6、薬師の弟子は、キッパリ告げる
思わず目を瞑ったシーナ。叩かれる恐怖から小刻みに身体が震えていた。
けれども、いくら待っても衝撃が来ない。
恐る恐る目を開けると、シーナの頭上でアコルドの手が誰かに止められていた。左側に視線を送ると、そこにいたのはリベルトだ。彼は今までにないほど、冷たく鋭い視線をアコルドへと向けていた。アコルドは彼の目線を受けて、少し怯んでいる。
「だ……誰だ?!」
アコルドはリベルトを睨みつける。だが、残念ながらリベルトの視線に気圧されたらしく、小動物のようにビクビクとしていた。
「私はリベルト・ベルナルドだ。私のパートナーに何の用だ?」
「リベルト……第二王子の側近か……? そんな男が平民女のパートナー……?」
リベルトが訊ねているにもかかわらず、アコルドは呆然と呟いていた。彼の様子にリベルトの眉間に皺が寄る。
「先程からシーナ嬢に失礼ではないか? 彼女の名はシーナ・ロマディコ――ロマディコ侯爵家の令嬢だ」
「「はぁ?!」」
リベルトの言葉にイーディオたちは顎が外れそうなほど、口を大きく開いている。
「何故この女が貴族に?!」
アコルドが思わず、と言ったように声を上げた。その瞬間、リベルトの手に力が入る。
掴まれていた手首が痛かったのか、アコルドは額に皺を寄せた。その様子を見たリベルトは、彼の手首を離す。アコルドは手をさすりながら、リベルトを睨みつけた。
アコルドの言葉にイーディオも我に返ったらしい。彼が口を開こうとした時――。
「それは勿論、彼女の功績によるものさ」
全員が声の方へ向く。すると、そこにいたのは首を少し傾げているロスがいた。
「今日のパーティでは、シーナ嬢とマシア殿の表彰も行う予定なんだよね。それと、彼女が侯爵令嬢になる事も発表するんだ。まあ、ここに参加している他の者は知っているようだけど――」
ロスはイーディオとアコルドを一瞥する。彼の言葉の意味を理解したのか、イーディオは顔を真っ赤にしていた。アコルドは参加者……つまり自国の使節団の者たちもその事を知っていたと判断して、顔から血の気が引いていく。
「もし、シーナ嬢が『帰国する』と言うのなら、まあ仕方ない事だと思うけど」
「その場合は私が全力で止めます」
ロスの言葉にリベルトが答える。目が笑っていないリベルトを見て、ロスは肩をすくめた。
「まあ、僕も止めるけどね。ただ、それだと君たちも納得しないだろうし……そうだ! シーナ嬢がどう思っているか聞こうじゃないか。彼女はすでに貴族だからね。選ぶ権利は彼女にある」
ロスが貴族という言葉を使った事で、イーディオやアコルドは、何も言うことができなかった。まさか平民だと思っていた女が、ナッツィア王国で貴族の養女となっているとは思わない。
しかも、アコルドの実家は伯爵家。シーナの養女先であるロマディコ侯爵家はこの国だけでなく、ヴェローロや他国でも影響力のある外交官の地位についている。そんなロマディコ家と、由緒正しいが取り立てて影響力の少ないアコルドの実家を比べるのも酷なものだ。
口をつぐむ二人に微笑みながら、ロスはシーナに声をかける。
「ねぇ、シーナ嬢。君はどうしたい?」
シーナの目の端に、眉尻が下がっているリベルトが見えた。彼女が「帰りたい」と言うのかもしれない、と心配しているのだろうか。そんな顔をしなくても大丈夫なのに、とシーナは思う。
彼女はこの国が好きだ。王宮薬師室のみんなが好きだ。そしてリベルト隊も……。
リベルトの顔を一瞥すると、彼は優しい瞳で微笑む。
彼のお陰で、シーナの震えは止まった。そして目の前にいる二人を見据えてキッパリと告げる。
「私は、ナッツィア王国の王宮薬師として今後も働きます。ヴェローロ王国には帰りません」
シーナが王族に相対する恐怖を克服した瞬間だった。




