6、薬師の弟子は、自由気ままに旅をする
初めての旅は不安もあったが、案外快適だった。
王都で乗合馬車に乗った時はぎゅうぎゅう詰めだった馬車内も、街や村を経由するうちに段々と人は少なくなり余裕を持って過ごす事ができるようになる。
それに馬車の中は至福の時間だった。
だって、ずっと座りながら薬の事を考えられたのだから。
それと、窓の近くに席を取れた事も幸いだった。王都付近はほぼ平面であるため、その地形を利用して小麦を育てている農家が多いと師匠から聞いている。目の前に広がるのは、一面の小麦畑。そろそろ収穫時期なのか、穂が金色に光っていた。そんな外の景色もシーナの目を楽しませていた。
個人的には薬草畑を見てみたい……と思ったが、マシア曰く王都から三日以上かかる場所にしか薬草畑はないらしい。少々残念に思いながらも、目の前で揺れる麦の穂を楽しんだ。
大きめの街に泊まった翌日。
今までは小麦ばかりだった畑にも少しずつ変化が見えてきた。よく見るとところどころに野菜畑があるようだ。
そしてそこから二日経った昼過ぎ。
今まで野菜ばかりだった畑に草が生えているのを見つけた。最初は放置された畑なのかと思い気にしていなかったのだが、よく見ると規則正しく植えられていることに気がついた。
小麦なら以前見てきたように穂は金色になっていてもおかしくないが、目の前にある草は青々としている。
段々その畑が近づいてくると、色々と見えてきた。そしてシーナは気づく。あれは以前図書館で借りた薬草図鑑に載っていた絵を見た事がある。タクライという薬草だ。
タクライは痛みや発熱を緩和させる効果のある薬草で、それ単体でも痛み止めとして使用する事が多いためシーナもよく薬を作成する時に使用する。
効能は腹痛、頭痛、発熱などに効く。万能薬、とまではいかないが幅広い病に効果があるため、薬師からも非常に重宝されている。また、タクライ単体よりも他の薬草と混ぜて薬を作成すれば、より特化した特効薬ができるのだ。
だが、大抵は軽い発熱や痛みなどはこのタクライ単体で作成した薬で治す人が多い。それもそのはず。タクライは他の薬草に比べて非常に育てやすいため、様々な場所で育てられている。その上どこでもよく育つ事から、薬の中でも他に類を見ないほど安価に薬が作成できるため、庶民の味方の薬草と言われているほどだ。
確かに目の前の育ち方を見れば納得できる。手前の物はまだ数本の葉しか生えていない。が、奥へ進むにつれて葉の数が多いからか大量の葉がぐんぐんと伸びている。これならひとつの植物から何十枚もの葉が手に入れられるはずだ、とシーナは納得した。
タクライが非常に安価で購入できていたことは知っていたが……実際見る事によって何故安価なのかが理解できた。それだけでもこの旅をしてよかったと思う。
周囲を見渡すが、ここにはタクライしか植えられていないらしい。
よく使用する見慣れた薬草であるタクライですら、畑で育っているところを見た事がなかったシーナは目を輝かせていた。
「タクライってこうやって生えてるんだ……すご……」
薬草が畑で育っている姿を見て感動していると、先ほどの町から乗ってきた女性が声をかけてくる。
「お嬢ちゃん、よく薬草の名前が分かったね! 何度か見た事があるのかい?」
ニコニコと笑って話しかけてくる女性を見て、お世話になっていたメレーヌの母や八百屋の女将を思い出した。彼女たちに雰囲気や声が似ていたため、なんとなく心が安らいだ気持ちになる。
「はい。私の師匠が薬師で、その手伝いをしていた時によく見ていました」
まぁ……シーナも薬師ではあるが。
一人で店を任されていたとは言え、師匠からは「一人前だ」と言われていない。
だからシーナとしてはまだ弟子だと思っている。だが、弟子と言った時、どこからか視線を感じた気はしたが……まあ、気のせいだろう。
