12、薬師の弟子は、結婚という言葉に狼狽える
紹介を受け、今回顔合わせしたのは侯爵夫妻と、サントスの兄であり長兄であるディマス。そして彼の妻であるミリィことミレイアと言う女性だった。次男であるウリセスは仕事の都合で顔合わせができなかったとの事。だが、侯爵夫人曰く「あの子はぜーんぜん帰ってこないから大丈夫よ!」と言われ、反応に困るシーナであった。
また長男夫妻には二歳の女の子がいたのだが、お昼寝中だったこともあり顔は見ていない。
シーナも改めて倒れた事を謝罪し、自分の名前を名乗った。それで終わりかと安心していた彼女に、公爵代理とミレイアから質問攻めをされ……彼女が孤児院にいた事、師匠であるマシアとの思い出を語った際には目の前の彼女たちが目に涙を溜めていた。
その光景に恐縮していたシーナだったが、侯爵曰く……女性二人は感情豊かなところがそっくりらしい。
「ミレイアは私の幼馴染ですね。この家で生まれたのではないかと思うほど、性格が母上にそっくりなのですよ」
とディマスが言っていたほどだ。
そんな彼女たちに根掘り葉掘り聞かれた後、女性陣はドレスの話に入っていく。プリンセスライン、マーメイドライン……という知らない単語がいくつも出てくるのだが、シーナはそれがドレスの話だと分からずにいた。
男性陣はそんな女性陣を見ながら、後ろでお茶を飲んでいる。たまにディマスや侯爵が、サントスに話しかけているが、女性陣の声が大きかったため、彼らが何を話していたのかシーナには分からなかった。
しばらくして、侯爵が「そろそろ顔合わせを終わりにしよう」と告げたところ、女性陣二人は残念そうな表情だったが、シーナを抱きしめた。
「実家だと思ってまた遊びにきてね!」
「本当に気軽に来て良いからね! あ、シーナさん。今度は薬師室で着用している白衣だったかしら? あれを着て来れば良いのよ!」
「確かにそうね! ミリィ! 良い案よ! シーナちゃんもいつも着ている服が良いわよね?」
二人からキラキラとした瞳で見つめられ、シーナは答えに窮していたところ……。
「はいはい、母上。義姉上。シーナ嬢を困らせないでください」
サントスの助けが入った。二人は「困らせてないわよぅ」と頬を膨らませていた。
「薬師室は意外と多忙なので、申し訳ありませんが頻繁にこちらへ来るのは難しいと思いますよ」
「わかってるけどぉ……」
「何かあった時は、私を通していただければすぐに伝えますので」
二人はサントスの言葉に不服を感じていたようだが、「そうね」と夫人がため息をついた。
「シーナちゃんもいきなり貴族って言われても、きっと実感が湧かないでしょうからねぇ。仕方ないわ。王宮でのマナー講習は一週間で終えたと聞いていたし、担当の講師たちからも『物覚えがよく筋が良い』と絶賛されていたからお披露目も問題ないでしょう」
「お披露目、ですか?」
シーナは夫人の言葉に首を傾げる。
「殿下が仰っていましたよ。シーナ嬢のお披露目はする、と」
サントスに言われて彼女は思い出す。そう言えば、結構サラリとそんな話を言っていたような気がした。
「シーナちゃん、こればかりはごめんねぇ……貴族は体裁を気にするから。ただ、今のところは一度だけにしてもらう予定なの。貴女の本業は薬師ですからね!」
夫人の言葉に胸を撫で下ろす。毎回社交界に参加しろ、と言われていたら薬師としての時間が無くなりそうだと思ったのだ。お披露目は必要だが、それ以外は基本社交にかかわらなくて良い、と教えてくれた。
あからさまに安堵している彼女を見て、侯爵は笑う。
「まあ……これからのシーナさんの働きによっては、もしかしたら参加する機会も増えるかもしれないね」
「確かに貴方の仰る通りね! その時はミリィ、一緒に彼女のドレスを選びましょう!」
「私も良いんですか! 義母様ありがとうございます〜!」
侯爵家の人々の会話から、彼らが薬師としてのシーナを尊重してくれている事を感じた。その中には勿論、サントスも入っている。他の家ではなく、ロマディコ侯爵家で良かったとロスに感謝したその時。
