8、薬師の弟子は、薬草を守る
ニノンたちと別れ、タニッセッタの街を後にしたシーナ。
王都から一週間ほど経った頃、国境付近に建てられた街、ノリッチへと到着した。
検問を受けた後東門を通り街へ入る頃には、昼を過ぎたあたりの時間だったため、明日国境を越えようと街でゆっくりとする事に決めた。
相変わらずニノンが言っていたフードの男性は馬車に乗っており、シーナと共にこの街にたどり着いたようだ。
誰とも話しかける事もなく、いつも定位置に座り、たまにこちらを見ている姿は少し不気味に思えた。
国境の街とは言え、ここは人の流入が多いためか宿屋も多い。
今回は安全対策も兼ねて個室のある少し高めの宿屋へと泊まる事にする。
シーナは宿屋の従業員から薬屋の店の位置を聞き、旅に必要な消耗品、質の良さそうな薬草を購入した後は早々に宿で過ごす事にした。
そして翌日。
天気は快晴、絶好の旅日和。
シーナは宿で朝食を取るとすぐに西門へと向かった。まだ朝早いからか、人はまばらである。
彼女が元気よく歩いていると、後ろから見慣れたフードを被った男が着いてくる。
彼はどこまで着いてくるのか、疑問だ。シーナは普通の平民だから隙なんて沢山あると思うのだが……と考えつつ検問と西門を抜けた。
門を抜けるとシーナの目に飛び込んできたのは山、山、山。
遠方には見渡す限りの山。
ヴェローロ王国は平地に建てられた国であったため平地に作られた小麦畑が有名だが、ナッツィア王国の特に王都は山で囲まれていると有名だ。
検問所の人に尋ねたところ、次の町まで行くためには馬車も出ているとの事だが歩いても一日掛からずたどり着くという。ならば、とシーナは歩いて行くことにした。
気合いを入れて歩こうと拳を握りしめたところで、ふと視線を感じた彼女は後ろへと顔を向ける。そこにはフードの男がいたが、彼はこちらに来るつもりはないようで、じっと門を見つめていた。
結局何だったのだろうか、と首を傾げたが、シーナはすぐに前を向いて歩き出した。
西門から数時間ほど歩いた頃。
陽はそろそろ頭上に昇ろうとしていた。
先程、シーナを追い越した乗合馬車の御者が教えてくれたのだが、次の街まであと半分ほどの場所らしい。既に国境は超えているらしく、ここはナッツィア王国の領地に当たる場所だと聞いた。
ノリッチの検問所の人によると、次の街から一日ほど歩いたところにナッツィアの王都はあると聞いている。
ならば少し寄り道しても良いかな、と思ったシーナは右側の森へと足を踏み入れた。
どうやら近くに小川があるのか、少し前から水の流れる音が耳に届いていたのだ。綺麗な水源、という条件はあるが小川に生える薬草もあるため、何か見つからないかと胸を躍らせる。
幸い、歩いていた道が見える所に底の浅い小川があり、周囲を見回してみると見覚えのある薬草が生えている。
ジャバニカと呼ばれ、清流でしか育たない薬草だ。葉から漂う独特な香り、葉の枚数は五枚。めまい改善や解毒のための薬を作成する際必要になる薬草で、王宮へと一定数解毒薬も納品していたので、彼女にとって馴染みの深い薬草のひとつだ。
だが、ジャバニカの採取には注意しなくてはならず、似たような植物でジクタビロサという毒草もある。小川の脇に群生しているその葉に鼻を近づけ、念の為匂いを嗅いでみる。そこからする香りは乾燥したジャバニカで嗅ぎ慣れたものだった。
まさか一発で見つけられるとは! そんな嬉しさからか手を伸ばしてそれを取ろうとして、シーナは手を引っ込めた。一見何の変哲もない森であっても、薬草の採取は許可を取らなければならない事もある、とマシアから以前聞いた事を思い出す。
ここは既に隣国ナッツィアである。犯罪としてしょっ引かれても困るのだ。
悩んだ末、ノリッチで購入した簡易地図にジャバニカの場所を記載し道へ戻ろう……そう彼女が立ち上がった時だった。
前方からドドドド、と地響きのような音が聞こえ、音は段々と大きくなっていく。
目を凝らして見ると、遠くに現れたのはボアと呼ばれる大型魔獣だった。ボアは何度か雄叫びを上げながらこちらへと駆けてくる。よく見れば数本の白く鋭い牙が口から見えており、頭と思われるところからはキバと似たような形ではあるが……それ以上に大きな二本のツノが生えていた。
本物を初めて見たシーナはこちらに向かってくるボアをまじまじとみる。
