、兵士よ進め  作者: かきあつ
前線奪還戦
11/32

中尉の想い

 僕はその足で前線の作戦本部となっている掩蔽壕を訪ねました。


 壕の中には人が1人大の字になって寝られるほどの大きな机があり、その上にこれもまた大きな地図が広げられていました。

 地図はおそらくこの前線を描いたものでしょう。その上には木で出来ている駒のようなものが、所狭しと並べられていました。

 地図の周りにはピンと立った髭をして、汚れのない軍服を身に纏った老兵が何人もいました。

 その中には中尉の姿もありました。


「なんだ報告なら後にしろ」


 将校の1人が僕には目もくれずに言いました。他の将校達も机に目を落とし、こちらに視線をくれようとしません。

 普通の兵士ならば上官の指示に従うものですから、「了解しました」の一言で返事をします。

後にしろと言われれば、余程の重要ごとでなければ引くものですが、僕はお客様でしたからそんなことは知りません。


ーC中隊残存兵のことで意見具申がございます。


 将校の皆が顔を上げ、僕に視線を向けました。

僕が誰だかわかった時の彼らの顔は嫌なものでした。

厄介ごとが舞い込んできたと言わんばかりに顔をしわぶかせていました。

 その中でも中尉は特に眉間に深い皺を寄せていました。

 目には怒気が映っていました。


ー先に残存兵を後方に送るとのお話を耳にしましたが、それは本当ですか。


 いくらか白いものが頭に混ざっている将校が答えました。階級章は大佐でした。


「いかにも。ちょうど今、中尉からその話がもたらされたところだ」


ーその話ですが、彼らを奪還戦に加えてくれませんか。彼らの士気は高く、復讐に燃えております。必ずや前線を奪還して見せましょう。


 毅然とした態度で意見しました。

 大佐は椅子の背もたれに体を預けるようにして太い息を吐きました。いかにも辟易としているのがわかりました。


「准尉、君の仕事は兵士たちの精神的な負担を減らすことだろう。軍略に案を出すことじゃない。

 我々も君の仕事を尊重して、口を挟まなかったんだ。

 パンのことはパン屋に、靴のことは靴屋に、って言うじゃないか」


 至言ですね。理は大佐にあります。彼らの仕事は戦争に勝つことでありますから、その為に尽力することには何も間違っておりません。

 ですが、残念なことに理屈で動くほどで僕は大人じゃなかった。

それどころか、これから癇癪を起こしてやろうと考えている人間です。

子供に理を解いたところで話になりません。

 反駁しました。何と言ったかは覚えていませんがきっと屁理屈を捏ねたのでしょう。

 大佐は机に肘を置き、困ったように口をへの字に曲げました。


 中尉が僕に声をあげました。いつものような砕けた口調ではなく、肩肘の張った軍人らしい口調でした。


「准尉、貴様上官の決定に逆らうのか。奴らは戦えぬ。奴らの目は死んでいるわ、戦場に出たところで木偶になるだけだ。臆病者は軍にいらぬ。先にそう伝えただろうが」


ーええ、ですが今は違います。今の奴らならば喰らい付いてでも敵を殺す狼の目をしています。


「冗談を吐かすな。例えそうだとしても、一度戦場から背いた者どもだ。いざ前線でまた逃げられては敵わん。おとなしく下がれ」


 僕は戦える、戦わせろと言い、中尉は腰抜けどもはどうあっても腰抜けよと言い合いました。

 話は平行線で終わりの見えない子供の口喧嘩のようでした。

 子供の喧嘩には親が仲裁に入るものです。僕たちの会話に別の声が割って入りました。


「双方そこまでに」


 声は壕の端から出ていました。そこにはいかにも賢しげに腕を組んでいる兵士がいました。

 僕たちと軍服の兵士は顎をあげて、僕をじっと見ました。

 袖に鎌と槌の袖章がありました。

 酷く冷たい、いや、空っぽの瞳が僕を射抜きました。


「それほどまで言うのならばよほどの自信があるのだろう。どうですか大佐殿、何せ兵士の数が足りていないのですから、戦いたいと申している者を使わない手はないでしょう」


「あ…あぁ、そうだな。c中隊残存兵の参戦を認める。追って編成を通達する」


 突然話をふられて驚いた大佐は、意外にも簡単に参戦の許可を出しました。そのことも意外なのですが、それよりも大佐が袖章をつけた軍服の兵士に随分と控えめな態度をとっていることが不思議に思えました。


