9、薬師の弟子は、逃げ出す
その時。
扉が大きな音を立てて開く。
「誰だっ!」
「お前は……!」
音に驚いたアコルドとイーディオは、扉の方へ顔を向けた。二人の意識がそちらに逸れているうちに、シーナは静かにベッドから降りる。幸いベッドは高級なものだったらしく、軋む音を立てる事はない。
扉が見える位置に移動した彼女が入口を見ると、そこにいたのはリベルトだった。彼は相当急いで来たのか、肩で息をしている。
「お二方が客室にいないと使用人から話がありまして……現在使用人たちが一斉に捜索をしております。念の為と思い捜索の手をこちらまで伸ばしてみたのですが……これは何事でしょうか?」
リベルトがベッドに視線を送ると、二人も釣られたのかそちらに顔を向ける。シーナはその隙を見て、リベルトの元へと走り出した。
横から「お前っ……!」と叫ぶ声が聞こえる。多分アコルドだろう。
思い切り走ったからか、シーナはうまく止まる事ができず、リベルトにぶつかった。彼は激突してきたシーナを案じるような表情を見せた後、自分の後ろへと隠す。
リベルトがそうしたのも無理はない。アコルドの表情が憎悪に染まっていたからだ。
イーディオはリベルトに声をかけた。
「おっと、それは手間を掛けさせてすまなかった。実はシーナ嬢に話を聞こうと思ってね。王城内に呼び出しては角が立つだろう? だからこちらに呼ばせてもらったのだ」
「その割には、両手を後ろで縛るなんて物騒じゃないかな?」
リベルトの後ろから現れたロス。イーディオとアコルドは彼の登場に息を呑んだ。
「ロス……」
「やあ、イーディオ」
「何故お前が……?」
まさか第二王子である彼がこの場にいるとは思わなかったのだ。イーディオの驚いた様子に、ロスは肩を竦める。
「流石に隣国の王子がいなくなったとあれば、国の威信にかかわるからね。私が許可を得て出張ったんだ。いやぁ、無事で良かったよ」
微笑んでいるロスであるが、目は笑っていない。そして彼からの圧を感じているのか……アコルドは顔から血の気が引いていた。一方のイーディオは、ロスに負けたくないという意識があるからだろうか。一瞬気後れしたような表情をとっていたが、すぐに胸を張ってロスに言い返した。
「手間をかけてすまなかった。彼女の手を縛っていたのは、単に俺の話を聞いてもらえなかったからだ。危険だと思い、後ろに縛らせてもらった。それ以外の意図はない」
イーディオは自信満々に告げた。言っている本人は、この嘘が通ると思っているのだ。シーナという元平民の話よりも、王太子である自分の話が正しいと周囲に信じてもらえるだろう、という思いが彼に虚偽の言葉を言わせたのだ。
実際、彼の言葉を聞いても微笑んでいるロスを見て、押し通せると考えていた。だが、彼は甘かったのだ。
「でしたら、この腕輪は何でしょうか?」
ロスの手のひらの上には、先ほどシーナに付けようとしていた腕輪がある。アコルドの手にある筈のソレ……。
イーディオは大きな瞳を更に開いて、無意識に叫んでいた。
「何故精神操作の腕輪がそこに?! アコルド! まさか盗られたの……か……」
イーディオが彼の方を見ると、アコルドの顔は青褪めている。そして彼の手には、シーナの腕に付ける事ができなかった腕輪があった。
そこでイーディオは嵌められた事に気がついたのだ。
「残念だよ、イーディオ。精神操作は禁術だ。勿論、ヴェローロでもね。一旦拘束させてもらうから」
「くっ……!」
追い詰められたイーディオは、逃げようとしたのか走る体勢を取る。けれどもその前に、黒のローブを着た何者かが彼らの後ろに立って拘束した。
その者たちの手際が良すぎて、イーディオとアコルドは両手を縛られていた事にしばらく気がつかなかったくらいだ。
腕を押さえつけられたイーディオは声を張り上げた。
「お前たちは誰だ! 私がヴェローロの王太子と知っての狼藉か?!」
その声にイーディオを拘束していた男が答えた。
「存じ上げております」
「では何故このようなことを?!」
イーディオは何故自分が捕縛されているか分からない。
「ヴェローロ国王陛下より、『禁術に手を出した場合は即刻捕えろ』と密命を受けておりますので――」
自分の父の名前が出て、口を開けたまま止まるイーディオ。そしてそれを隣で聞いていたアコルドは悟っていた。この企ては全て筒抜けだった事に――。
ガックリと項垂れるアコルド。そして呆然とするイーディオ。
彼らはそのまま、ロスに連れられた衛兵に囲まれ、王城へと連れて行かれたのであった。