目の前の女性は目を見開いており、驚きを隠せないようだ。
「おやまぁ、薬師さんの弟子だったのかい! こんなに若いのに…………遠目から見ると麦や雑草に間違える人も多いんだが、お嬢ちゃんは優秀なお弟子さんねぇ」
「ありがとうございます。タクライはいつも乾燥させていたのを見るばかりで、実際生えているところを見るのは初めてなので……合っていて良かったです」
「あら、そうだったのかい! 確かにタクライはここら辺でしか栽培されていないからねぇ。ここらに来るのは初めてかい?」
「はい! 育っているところは初めて見ました!」
久々に薬草の話が出来たからか、嬉しい。最近は薬草や薬の話を聞いてくれる人が、ネーツィくらいしかいなかったので、多弁になっているようだ。
「そうだ、お嬢ちゃんさえ良ければ、タクライを間近で見てみるかい?」
「え! よろしいのですか?!」
「勿論だよ! ああ、そう言えばあたしの名前を言ってなかったね。あたしゃ、次の街に住んでるニノン。旦那と一緒にいくつか薬草を育ててるさね。お嬢ちゃんは?」
「私はシーナです」
「シーナ、可愛い名前じゃないか。じゃあ、次の街……タニッセッタで降りる事になるけど、大丈夫かい?」
「はい! 今日はそこで降りる予定でしたので」
「なら、街を案内しがてら薬草畑を見に行こうじゃないか!」
「お願いします!」
元々の予定もタニッセッタの街で降りて一泊する予定だったので、問題ない。
道中、薬草が販売されている店があれば顔を出し、良い品質のものがあれば購入しておこうと考えていたけれど、まさか薬草畑を見られるとは思わなかった。
国外追放という王太子命令がすっかり頭から抜け、旅気分のシーラは、薬草畑に思いを馳せていた。
――だから気が付かなかったのだ。
ニノンと話している彼女を睨みつけている乗客がいた事に。
タニッセッタはこの辺では大きめの街である。
特産品のひとつとしてタクライを含めた薬草を生産している地域で、ネーツィの商会もこの街でタクライを購入していると以前言っていた事を思い出す。
馬車を降りると彼女に連れられ、すぐに畑に案内された。畑には辺り一面青々としたタクライが生えているのを見て、感動から声も出ずその場に佇んでいた。
「間近で見たタクライはどうだい?」
そうニノンに話しかけられて、我に返る。
「非常に迫力がありますね……意外と丈が大きくて驚きました」
「確かにこんなに大きいとは予想が付かないか。商会から買う時は切られた状態だろうからねぇ」
「……あ、あの。もう少し近づいてもいいですか?」
「もちろんいいさ!」
ニノンは満面の笑みで許可を出してくれたため、いそいそとタクライに近づいた。
ここに生えているタクライは、シーナの腰丈よりも大きい。奥の物になると、彼女の顔と同じくらいの丈のタクライもあると言うから驚きだ。普段は既に目の前にある葉の半分程に切られているらしいタクライしか見たことがないので、一本の葉がここまで長いとは思っていなかった。
乾燥しているソレとは全く違う、青々と茂るタクライに目を奪われる。
後で聞いたが、ニノンが育てているタクライも紐で纏めて吊り下げ、太陽の光で乾燥させてから紐で纏めた状態のまま商店に卸しているそう。売り出す時にこの大きさでは幅を取るからと、ある程度の大きさに切り分けているのだろう。
せっかくの機会だから、とシーナは細かいところまで観察する。
彼女がタクライに持っていた印象は、麦のように葉が何ヶ所からか出ており、その葉を採取しているものだと思っていたのだ。だが、実際のそれは根本から十数センチ程の長さの部分から葉が何枚も出ている箇所があった。
ニノン曰く収穫する際は、何枚も葉が出ている箇所の少し上で切断するらしい。そうすればまた次の葉が根本から生えてくるそうな。
