6、薬師の弟子は、王太子妃に話を聞く
それから二日後、シーナとリベルトはロスの義姉であり王太子妃であるソラナの暮らす離宮へと向かっていた。離宮へと入る前にリベルトから簡単に王太子妃である彼女について話を聞いた。
「ロス殿下の兄上であらせられるルカ殿下の妃は、この国の筆頭公爵家であるペラエス公爵家のご令嬢だったソラナ殿下だ。現代は体調不良という事で、離宮に下がられている」
「でしたら私のような薬師が離宮に訪れても、問題なさそうですね」
妊娠は彼女の体調が落ち着いてからの発表となるそうだ。現在は人の前に出るのが辛いと夫であるルカに話していると聞いた。
「ああ。ソラナ殿下は非常に落ち着きのある方で、物事を冷静に考える力がある方だ。もしかしたら、薬の処方の際に色々と質問される事があると思うが、その時には詳しく説明を頼む」
「勿論です! 患者様が不安に思うような薬は作れませんから! でも、熱く語りすぎてしまうかもしれません……」
薬を作る事が大好きなので、それに興味を持ってもらえると喜んで止まらなくなるのが彼女の癖なのだ。薬屋にいた時も、それを何度かやらかして患者から止められた事もある。気をつけたいのは山々だけれど、どうしても興が乗ってしまうと……。そんな心配をするシーナにリベルトは告げた。
「シーナさんなら大丈夫だ。きっとその熱意もソラナ殿下に伝わるだろう。もし話しすぎているとこちらが感じたら、俺が頃合いを見て止めよう」
「ありがとうございます! リベルト様が止めてくださるのなら、大丈夫ですね! そう言っていただけて心が軽くなりました!」
「……君にそう言ってもらえて、良かった」
リベルトが優しく微笑めば、シーナもそれに釣られたのか満面の笑みを見せる。二人の間には、強い信頼関係が結ばれ始めていたのだった。
ソラナの離宮についた二人は、侍女に案内され離宮の中を歩いていた。二人は離宮の庭の片隅にあるガゼボへと案内された。屋根付きのガゼボだったが、所々日差しが差し込んでおり、ソラナは光の当たらない場所でお茶を楽しんでいたようだ。二人がこちらへ来るのを見て、彼女はティーカップをソーサーの上へと置く。
シーナは席へと座り、リベルトは彼女の席の後ろで立つ。
ソラナはリベルトを見たあと、座っているシーナを見る。二人の姿を何度か確認してからソラナは話し始めた。
「ようこそ、遠くまで足を運んでくださりありがとうございます。わたくしはソラナと申します」
「王宮薬師室所属のシーナと申します。平民ですので、家名はございません。本日はよろしくお願いいたします」
立ち上がり膝を折って頭を下げる。
「あら、そんなに畏まらなくても良いのよ? こちらが頼む立場ですから……ゆっくり寛いでくださる?」
「……はい、善処します」
緊張しているシーナへの気遣いか、ソラナは声をかけてくれる。ただ……そう言われて寛げるか、と言えばそんな事はないのだが。シーナは落ち着くためにも、席へ座ってから目の前に差し出された紅茶を一口飲む。すると落ち着くのを待っていたかのようにソラナが話し始めた。
「実はね、最近喉の調子が良くないの」
「喉ですね。どのような症状か詳しく教えていただけるでしょうか?」
「ええ、そうね……喉に異物が……何かが詰まっているような感じ、と言えば分かるかしら。咳をしてもその違和感が取れなくて」
「それはいつからでしょうか?」
「妊娠が分かる一週間前くらいかしら? 最初は病気かと思ったけれど、侍女からそれはつわりだと言われたわ。後は少し吐き気があるくらい」
喉の違和感はつわりでよくある症状だ。ヴェローロで働いていた時も、その症状で店に来た妊婦がいた。
「ありがとうございます。その他、気になる事などはありますか?」
「今のところ私はないけれど……ねぇ、マルサ。貴女は私を見ていて気になるところはあるかしら?」