「お待ちください少佐、足手纏いを前線に参加させては…」


 中尉がいささか慌てて声を出しました。この時、初めて袖章の兵士が少佐だと知りました。


「ならば、私の隊をついていかせよう。それでいいだろう」


 といいました。中尉はその言葉に口をつぐみました。


「では、追って作戦を通達する。装備を整えて待機したまえ」


 置いていけぼりのような気はしましたが、とにかく参戦することが許されたのですから、僕の希望は通ったことになります。


 要望が通ったのであれば礼は言わねばなりません。誰に言うべきか判然としませんでしたが、とりあえず大佐と、口利きをしてくれた少佐に頭を下げました。

 

「祖国のために身を尽くしたまへ」

 

少佐は微笑みながら呟きました。

何故かその言葉が実体の伴わない霧のように中身のない感覚がしました。


 中隊の元へ戻った僕は、早速、参戦の許しが出たことを伝えました。

いまだ、意気盛んな彼らは知らせを聞き、いろめき立ちました。

 やいのやいのと騒ぎ立てて、装備の確認をしていると背後に人の気配を感じました。

 振り返ると中尉がいました。地図のようなものを片手に持っていました。


ー策が立ったのか。どれ、見せてくれよ。


 僕は地図を受け取ろうと手を出しましたが、中尉は押し黙ったままでした。

 何を考えているかよくわかりませんでしたが、作戦を早く知りたかった僕は、中尉の手から地図を奪い取り、木箱の上に広げました。

地図の周りを兵士たちが囲み、覗き見るようにしていました。

 戦地の地形のことなどよくわかりません。

そもそも前線の兵士たちに作戦の詳細が知らされること自体ありませんでしたから。

あの時、初めて戦場の全容を知りました。兵士たちは地図と戦場とを見比べながら、地図のあのポイントはあそこだの、いやあそこだと話し合っていました。


 作戦について中尉が説明してくれば良いものですが、相変わらず沈黙を貫いているので、代わりに僕がじっと地図の中の僕たちの中隊の名前を探しました。


ーおお、あったぞ。


 名前を見つけた時は思わずそう声を出して喜色ばみました。

 大佐から参戦の言質は貰っていても、実際に確証を得るまでは不安を持っていたので、その時の感慨はひとしおでした。


「おい、そこはよ…」


 兵士の誰かが言いました。名前ばかり追っていた僕は、中隊が前線のどこに配置されているかまで確認していませんでした。

 僕たちが配置されているのは、高地のすぐ手前でした。

そうです。僕たちが攻め落とされ、命からがら逃げてきたあの場所です。


 突如、血が沸騰したかのように気分が高揚しました。皆も同じ感覚を感じていたと思います。


ー粋なことしてくれるじゃないか。


 僕は呟きました。そして、不適な笑みを浮かべていたと思います。中隊の皆も同じような笑いを顔に浮かべていました。

 誰かが言いました。


「一石二鳥じゃねぇか。高地を獲れば仇も打てるし、作戦も成功だ。やらない手はねぇわな」


 皆が皆、ぎらつく瞳で遠目に見える高台をにらみつけていました。僕もそのうちの1人でした。

 これなら、これだけ士気が高ければ、きっと恐れず勇敢に戦えるだろう。

例え、その先にあるのが死だったとしても、彼らは今際の際で満足するだろうと思っていました。

その姿は他者の心に消えぬ炎となり、戦場において、兵士たちの行先を示す確かな灯りとなるでしょう。

 そう確信していました。

理屈は何もありません。ただ、一分の疑いもなく信じ切っていました。

 すでに僕たちは戦いに勝っていたのです。あとはただ戦場へ赴くだけでした。


 そんな中で、たった一つの言葉が僕たちに投げつけられました。


「何故、戦うんだ」


 決して大きな声ではありませんでした。ですが、喧騒の中を縫うようにして僕たちの耳に届きました。


 中隊の皆は声の元へと顔を向けました。

 それは先ほどまで押し黙っていた中尉でした。

 両の拳を固く握り締め、圧したような声でした。


ーなんと言った?


