幕間 イーディオ
「殿下、平民薬師の居場所が掴めました」
新薬が公表されて幾許か経った頃。イーディオの側近として動いているアコルドは、調査結果を見ながら報告していた。
「平民薬師は現在、ナッツィア王国にいるとの事です」
「ああ、あの脆弱な国か」
イーディオは鼻で笑う。ナッツィアは帝国とヴェローロ王国に挟まれた小さな国だ。吹けば飛ぶような塵と同じように、ヴェローロが攻め入れば一捻りできる国だろうと考えていた。
それにあの国には王宮薬師がいない。全てを輸入に頼っていると言われている。それならばヴェローロが薬の輸出を止めれば、ナッツィアは弱体化するに違いない、とほくそ笑んでいた。
だが次の言葉を聞いて、イーディオは目を見開く。
「はい。そこで王宮薬師として雇われ、働いているとの事です」
「なに?! あの国は薬を輸入に頼っていたはずだろう? 何かの間違いではないか?!」
「調査によりますと……数年ほど前から自国で薬が作成できるように新設されたそうです。室長はロマディコ侯爵家三男のサントス・ロマディコ、その下に三名の薬師がおります。平民薬師は今年行われた試験で選ばれ、現在薬師室で働いているそうです」
イーディオは眉間に皺を寄せる。追い出した平民薬師がまさか隣国の王宮薬師として働いているとは思わなかったからだ。
「先日、ナッツィアで新薬が発明された、という話はお耳に入れましたか?」
「そんな話があったのか?」
「はい。魔力滞留症を改善する新薬です」
「魔力滞留症? あの治療薬はあるはずだろう?」
彼も魔力滞留症という言葉を聞いた事があったようだ。そして特効薬がある事も知っていた。だが、詳細については知らなかったようだ。
「はい。ですが、その治療薬は幼少期にしか使えません。幼少期に気づかず成長してしまった場合、魔力滞留症は治療できない病だと言われていたのです。その治療薬を開発したのが、ナッツィアの王宮薬師たちでした」
「だが、それと平民薬師がどう関わってくるのだ?」
「元々治療薬を開発していたのが、平民薬師の師匠であるマシアでした。そして彼女はナッツィアの第二王子殿下より依頼を受けていたそうなのです。その後、マシアと平民薬師と先ほど話したサントス・ロマディコの三名の協力により、新薬が発明されたそうです」
アコルドもこの事を聞いた時には、目を剥いて驚いた事を思い出す。元々彼女は少し腕の良いくらいの薬師だと思っていたのだ。だから、平民がまさか王宮薬師として働いていると思わず、村の薬屋を調査していたのである。
そうだとしても、一度だけ薬師がリベルト隊と共に薬草調査へ出たという話が報告に出ていたのだが……名前が記載されていなかった事もあり、そもそも平民を雇うと思っていなかったアコルドと、イーディオが見逃したのだ。
これは極秘任務であったため大人数を動かす事ができなかった事で、その報告後すぐにナッツィアの周辺の村へと調査に向かうよう指示していた。そこで見逃していなければ連れ戻す事もできたのであろうが……過ぎてしまった事は戻らない。
そもそも自分たちの事で精一杯なのだ。周囲の空気に気づく事ができない。アコルド自体はこの調査が他にバレていない、と自信満々ではあるが……実際は筒抜けなのである事を知らない。
「その時に苗字の無い薬師がおり、調査したところマシアの弟子であるシーナ……平民薬師だと判明したのです。まさか平民薬師が王宮へと勤めているとは思わず……調査が難航した事、大変申し訳ございませんでした」
「仕方ない。父上に見つからないよう、隠れて行っているからな」
勿論、筒抜けであるのだが。自分の都合の悪い事には目を背ける……むしろ気がつかない男、それがイーディオである。勿論アコルドも同じ穴のむじなだ。
「以上が報告です」
そうアコルドが告げると、イーディオは腕を組んで顰めっ面になる。
