7、薬師の弟子は、王太子と対峙する
その後、イーディオ達がシーナに絡むことはなく、無事にお披露目は終わる。
堂々と佇むマシアに比べ、シーナはずっと緊張していた。彼女は大勢の前で立つ事に慣れていない。隣がリベルトでなければ、ずっと落ち着かなかっただろうな、とシーナは思う。
無事にお披露目が終わった事に安堵した彼女は、リベルトと相談して会場を後にした。
翌日、シーナはいつものように薬師室へ出勤する。普段の日常に戻ったのだ。
イーディオたちも二日後にヴェローロへと帰国すると言う。キッパリと断られ、彼らは諦めてくれたのだ……とシーナが思っていた頃に、それは起こる。
それは業務終了後、自分の部屋へと帰ろうとした時の事。
目の前に現れたのは、イーディオだった。少しだけ身構えるシーナに、彼は気まずそうな表情をしていた。
「昨日はすまなかった」
頭を下げる事はなかったが、イーディオが口に出した言葉を聞いてシーナは目を丸くする。この人、謝る事ができるんだ……と彼女は心の中で思っていた。
「こちらが知らなかったとは言え、侯爵令嬢に不躾な言葉を浴びせてしまった。これは我らの落ち度だ」
「いえ……大丈夫です」
何か変なモノでも食べたのだろうか、と頭をひねるシーナ。そう言えば、側近らしき男性……アコルドと言っただろうか。彼がイーディオの側にいない事に気がついた。
あからさまにアコルドを探す事もできず、シーナは視線だけを周囲へと動かす。しかし、俯いていたイーディオが顔を上げた事で、それも難しくなってしまった。彼はシーナと少しずつ距離を詰めてくる。
イーディオの感情のない瞳が彼女を見つめていた。その瞳を見て胸に不安がよぎったシーナは、相手に悟られないよう後ずさる。
シーナが不穏な気配を感じている事に気がついていないイーディオは、話を進めていく。
「そこでひとつ相談があるのだが……我々の誠意として、アコルドとの婚約を用意した」
「……婚約?」
なぜそこで婚約を用意されたのかが全く理解できないシーナ。彼女は昨日、ヴェローロ行きを断っているのだから。頭に疑問符を浮かべる彼女を置いてきぼりにしたまま、イーディオは話を続けた。
「ああ。アコルドは私の側近だからな。将来、国王の側近として重宝される者がシーナ嬢の婚約者である方が、箔付にもいいだろう?」
別に箔付なんていらないのだけれど……とシーナは言葉にしようとした。けれども、先程から胸騒ぎが治まらない。余計な事を言わずに口を噤む事を選択した。
彼女の変化に気がつかないイーディオは、楽しそうに話している。
「ヴェローロ王国で、薬師として素晴らしい腕を奮ってほしいと思っている。もちろん、以前のような扱いではなく、ヴェローロの王宮薬師として丁重な扱いをすると約束しよう。どうだ、来てくれるだろう?」
つまり話をまとめると、アコルドと婚約してヴェローロで薬師として働いてくれという事なのだろう。シーナは困惑した表情でイーディオに告げた。
「いえ、私はこの国で薬師をしますので――」
「この国の給料よりも高い給料を約束しよう! それにアコルドは王太子の側近だぞ? 第二王子の側近よりも権威が増すと思わないか?」
「えっと、私は権威に興味はありませんから……」
何度か二人の間で押し問答が繰り返される。幾ら話しても「はい」と言わないシーナに痺れを切らしたイーディオは、顔を真っ赤にして声を荒げた。
「私がこんなに優遇してやろうというのに! お前はそれを無下にすると言うのか!」
イーディオの本性が現れ始める。今までシーナに対して提案していた事も、彼にとっては屈辱だったに違いない。それを跳ね除けるシーナは、もはや憎悪の対象となりつつあった。
けれども、彼女にも譲れない矜持がある。
「私は自身の夢を叶えるための手段として、ナッツィア王国の王宮薬師を選択しました。これからもここから離れるつもりはございません!」
そう言い切ったシーナ。言いたい事が言えて、彼女の胸は軽くなる。
けれども、一方でそんな彼女に苛立ちを募らせていたのがイーディオだ。感情のない瞳から、仄暗い光が灯り始める。
「そうか……それなら仕方ない」
後ろを向いたイーディオに、シーナは胸を撫で下ろした。その瞬間――シーナの腕に何かが嵌められる。同時に身体から力が抜け、シーナの視界は閉ざされたのだった。