ソラナは後ろで控えていた侍女マルサに声をかけた。そう言えば先程リベルトから話は聞いていたが、彼女は幼い頃からソラナの侍女として仕えてきたのだとか。ソラナが王太子へと嫁いだ際も、彼女だけは連れてきたほど。
そんなマルサは「そうですねぇ」と少し首を傾げた後、「ああ」と呟いた。
「殿下は妊娠された直後あたりから、塞ぎ込む事が多くなったように思います。精神的なところで、参っているのかもしれません。妊娠は非常に母体に負担をかけますから……」
「そう言われればそうかもしれないわ。時々不安になる事も多くなったわね……本当に大丈夫かしらって」
「なるほど、気分の落ち込みや不安感ですね」
シーナは手帳に書き込んだ後、彼女たちに了承を取ってから机の上に手帳を広げた。この日のために、妊婦に効く薬を再度おさらいし書き出してきたのである。その手帳を見ていると、それに興味を持ったソラナが「見ても良いかしら?」と尋ねてきた。
シーナは快く了承すると、ページをめくった。
「妊婦のつわりにはここに書かれている四種類の薬を処方する事が多いです。それ以外の薬も手帳に記入してきましたが、以前いたヴェローロの薬屋では大体の方がこの四種類で問題なく対応できました」
「あら、この薬は吐き気が多い方用の薬、という事なのね」
「ええ、そうです。殿下の場合は、こちらでしょう」
シーナが指差したのは、ビシャノンと呼ばれる薬だった。
「こちらは喉の閉塞感がある場合に使われる薬です。それだけではなく、気分の落ち込みや不安感なども改善できると言われています。このビシャノンの名前の由来であるビシャクという薬草には、喉の違和感を解消する力があるとされておりまして、もう一つのマグノンと呼ばれる薬草は嘔吐や胸のつっかえなどに効果があるとされています」
「そのビシャノンと呼ばれる薬は、その二つの薬草でできるのかしら?」
「いえ、他にもラビアータと呼ばれる赤い葉の薬草や、バーデンと呼ばれる不安感を取り除く……精神を安定させる効果があると言われている薬草、ジンと呼ばれるマグノンと同じく嘔吐や胸のつかえなどに効果がある薬草などを調合します。殿下には朝食と夕食の食前に飲んでいただく事になります」
ソラナは「多くの薬草を使うのね」と驚きから目を見開いている。その後ろで、手を挙げたのはマルサだった。
「その薬は副作用などはないのでしょうか?」
「ええ、用法、容量を守っていただければ」
「ありがとうございます。私からは以上でございます」
マルサは頭を下げて、元の場所へと戻る。
「では、その薬の処方をお願いできるかしら?」
「畏まりました。原料の在庫を確認してから作成いたしますが……もし在庫がない場合は、それを入手する事から始めるので、少々時間がかかるかもしれません。その時はご連絡差し上げたいのですが……」
シーナが何度もここに入るわけにはいかないだろう、そう思い告げれば。
「ロス殿下かラペッサちゃんに言ってくれれば、何とかしてくれるわ! そうね、薬を服用した後の状況も二人に伝えておきましょう。何かあったら、またここに来てもらう事になると思うけれど、良いかしら?」
「承知いたしました」
シーナは頭を下げた後、ちらりと横にいたリベルトを一瞥する。彼は彼女の視線に気づくと、優しく微笑んでくれた。その笑みでほっと胸を撫で下ろす。そんな視線でわかり合っているような二人の姿を見て、ソラナはニヤリとリベルトを見た。
「リベルトも隅には置けないわね」
その言葉で我に返ったリベルトは、誤魔化すかのように咳払いをする。ソラナの後ろに佇んでいたマルサも最初は驚いた顔をしていたが、ソラナの言葉で満足そうに頷いていた。
「リベルト、私は貴方を応援するわ。頑張りなさい」
「……ありがとうございます」
話の内容が分からず首を傾げるシーナ。そんな彼女を、温かく見つめるソラナとマルサ。その表情だけで理解した。彼女は鈍いのだ、という事を。
「これから楽しみね」
そう告げて笑うソラナの言葉に同意するマルサ。そんな二人の笑い声はガゼボ内に楽しげに響いた。