8、薬師の弟子は、採取に向かう
本日1話目です。
翌日。シーナはリベルトへと渡す依頼表を手に、東門へと向かう。東門が見えてくると、側に馬と人らしきものが見える。きっとリベルトだろうと判断したシーナ。待たせてしまっているのでは、と思った彼女は、慌てて走り出した。
「お待たせして申し訳ありませ……!」
足音で気づいたらしいリベルトがこちらを向いた時、シーナは走りながら彼に向けて謝罪の言葉を告げようとした。
しかし、最後まで言う事ができなかった。何故なら直前に躓いてしまったからだ。
倒れていく身体。それと同時にシーナは思わず目を瞑る。強い衝撃が来るのでは、と覚悟した彼女だったが、実際に彼女の身体へと当たったのは硬くて温かいものだった。
そっと目を開けると、目の前には見慣れた隊服が。どうやらシーナはリベルトの胸へと飛び込んだらしい。シーナの手が彼の胸板に触れており、そこから引き締まった身体を感じる。そして彼の少し早い鼓動も。
顔を上げれば、こちらを案じているような表情でリベルトが見ていた。シーナはそんな彼の姿に目を奪われていた時、サントスの言葉を思い出した。
『あらぬ誤解をされるのではありませんか?』
その事を思い出した彼女は急いでリベルトから手を離し、少し後ろに下がった。そして感謝の意を込めてお辞儀をする。
「リベルト様、助けていただきありがとうございました」
「いや、大丈夫だ。シーナさんを助ける事ができて良かった」
そう告げて微笑むリベルトに、シーナは目を見張った。なんとなく、彼の雰囲気が変わったような気がして。だが、それを確信する前にリベルトは馬へと乗った。
「さて、日が上り切る前に街を出発しよう」
「あ……はい!」
差し出された手に捕まったシーナはリベルトの後ろに乗る。彼女がきちんと乗った事を確認したリベルトは、すぐに馬を走らせた。
小さくなっていく王都を見つめながら、以前二人で馬に乗っていた時はどうだっただろうか、とシーナは考えていた。
あの時は初めての国外だったな、と懐かしむ。ずっと楽しんでいた気がする。薬草の育成環境を初めて見た事、リベルト隊の魔法を見た事、薬草の話に興味を持って聞いてくれる人たちがいた事、人生で初めて馬に乗った事……初めてが多すぎて、常に気持ちが高揚していた。
帰りはどんどんと過ぎ去っていく景色を見ているのが楽しかった思い出しかない。
でも今は……。
そう考えてシーナはリベルトの背中を見る。二人だからか以前よりも早い速度で馬を走らせているリベルト。シーナは振り落とされないようにリベルトの腰の上をしっかりと掴み、彼の背にもたれかかっていた。
布越しに伝わる彼の体温が、シーナの身体や頬を温めていく。
自分の心の中にふわふわとした気持ちがある。新しい薬草を発見したり、新しい薬を作成する時にも似ているが、ちょっと違う気がする。そんな自分の感情に戸惑いつつも、どこか心地よい時間が過ぎていった。
太陽が真上へと登る前に二人はトッレシアの街へと辿り着く。リベルトと共に馬を街の警備隊の宿舎へ預けた後、二人は軽く腹ごしらえをしようと街へと繰り出す。トッレシアの中心の大通りは屋台が出て賑やかで、二人は軽くつまめる物を探す。
山登りという事で、お腹に溜まる物が良いのではないかというリベルトの意見を取り入れ、シーナは味を付けて焼いた肉をパンに挟んだサンウィッチと呼ばれるものを一箱買った。
リベルトはシーナと同じサンウィッチを二箱購入していた。二人はトッレシアの街の外れへと向かい山の中へ入った後、少し開けたところを見つけて座る。
雲ひとつない空。太陽がさんさんと輝いている。
ヴェローロの薬屋で働いていた時の事が、遥か昔のように思えた。そしてリベルト隊に勧誘された時の事も……。
「そう言えば、シーナさんを勧誘した時もこんな天気だったな」
隣でそう呟いたリベルトにシーナは視線を向けた。まさか彼もその時の事を思い出しているとは思わなかったからだ。驚きで声も出ないままリベルトを見つめていると、彼は懐かしむように続きを話した。
「……あの時はアントネッラから『女性がいる』と聞いて驚いた。しかも彼女が逃げろ、と言っても逃げなかったな」
「あの時はジャバニカを守ろうと必死でしたから……」