以前から魔獣という存在がいる、という事は知っていたが、実物はシーナも見た事がなかった。
王都付近は小麦畑に周囲を囲まれていることもあり、山や森に多く棲息する魔獣が今まで王都付近まで近寄ってきたと噂になった事は一度もない。特に薬屋に篭っていたシーナにはあまり縁のない話ではあるのだが、マシアによるとそれを討伐するのが王家お抱えの軍隊だったり、冒険者と呼ばれる人々らしい。
魔獣の中には薬草と同じように薬になる部位というものがあるらしいが、滅多にお目にかかれないためシーナもあまり知らない。勉強不足であるのが痛感させられた。
なら何故ボアの姿形を知っているか、というと図書館で借りた魔獣辞典のお陰だったりする。魔獣の中には状態異常――例えば多いのは、毒や麻痺だろうか――を相手に付与させる魔獣もいるのだ。そのため、解毒薬の作成方法もマシアから徹底的に教え込まれている。
王都に冒険者が訪れるのはよくある事だ。彼女の教えもあってよく彼らから話を聞いたり、図書館から借りた魔獣辞典を見たりして勉強をしていた。そのため、実はシーナも魔獣と動物の区別くらいはつくのだ。
再度耳をすませば、ボアの足音以外にも幾人もの人の声がする。
もしかしたら大型なので討伐依頼が出されており、現在討伐中なのかもしれない。
早々と逃げるべきだろうと思って、シーナは持っていた地図を鞄へと突っ込んだ。そしてボアへと視線を送りながら後ろへ下がり、低木の茂みに隠れてから走り出そうとしたのだが……ふと考えた。
あのボア、もしかしたらこの川を通るんじゃないかと。
普通であれば、何もできない一般人はその場から逃げるのが得策であろう。実際シーナだってそう考えていた。
だが、最終的に彼女はそうしなかった。
――このままだとジャバニカが踏み荒らされる!
そう思った彼女の行動は早かった。
肩掛け鞄に入れておいたある物をふたつ取り出す。ちなみにある物とは、瓶の中に香辛料を詰めた目潰しである。万が一の護衛用に作成していた物だったが、まさか魔獣に使うとはシーナでさえ思わなかった。
遠くからでは分からなかったが、シーナの身長の二倍ほどの高さがあるボアのようだ。
後ろで追っている人たちから受けたのか、身体中傷だらけである。だが、どうやら致命傷にはなっていないらしく、必死に彼らから逃げようとしているのだろう。
巨体の割には中々足が速く、追っている人たちも上手くトドメをさせないようだ。
ボアの目に集中をし始めたシーナ。そんな彼女の耳に甲高い女性の声が聞こえた。
「ちょっと! お嬢さん、逃げてっ!!」
「どうしたっ!」
「隊長!川の向こうに女の子がいます!」
「何だって!」
前方からそんな声が聞こえた気がしたが、あと数歩で川に入ろうとしていたボアの目を目掛けて目潰しを投げつける。
幸い丁度目の位置に当たり、ボアは「キエエエェェ……!」と悲鳴を上げて倒れていく。
だがボアもそのまま終わろうとはしなかった。シーナを敵と認定したのか、最後の足掻きなのかは分からないが、起きあがろうと足に力を入れ、前に進もうとする。
そのため彼女は再度肩掛け鞄からもうひとつ取り出し、蓋を開けて投げつけようとした。
するとその前にボアの真横にあった土が盛り上がる。自然に盛り上がったとも思えないそれは、目にも留まらぬ速さでボアの背丈よりも高い土塊となって、ボアを拘束した。
ボアは前足後ろ足をバタつかせて束縛を外そうと暴れ回る。すぐに壊れるかと思ったシーナだったが、彼女の考えとは裏腹に一向に壊れる様子はない。むしろヒビすら入る様子がなかった。
この時点でシーナはこれが魔法で作られたものだと判断する。きっと先程会話していた人たちの誰かが放ったものだろう。
ボアは拘束の力がだんだん強くなっていたからか、力が尽きたのか、激しい手足の動きが緩慢になってくる。そんなボアの後ろから「はああぁぁぁっ!」という声が聞こえたと思えば……その上に男性が飛び乗ったのだ。
ボアはシーナの身長よりも高い。予想外の事態に目を奪われた彼女を他所に、黒髪の男性は眉間に皺を寄せながら剣を振り上げた。
男性を振り落とそうとボアは身体をよじろうとするが、その前に肉を切断した音と鳴き声が周囲へと轟く。そして一撃でボアの首は断たれ、絶命したのだ。
ボアが絶命した事でシーナは小川に生えているジャバニカを確認する。
うん、これでジャバニカも無事だ。
