5、薬師の弟子は、帰国を拒否する
「おい、平民薬師!」
イーディオはシーナの格好を頭の天辺から爪先までジロジロと値踏みするような視線で見ていた。後ろのアコルドも不躾な視線を送っている。あまりにも早い接触に、シーナは内心困惑と恐怖が渦巻いていた。
以前、彼に罵られて追い出された時に感じた思いが、喉元から込み上げてくるような……そんな感覚に陥っている。
周囲を見回すが、リベルトはまだ近くにいないようだ。シーナは手に持っていた扇子を開いて、突然現れたイーディオたちから口を隠した。色々と悟られないようにしたいからだ。
そんな彼女の表情を見る事なく、イーディオは唇の端を吊り上げ殊勝な声を装った。
「聞いたぞ? 今回新薬を開発したと! ただの薬を作るだけの女かと思っていたが……素晴らしいではないか! この功績を以って我が国への帰還を認めよう。その際に、我が側近であるアコルドの妻として、迎えようではないか!」
「……?」
目の前で自信満々に言ってのけたイーディオだったが、シーナは思わず涙目になって口を一文字に結ぶ。なぜ自分がアコルドという男性の妻にならなくてはならないのかが分からなかったのだ。
シーナは泣いて喜ぶだろうと考えていたイーディオ。予想外の反応をしているシーナを見て、眉間に皺を寄せた。
「お前は平民だろう? 貴族になれて嬉しくないのか? しかも次期国王である私の右腕であるアコルドの妻だぞ? お前からしたら破格の条件だろうな!」
そう言われても……とシーナは返答に迷っていた。正直彼女からすれば、ヴェローロへと帰るよりもナッツィアで王宮薬師として働いていた方が楽しいのだ。研究もできるし、議論もできる。それにリベルト隊で薬草の生態調査だってできるのだ。
今回ロマディコ侯爵家の養女となったのも、ロスからお薦めされたからだ。後ろ盾があった方が研究に集中できる、というのは有り難い。
そこまで考えて、ふと思う。イーディオはシーナが侯爵家の養女になった事を知らないのではないか、ということに。そう考えれば、彼がシーナの事を「平民薬師」と言うのも理解できるし、側近のアコルドと婚約する事で貴族の妻という地位を与えれば、シーナが喜ぶだろうとでも考えているのだろう。
そもそもの話、褒賞に貴族の地位を欲しいとシーナは思っていない。むしろ「薬草の生態調査に行って欲しい」だとか、「入手困難な薬草」などを渡してもらった方が、喜ぶのだから。
シーナはその事を話すため何度か口を開こうとするが、思考がぐちゃぐちゃだ。幸い、アコルドもイーディオも自分の事ばかりを話していたからか、シーナの変化に気がついていない。
彼女は震える唇を開いた。
「あの、私は貴族になりたいわけではございませんので……」
シーナの言葉にイーディオとアコルドは目を丸くする。
「なぜだ?」
「私は薬を研究する事ができれば――」
貴族にならなくて良い、とシーナは伝えようとする前に、イーディオが言葉を遮った。
「貴族になれば、もっと高い金で薬を購入してやろう! むしろ、私が薬をたくさん注文してやろうではないか! それがいい!」
ニコニコと笑って告げるイーディオ。後ろではアコルドが力強く頷いている。
彼らは気がついていない。
シーナが重視しているのは「薬を作ること」ではなく、「薬の研究をすること」だということに。今ある薬を作るだけでは満足しないということに。
「そうすれば、我らは薬が手に入り、お前は薬が作れる! とても良いじゃないか!」
満面の笑みで話すイーディオは、平民である(と思っている)シーナの話など、最初から耳に入れていない。
彼の眉間に寄った皺が、その笑みを歪に見せる。心の中では──こんな状況に追い込まれたのは、あのマグノリアのせいだ、と信じて疑っていない。
イーディオはシーナを追い出した事を少しも悪いと思っていなかった。むしろ、彼女は当然ヴェローロに戻りたがっているはずだ、と勝手に決めつけているのだ。
シーナは、このままでは埒が明かない……と思った。やんわりと断るだけでは、相手は気がつかないだろう。
彼女はイーディオたちの言葉が終わるのを待って、声をかけた。
「あの、私はこの国の薬師として生きていきたいと――」
その言葉を聞いたイーディオたちは、目を見開いて彼女を見る。彼らからすれば想像だにしていなかった言葉が、シーナの口から出たのだ。驚くのも無理はない。
イーディオは呆然としている。その前に動いたのはアコルドだった。
彼は目を吊り上げてシーナを睨みつける。そして彼女の前に立ち塞がった。
「生意気な平民女が……!」
アコルドの右手が頭の高さまで持ち上がる。そしてすぐにそれは振り下ろされ――。