シーナは口の中に入っていたものを飲み込んでから、言葉を紡いだ。今思えば無茶な話である。持っていた目潰しも相手に効くか分からないにもかかわらず、ボアへと立ち向かおうとしていたのだから。
「だがあの出会いが、国にも……ラペッサ様にも……俺にも……良い影響を与えてくれたんだ。あの時俺たちの隊に協力してくれてありがとう」
穏やかな口調。そしてシーナを見る柔らかな視線。まるでその視線は師匠のマシアやメレーヌが向けてくれた視線と同じくらい温かいもの。でもそんな二人とはどこか違う熱がこもっている。その熱の意味についてシーナは分からない。けれども自分の胸の中が温かくなったような気がした。
「いいえ、あの時助けていただき……そして私を薬草調査に連れていっていただき、ありがとうございました。追い出された事に対して、まだ少しだけしこりが残っていた時期だったのですが……リベルト隊の皆様のお陰でそれも無くなりました」
何より、自分の知識が役に立ったという事が大きかった。今まで努力してきた事は裏切らない、と。
「私、この国に来て良かったです。王宮薬師として日々薬草や薬に触れられる事もそうですが……リベルト様や皆さんに会えた事が一番の幸運でした!」
満面の笑みで伝えれば、リベルトは少し驚いた表情をしたが、すぐに優しく微笑んだ。
「俺もシーナさんに出会えて良かった」
そう告げたリベルトの耳はほんのりと赤くなっていたのだが、シーナはその事に気が付かなかった。
二人はサンウィッチを食べ終わると、ラビアータを採取しに向かった。途中で楽しそうに手早く薬草を採取するシーナを、リベルトは苦笑いで見つめていた事もあったが、問題なくラビアータの採取も終える。
帰りはリベルトと今回の件について話し合い、良い点や改善点などを話し合いながら街へと戻っていく。陽が沈む前に宿へとたどり着いた二人は、そのまま借りた部屋で一旦休息をとる事にした。部屋の中へ入ると、シーナは鞄を下ろしてすぐに薬草を取り出し、ラビアータ以外に採取した薬草の仕分けを始める。
しばらくして、扉を叩く音が聞こえた。「はい」と声をあげると、外にいたのはリベルトだ。慌てて扉を開けると、そこには困ったように笑う彼がいた。
「シーナさん、食事はとったか?」
「……あ、とってないで――」
言い終わる前に、シーナのお腹がくぅ、となる。お腹が返事をした事に頬を染めていると、リベルトは我慢できなかったのか、笑いが漏れていた。
「薬草の整理に集中しているだろうと思って声をかけたが……案の定だったな」
「お恥ずかしい限りで……」
彼女がモジモジしながら言うと、リベルトは目の前に箱を差し出した。
「良かったら、これを食べてくれ。今日買ったサンウィッチとは別の場所に売っていたものだ」
そう言って渡されたのは、箱に入ったサンウィッチ。昼に食べたものとは違い、こちらは野菜も入っていて色鮮やかだ。
「え! それは申し訳ないです。これから自分で買いに行きます!」
シーナが慌ててリベルトへと箱を返そうとすると、彼は首を振った。
「いや、自分の分はもう買ってある。それはシーナさん用に購入したから、食べて欲しい」
リベルトは反対の手に持っていた袋の中身を見せる。するとそこには彼の言う通り、二つの箱が入っていた。リベルトも実はロスへの報告のために報告書をまとめていたらしい。それが熱中してしまい、このような時間になってしまったのだという。
宿の下が食堂になっていたので、今からでも食べようと思えば食べられるのだが、明日も早朝に王都へ向かう予定であるため軽食を購入したそうだ。その時にシーナの事を思い出し、薬草の仕分けに熱中している可能性があると踏んで、彼女の分も購入したのだとか。
「今から買いに行くのも大変だろう?」
リベルトがシーナの部屋の窓をチラリとみる。彼女も釣られて窓へ視線を送ると、確かに陽が沈んだのか、外は闇に覆われている。もし買いに行くのならお供する、と言われそれは申し訳ないと思ったシーナ。彼の言葉に甘えて、サンウィッチを受け取る事にした。
シーナは受け取った後お金を支払おうとして、リベルトから止められる。二回ほど支払うと告げたが、リベルトの返答は変わらない。だからシーナはサンウィッチの支払いを諦めて、ひとつ提案をした。
「ありがとうございます……、そのお礼と言っては何ですが、一緒に食べませんか?」