「王宮薬師となっているのであれば……流石にあちらに配慮はしなければなるまい」
「そうですね。どこかの町で店でも開いていれば、連れ戻すことはできたでしょうけれど……王宮薬師として認められている相手を無断で連れ戻すのは、国際問題になりかねません」
二人は無い頭で考える。むしろここで国際問題に発展する事を気づいた頭がある事に賞賛しなければならない。二人を監視していた男は目を見開いた。彼もきっと思ったのだろう。国際問題に発展する事に気づけるのか、と。
「王宮薬師になる前であれば、平民薬師は市場で薬を販売していたそうですから……その時に気づいていれば、簡単に連れ戻す事ができたでしょう」
アコルドが悔しがる。だが、その時点では既にロスから目をかけられていたシーナだ。イーディオが仮に動いていたとしても、ロスが先に手を打っていただろう。まあ王宮から出られないのだから、それは叶わなかった可能性が高いが。
彼らは理解していないのだ。何故この場所に留められているのかが。
「そうすれば俺も王太子の地位を白紙にされる事がなかっただろうな」
父である国王陛下が聞けば、肩を落とすであろうその発言。やはり彼らは解っていないのだ。イーディオはそう呟いた後、ふと思い浮かんだ。
「アコルド、その平民薬師は今も平民のままか?」
「はい。調べによれば平民の王宮薬師として勤めていると……」
「ならば、あの娘をヴェローロの貴族の誰かと結婚させてはどうだ? そうすればあの娘も貴族として生きる事ができるだろう? 今ナッツィアの王宮で働いているのなら、平民だと肩身が狭いだろうからな。救ってやるのが一番だろう」
本人はヴェローロにいた頃より楽しそうに働いているのだが……それは報告書の文字だけで判断している彼らでは分からない。
「それは素晴らしい提案ですね!」
「ヴェローロの貴族となれば、こちらで暮らすしか無いだろう? そうすればまたあの薬屋で薬を作らせてやろうではないか! ナッツィアの連中が何か言ってくれば、平民薬師が恋をしたから、とでもなんとでも言ってやればいい。いや、急に結婚するんだ。たまに貸し出してやってもいいだろう」
「ナッツィアに貸しを作るのですね!」
「あの平民も、貴族に憧れているだろうからな。喜んで協力するのではないか?」
「さすが、イーディオ様!」
アコルドに持ち上げられて、鼻が高くなるイーディオ。だが、二人は気づいていない。そもそもシーナが貴族という称号に憧れていない事を。二人はそれを理解できないまま話を進めていく。
「であれば、誰の婚約者にするかだが……」
「殿下、私めをお使いください」
そう告げたのはアコルド。彼は最近まで婚約者がいたのだが、相手側の事情でその婚約者と婚約白紙になっていた。アコルドはこれが運命なのだ、と感じたのだ。
「お前には婚約者がいなかったか?」
「先日婚約白紙と相成りました。何でも帝国の侯爵家からの縁談が舞い込んできた、と話を聞きまして」
アコルドと彼の元婚約者の婚約は内々に行われていた。そのため大々的に公表していなかった事もあって、円満に解消されたのである。だからアコルドは知らない。実は元婚約者の実家がアコルドたちを見捨てたという事、大金を目の前に出されてそれに目が眩んだアコルドの両親が嬉々として婚約白紙に同意した事を。
「殿下の一筆があれば、平民を迎える事に両親も同意するでしょう」
「俺のためにすまないな」
「殿下のためなら」
アコルドは頭を下げる。
「まあ、平民薬師はお飾りの妻でも問題ない。数年間夫婦でいた後、そのまま離婚してもいい。その間に宰相と平民薬師の間にあった契約を俺と結べば、国外に出る事は禁止できるだろうからな。その後はお前の好きな令嬢と結婚すれば良い」
「素晴らしいお考えで」
「いや、お前の協力があってこそだ」
輝かしい未来を思い浮かべて高笑いする二人。その笑い声は部屋中に響き渡った。