幕間 ある部署の文官
「そう言えば、今年入った薬師室の女性、ロマディコ侯爵家の方々と面会したらしいぞ」
「ああ、聞いた聞いた。養子になってから、顔合わせまで時間がかかったな……」
「仕方ない。あの方たちはお忙しい身だからな……全員が顔合わせるのも一苦労だろう」
「そうだなぁ。ウリセス殿は会えていないようだからな」
最近我々文官の中での話題は、平民で王宮薬師試験に合格したシーナという女性……いや、今はシーナ・ロマディコ侯爵令嬢と呼ぶべきか。彼女の話題がひっきりなしに囁かれている。
元々ヴェローロ王都の孤児院にいて、あの有名なマシア様の弟子。しかも噂ではマシア様が直々に彼女を選んだらしい。
その後マシア様の代わりに、貴族主義のヴェローロで王宮に薬を卸していたと聞いた。最終的にあの国の王太子に嵌められて追放されて……この国に辿り着き。
道を外れて薬草を見ていたら、薬草を調査していたリベルト様たちと出会い……王宮薬師の試験を受けないかと勧められて、本当に合格したなんて……どこの主人公だ?
私も最初その事を耳にした時は、小説か……と思うほどの話だった。そのシーナさんって人、波瀾万丈すぎない?
しかも彼女はロス殿下の婚約者であるラペッサ様が患っていた魔力滞留症の新薬の開発者でもある。その上、現在は王太子殿下の奥方であるソラナ王子妃殿下の覚えもめでたい。どんな超人だ?
まだまだあるぞ。あの気難しいと有名なペラエス公爵にも気に入られているらしい、という噂がある。ちょっと待って欲しい。彼女は何をしたんだ?
後半はそんな輝かしい功績があるからだろうか……貴族の中には「どれか嘘だろう」と鼻で笑う者もいるらしいが……調べれば分かる。全部事実である。私も最初は「嘘だろ」と思った口だ。興味半分で調べて、全て事実だと知った時のあの衝撃。「まじか」という言葉しが出てこなかったぞ。
まあ……そもそもマシア様の弟子、というところからして凄い事だ。あの方はヴェローロで取り立てられた後、弟子入りを志願する者が後を経たなかったそう。
だがその者たちを門前払いし、孤児を選んだというのだから……当時は衝撃だっただろうに。
耳から入ってくる彼女の話を聞き流しながら、私は書類に齧り付く。すると、話していた一人が私に声をかけてきた。
「なあ、お前どう思う?」
「何が?」
いきなり訊ねられて、呆然とする私に彼は「あ、すまん」と言ってから話を続けた。
「お前も知っているだろ? ソラナ王太子妃殿下がご懐妊された話。そのお披露目のパーティを行うって話は知っているか?」
「ああ、三ヶ月後に確か諸外国の方々もお呼びして行うんだったな」
友人がその部署にいるのだが……昨日比較的早い時間に帰れた友人が俺を呼び出してきたのだ。そんな事は珍しいので、私も足を運んだのだが……「もう嫌」と泣きべそをかいていたのだ。それを慰めたから、私もその話は知っていた。
「その時に、ソラナ王太子妃殿下の薬を調合した薬師として、シーナ嬢のお披露目も行うらしい」
「そうなのか?」
そんな話は聞いていなかったが、こいつが言うのならそうなのだろう。
「まあ、シーナ嬢は新薬作成の功績と、ソラナ殿下の薬の功績があるからな……その場でお披露目しても可笑しくはないか」
「そうなんだよな」
「で、その話がどうした?」
私が尋ねると、彼は満面の笑みで告げた。
「今な、そんな王家が目をかけているシーナ嬢のエスコート役が誰か、と言うのが巷で話題になっているんだよ」
「エスコート役か。順当に考えれば、三男のサントス殿じゃあないのか?」
彼は王宮薬師室の初代室長だ。一時期ラペッサ様の滞留症が改善し、役職を辞退する……と言う話も出たらしい。だが、ラペッサ様本人がそれを辞退した事で、サントス殿が続投になっているんだったか。
それか同家の次男であるウリセス殿……と考えていた私に、彼は横に首を振った。
「チッチッチ、甘いな。普通に考えればお前の言う通り、シーナ嬢のエスコート役はロマディコ侯爵家の者が行うだろうな。だが、今こんな噂が立っているのを知っているか?」
「噂?」
彼はニンマリと笑う。
「ロス殿下直属のリベルト殿もエスコートの候補に入っている、という噂さ」
「リベルト殿って……あのリベルト・ベルナルド伯爵令息か?」
「そうだ」
意外なところから名前が出たな、と思ったが……よく考えてみればありえない事ではなかった。
「まあ、お前の言う通りか。王宮薬師になる前にリベルト隊と協力して薬草採取を行っているという話もあったしな」
「ああ、薬草採取でシーナ嬢はリベルト隊と三回ほど外に出ているからな。しかも一回はリベルト殿と二人で行ったらしい」
「そんな事が?」
彼が言うには、一人で採取できるかどうかの最終確認のため、だったそうだ。これから薬草を採取する際には、ロス殿下直属ですぐに動かすことのできるリベルト隊の者が向かう可能性が高いと判断したかららしい。
なるほどなぁ、と思っていると彼が話を続けてくる。
「アルベロが言っていたが、リベルト殿はシーナ嬢に気があるらしい」
「アルベロ……そんな事ペラペラ喋って良いのか? リベルト隊の班長だろ?」
アルベロは私と彼の学園時代の同期だ。口が軽いのは今も変わらない。
「ああ、その後エリヒオ殿に怒られていたが……仕事をしろと怒られていただけで、エリヒオ殿に口止めされなかったから喋っている」
「……つまりリベルト隊の皆様は、シーナ嬢とリベルト殿が一緒になる事を期待している、という事か?」
「まあ、そうなんじゃないか? それで話は戻るけどな。エスコート役はどっちだと思う?」
そう言われてひとつため息をついた。話を聞けば、なんとも彼らしい質問だ。
「いや、分からないが……お前はどっちだと思うんだ?」
「俺? 俺は無難にサントス殿かな、と思ってはいるけどな。お前は?」
「そうだな……」
私の意見を聞くまで引かないぞ、という姿勢なのかグイグイと顔を近づける彼を制止して告げた。
「じゃあ、私はリベルト殿で」
「なんでリベルト殿?」
「だって、彼女には守る騎士が必要だろ?」
最近流行っている小説がそんな話だった事を思い出す。追放された令嬢が、隣国の騎士に拾われて頭角を表すのだ……あれ、まんまシーナ嬢じゃないか。彼女は平民だけど……今は令嬢だからな。ああ、だから主人公か、と思ったのだ。
彼は口をポカーンと開けて「はあ?」と首を傾げている。
「まあ、なんとなくだよ、なんとなく」
そう言って私は書類仕事へと戻っていった。