「何故、お前らはまだ戦うんだ。つい数時間前までは恐怖に呑まれていたじゃないか」


 耳を疑いました。とても中尉の言葉とは思えなかったからです。


「意地に命を賭ける必要はない。無駄死は名誉じゃない」


 僕は舌を打ちました。

どういう意図から中尉がそのようなことを話しているのかはわかりませんが、士気を下げるような言葉を吐いてほしくなかった。


ー意地じゃねぇよ。仲間が殺されてんだ。仇をうつのが道理だろう。


「馬鹿め、人が死ぬ道理などあるものかよ」


―お前こそ馬鹿め。誰に向かって道理を説いているかわかっているのか。


 腐っても聖職者です。人の踏むべき道の探求を目的としている者へ道理を説くのは、釈迦に説法というものです。


ー一体、何に腹を立てているんだ。せっかく、俺たちがやる気になっているんだ、中尉だって散々言っていたじゃないか、祖国のために、民草のためにと。理由はともかくとして、敵兵を殺すことは祖国のためになるだろう。それに汚名返上の一働きをしようとするのだから、上司らしく部下に誇りを感じて欲しいものだ。


 僕は捲し立てました。馬鹿と言われて苛立ちました。

 作戦壕の中と同じような言い合いになりましたが、中尉の主張はしどろもどろで筋の通っていない言い分ばかりでした。

しまいには僕たちを作戦に参加させないの一点張りになっていました。

 僕は呆れ返り、


ー一体全体どうしたって言うんだ。まるで屁理屈を言う子供だぞ。


 大きく嘆息しました。

すると、中尉は思いがけない言葉を口にしました。


「貴様らが何を考えたかは知らないが、せっかく拾った命を捨てにいく必要はどこにもあるまい。わざわざ後方に下げてやろうとした俺の親切心を無碍にしやがって、腹立たしい」


 ようやく、中尉が伏した顔をあげました。顔をしわぶかせて、目には涙を浮かべていました。

腹立たしいといいながらも、僕たちを眺める瞳には温かなものを感じました。


 それで納得しました。中尉が僕たちを臆病者と罵ってまで後方に下げようとしていた訳を。

 中隊の皆と同じように、中尉とも心がつながりました。


 ただ、僕たちに死んでほしくなかったのです。先の戦闘で生死の境を駆け抜けた経験が、兵士としての矜持をはぎ取り、ただの人間として戦場を感じ始めたのです。


 そして、彼は意地になっていました。人間、どうしようもないことに直面すると意地を張るものです。

 戦場が僕たちを殺そうとしてくるならば、意地を張り、なんとかして生きてやろう、生かしてやろうと考えたのです。

 その考えから僕たちを後方へ下げようとしていたのです。

 一から説明されずともその理屈を察しました。中隊の皆も理解しました。


 僕たちは互いに意地っ張りでした。死ぬ気はありませんでしたが、死んでも良いと思う僕たちと、死なせてはならんと意地を張る中尉との間で。


 ふと気づきました。僕たちは選んだのです。

誰にを強要されたわけでもなく、逃げ場がないわけでもなく、自らあの戦場に戻ることを。

 それしか道がないということと、数ある中から道を選んだのでは意味も意図も違います。

 中尉の真心が僕たちを勇敢になる機会を産んだのです。

そう思えば感謝こそすれ口喧嘩をするのもおかしな話です。

 柔らかな口調で僕は声を出しました。


ー俺たちは選んだんだ。自らの意思で選び取ったんだ。後悔などないよ。

それに、中尉には感謝をしているんだぜ。

やぶれかぶれの死に狂いではなく、俺たちに選ばせる自由を与えてくれのだからよ。おかげで、誇りを持って勇敢に戦える。


 中尉が与えてくれた逃げ道は、僕たちにとって誘惑でした。

もし、もう一度同じような状況になったとしたら、命惜しさで逃げるかも知れません。

 それでも、葛藤し、悩み、苦しみ、選択しました。

勇敢に理不尽へと立ち向かうと決めました。

その事実が、僕たちに底なしの勇気と、溢れんばかりの誇りを持たせたのです。


 再度言います。もはや勝ち負けなど、興味はなく、生き死にすらも問題ですらありません。

戦うと決めた時点で僕たちは勝利していました。

 僕たちの意思を知ってか知らずか、中尉は膝に手をついて太く息を吐きました。


「…勝手にしろ」


 そう言い置いて中尉は立ち去りました。


「なんだいありゃ」


「年相応な一面だったな。普段もあれくらい砕けて話してくれればいいのによ」


「仕方ねぇんじゃねぇのか。あの年で現場預かる身だったら、子供でもいられないんだろうよ」


「にしても、あの堅物があんなこと思っていたとはな。甘いやつだよな。将校らしからぬ甘さだ」


「いいんじゃねぇのか、年相応でよ。いくら戦争といっても、祖国のためにに死ね死ねとせっつくほうがどうかしてるぜ」


―喧嘩別れというのも味気ないがな。


 遠ざかる中尉の背中を皆が見ていました。

人だかりに入り、その姿が完全に見えなくなるまで、誰も中尉から視線を外しませんでした。


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