「他の薬草は手間暇かかって大変さ。だが、このタクライは取引額も安価ではあるが、どの時期も一定数購入を希望する人がいるからね。そこまで手間が掛からず、ある程度の収入になるからこれだけは育てているんだ。タクライが苦手なのは寒さだけだと言われているからね。ここら辺の温暖な気候はこいつに合うらしい。通年を通して、タクライは収穫できるよ」
「確かに薬草の中でもタクライの薬はよく売れますね。私のところもそうでした。ですが、大量に購入されたとしても、そんなに収入になるとは思わないのですが……」
「腐っても薬草さね。そこら辺の野菜よりは高価だから問題ないさ。野菜とは違って乾かす手間はあるけれど、大変なのはそこくらいさ」
「なるほど……」
シーナは薬草と言う括りで見ていたから、そう考えたが、確かに他の商品の事を考えればそうなのかもしれない。今まで知らなかった視点から薬草を見られたような気がして、すごく嬉しい。
そしてふとこのタクライに触れてみたい……と思った。けれど、これは売り物であって好意で見せてもらっているだけ――。後で乾燥させていないタクライを購入しよう、そうしようと心の中で決心していたのだが。
「ああ、見るだけじゃつまらないだろう? シーナ、良かったら葉を一枚あげるよ」
「え、ですがこれは売り物では……?」
「一枚なら問題ないさ。将来の先行投資の一環でもあるさね。もし良いタクライだったら、購入してもらえるだろう?」
そう言ってニタッと笑うニノン。
彼女は目の前にあったタクライの葉を一枚手に取ると、どこからか持ってきていたらしい大きめのハサミで根本の部分を切り取った。そしてポカンと口を開けている彼女に、「ほい」と渡してくる。
ありがたく受け取ったシーナの手は、驚きと感動と興奮からか手が震えていた。手渡された時に仄かに鼻をくすぐった爽やかな香りを嗅ぎながら、瑞々しい葉を舐めるように観察する。
手で触れている葉は目に見えない小さい産毛のようなものが生えているようで、不思議な感触だ。
貰ったタクライに触れては、畑に生えているタクライを観察するというのを交互に何度も繰り返していたシーナだったが、ふと気づくと空が赤く染まっている。この街に着いてすぐこの畑に来たので、相当な時間ここにいたらしい。
案内してくれたニノンを探そうとキョロキョロと周囲を見れば、いつの間にか遠くの畑で何かを抜いているようだった。
慌ててシーナは彼女の元へ向かい声をかけた。
「ニノンさん」
「ああ、シーナ。満足したかい?」
「はい……あの、長々と時間を取ってしまってすみませんでした」
「いーさ、いーさ。私も畑の草取りがてらですまなかったねぇ」
「いえ! 見るだけでも貴重な時間だったので……!」
「それは良かったさ」
そう言ってニノンさんはぐぐぐっと腰を伸ばす。
そして額の汗を首にかけていたタオルで拭った後ちらっと夕日を一瞥し、シーナの方へ顔を向けた。
「シーナ、今日の宿はまだ取ってないだろう? シーナさえ良かったら、うちの家に泊まっていくかい?」
「えっと、そこまでご迷惑をかけるわけには……」
「実は薬師の弟子であるシーナに、我が家のタクライの品質を見てもらいたくてねぇ。何か助言があれば教えて欲しいのさ。お眼鏡に適うのなら、いくつか購入してくれると嬉しいねぇ。それに……」
ニノンは意味深な視線を奥へと向ける。
思わず後ろを振り向くが、見た限り変わったところはなさそうだ。
首を傾げながら彼女の方へ向くと、既にニノンは満面の笑みで「なんでもないさぁ」と言いながらこちらを向いていた。
気のせいか、と思った彼女は返事をする。
「それなら……お願いしても良いですか? あ、でも旦那様もいらっしゃるのでは……」
「大丈夫大丈夫! さっき女の子が泊まるかもって言っておいたからさ」
仕事が早い、と思いながらもニノンに連れられて彼女の家へとお邪魔することになった。