「あ、そうだ。なんなら本当の家族になっても良いからね!」
楽しそうに話す夫人に、シーナは疑問符を浮かべる。
「我が家には独身男性が二人います! ウリセスとサントスよ! どちらかと結婚して本当の家族になる事もできるって事よ」
片目を瞑って話す夫人。その一方でシーナは彼女の言葉が頭に入ってこなかった。かろうじて……けっこん、と言う言葉を理解した。
「えええええ?! 血痕、じゃないけけけけけ、結婚……?」
全くその頭がなかったシーナは、結婚という言葉だけで顔を真っ赤に染めた。そんなうぶな彼女を揶揄う夫人と……そっぽを向くサントス。心なしか彼の頬が赤く染まっている。侯爵は夫人を止める気もないらしく、楽しんでいた。
「母上、その話題はシーナさんにはまだ早いのではありませんか?」
ディマスはひとつため息をつき、シーナの助けに入る。
「いえ、今のうちに言うべきだと思ったのよ。今回我が侯爵家の後ろ盾ができたから、しばらくは静かになるでしょう。ただ、シーナちゃんは優秀な薬師。結婚できる年齢でもあるし、狡猾な貴族の中には、結婚で彼女と繋がりを持つ事を狙う者たちもいるわ。それほど新薬を作ったという貴女の価値は、高い」
「しかもシーナさんはあのマシア薬師が認める弟子だと有名だ。シーナさんを通じて著名な薬師二人と繋がる事ができる、と考える人もいるだろうね。身内であれば、薬を優先的に作ってくれるのではないか、というのを期待して」
自分にそんな価値があるのだろうか、と首を捻った後、シーナはサントスを見た。彼は首を縦に振っている。実感はないが、やはり価値があるらしい。
「だから、貴女の取り巻く環境を知っていて欲しかったの。私たち以外にもロス殿下とラペッサ殿下の後ろ盾もあるから、そこまで気にしなくても大丈夫でしょうけれど、シーナちゃんに隙を作らないようにするなら、婚約しちゃえば良いわよね! って事」
彼女の言葉を聞いて、シーナはふとリベルトの顔を思い浮かべた。そしてハッと気づく。まるでこれでは、リベルトと婚約したいみたいではないか、と。
シーナは恥ずかしさからブンブンと頭を横に振る。その様子を見た夫人は「おやおや?」とニンマリしていた。彼女も何かを察したのだ。
「伝えておくと、シーナちゃんがもし薬師を続けたいのなら、家を継ぐ男性はお勧めしないわ。嫡子に嫁いでしまうと、どうしても社交界に参加しなくてはならないから、薬師の時間が削られるのよね。それを受け入れるほど好きなら、私たちは応援するわ」
自分がドレスを着て貴族の中にいる事を想像できない彼女は、「無理だと思います……」と告げた。
「それなら次男か三男がお勧めね。我が家であればサントスは薬師室長だし、ウリセスは近衛騎士団に所属しているからお金に困る事はないわ!」
「我が家以外も文官や騎士は多くいるからね。ああ、シーナさんならロス殿下の側近の皆様とも会っているだろう? 彼らなんか良いかもしれないね」
「そう言えば、シーナちゃんは何度かベルナルド伯爵令息と出かけているのよね? ベルナルド伯爵令息は身持が堅いと有名よね。婚約者もいないと言う話だし」
ベルナルド伯爵令息……そんな名前の人はいたかな、とシーナは思う。するとサントスが夫人に横槍を入れた。
「母上。リベルト殿とは、薬草の調査に何度か行っているだけです。お出掛けではありません」
「あら、でも出掛けたのは事実でしょう」
「ですが――」
二人の会話は右から左にすり抜ける。シーナは話題に上がった彼――リベルト・ベルナルド伯爵令息について考えていた。最初会った時の自己紹介で「リベルト」という名前しか聞いていなかったから、家名を知らなかったのだ。
そして偶然ではあるが、彼に婚約者がいない事を知ったシーナ。その頬がほんのりと赤らんでいるのに夫人は気がついた。そして自分の息子であるサントスも、実はシーナに気があるのかもしれない、と言う事にも。
「これから楽しくなりそうね!」
呆然と口を開いているサントスを他所に、夫人は微笑んだ。