恐怖よりもジャバニカを守った、という達成感を味わっていたシーナは意外と自分が動けた事に満足していると、女性の甲高い声が耳に入った。
「大丈夫ですか、お嬢さん!」
その後ろから女性が現れる。
シーナは手に持っていた目潰しに蓋をし、鞄の中へしまった時に彼女と目が合った。
「大丈夫ですよー」
手を上げてニコリと笑って返事をする。最初は何かに驚いたらしい女性だったが、シーナの無事を確認できたからかほっと息をついていた。
無事で良かった、と思いながらニコニコと小川の中に生えているジャバニカを見つめていれば、目の端に黒靴が映る。その黒靴がジャバニカの隣にある石を踏もうとしている事に気づいたシーナは声を上げた。
「止めてください! 薬草がっ」
「あ、本当だ! リベルト隊長踏んじゃダメですよ!」
慌てたシーナが言えば、先程の女性の声がすぐに上がる。
彼女も薬草について理解があるらしい。
「だーかーらー、足元は気をつけて下さい、と言っているでしょう?」
「……悪かった」
そんなやり取りをしているのが聞こえたが、シーナは薬草さえ踏まなければ問題ない。まだ側で三人が何かを話しているようだが、ジャバニカを見る事に満足したシーナはそろそろ道に戻ろうと立ち上がり、彼らに背を向けた。
本当にこの旅は有益だ。
そんな事を思いながら歩き出すと、いきなりポン、と肩を叩かれた。一瞬あの時の事を思い出して身体が硬直するが、以前王子にされた時とは違い、こちらを気遣うような優しさが見られた事に安堵した。
振り返ると無表情でこちらを見ている男が立っていたのだが。
あれ、なにか悪い事したかなぁ、とシーナが思っていると、深々と頭を下げた。
「先程の助太刀、こちらとしては非常に助かった。お陰で早々に討伐する事ができた。感謝する」
「お嬢さん、あざっす! もしあれが道まで出ていたら、怪我人が出てたっすねぇ」
後ろではもう一人の男性と、先程の女性が頭を下げている。シーナは慌てて頭を上げるように伝えた。
「いえ、私も薬草を守りたい一心だったので……」
火事場の馬鹿力、というやつだろう。
今思えばボアの目に当たったから良かったものの……当たらなかったら踏み潰されていたと思うとゾッとした。そんな時、顔を上げた男性と目が合う。今更湧き上がる恐怖に動揺を隠せなかったシーナの様子を見て、男性の眉間に皺が寄り始めた。
「助かったのは事実だが……君はどう見ても一般人じゃないか。ああいう場合は、薬草より命を優先してくれ」
「う……仰る通りです……」
「今回たまたま目に当たったから良かったものの……外していたら大惨事が起きていたはずだ。今後は逃げるように」
「……すみません……」
「まあまあ、いいじゃないですか〜リベルト隊長! 結果的には俺たちも助かったんだしぃ?」
まだモゴモゴと話している男性を止めたのは、もう一人の男性だ。「だが」「しかし」と言っている彼を宥めている間に、女性がシーナの前で優しく微笑んだ。
「私、アントネッラ。調査でこの周辺を探索していたの。あっちがシーロで、怖い顔をしているのがリベルト隊長。あなたは?」
よく見れば彼女の服装は闇夜のような黒い服――ボタンも目立たないように黒いものが付けられているようだ。装飾といえば袖にある赤い線がふたつだけ。似たような服を王都の警備隊も着ていたのを思い出す。
そして彼女が手に取って見せてきたものは、きっと所属する隊の紋章なのだろう。
シーナはふと助けられたお礼を言っていなかった事に気づき、頭を下げた。
「助けてくださり、ありがとうございました。私はシーナといいます。ナッツィアの王都に向かう旅の途中です」
顔を上げてみると、アントネッラだけでなく後ろの二人も目を丸くしている。
「え? 旅人? 王都に向かうのに何でこの場所にいたの? 道はあっちにあるのに……」
それもそうだ。
旅人が道にそれて小川にいる理由などないのだから。
シーナはまた後ろの隊長に怒られるのではないかと、口角が引き攣りそうになる。だから、事前に予防線を張っておいた。
「えっと、怒らないで聞いてもらえますか?」
そしてシーナは小川のジャバニカを見にきたという話をしたのだった。
やっと隣国、そして現れたヒーロー候補。
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