3、薬師の弟子と、リベルト隊
なんともいえない空気が蔓延している薬師室。その空気を打ち破ったのは、扉を叩く音だ。そこから顔を覗かせたのは、アントネッラである。
「あ、薬師室の皆さん、申し訳ございません……って、えっと?」
異様な空気の中、全員がアントネッラへと視線を送っている。注視された彼女は、どこか居心地が悪そうで身じろぎしている。
側から見ればしーん、という効果音が現れそうなほど静まっていた薬師室だが、我に返ったらしいサントスが咳払いをひとつした。彼もまさか嫌味を込めたつもりで言った言葉が通じていない上に、シーナ自身が満面の笑みで喜んでいると言うまさかの展開に頭が追いつかなかったらしい。
彼女がこの場に訪れた事をこれ幸いにと、アントネッラに話しかけた。
「いや、問題ない。君はリベルト殿のところの隊員だったか。何か用か?」
「はい! 今回の調査の件でシーナ薬師とこの後会議を行いたいと思い、馳せ参じました。出直してきた方がよろしいでしょうか?」
「……本人に尋ねてくれ。一度、会議は解散とする」
そう告げてサントスは薬師長室に入っていく。他の三人も、アントネッラに手を振りながら、部屋の奥の調合室へと入っていった。この場に残ったのが、シーナとアントネッラだけになると、アントネッラは胸に手を当てて大きくため息をつく。
「あー、びっくりした。入った瞬間変な空気だったから、驚いちゃった……シーナさん、何があったの?」
「え、何もないよ? 調査隊と共に現地調査に行ってくれって言われてただけだよ?」
「いや、そんな軽い空気じゃなかった気がするけど……まあ、いっか。シーナさんはこの後仕事?」
「そうだね。でもそこまで量があるわけじゃないから一時間くらいで終わるかなぁ」
「目安一時間ね! じゃあ隊長にはそう伝えておくね! ……あ、私たちの部屋の場所分かる?」
「教えてもらえると嬉しいかな」
不安そうにシーナが告げれば、アントネッラは手帳を取り出し紙に地図を書く。そして軽く口頭で説明した後、手帳を破ってその紙をシーナに渡した。彼女の地図で場所を理解したシーナは、アントネッラと別れるとすぐに薬作成へと取り掛かった。
アントネッラに告げた通り、シーナは一時間も経たないうちにサントスへ本日作成予定の薬を提出する。いつものように睨みつけているような表情でサントスは彼女の薬を確認し、全てを終えると顎を出口へと向ける。出てけ、と言う意味だ。普段のように「ありがとうございました。お願いします」と告げてシーナが扉を開こうとした時、ふと後ろでサントスの声が聞こえた。
「お前は薬が作れなくて不満はないのか? 王宮薬師なのだぞ?」
いきなりなんの話だ、と思ったが少し考えて今朝の調査隊の話だと理解する。つまりサントスからすれば、王宮薬師といえば薬の調合や作成が重要であって、調査隊は王宮薬師の仕事ではない、とでも思っているのかもしれない。だからだろうか、先ほどの声には何故シーナがそんなに嬉しそうにするのかが分からない、と言った困惑の色も見てとれた。
シーナはくるりと後ろを振り向いて彼の目を見る。彼女が真剣な表情でサントスを見たからか、彼は気不味さからかすぐにそっぽを向く。その事に異議を唱える事なく、シーナは告げた。
「確かに薬師の主な仕事は薬の調合や作成です。ですが……より良い薬を調合するために、原料となる薬草について知る事が一番の近道だと思っています。その機会を与えていただき、ありがとうございました」
頭を下げて薬師長室から出る。だからシーナは後ろでサントスがどのような表情をしていたのかは分からなかった。
その後すぐにシーナはアントネッラからもらった地図を見ながらリベルト隊の会議室へと向かう。当初の予定通り、一時間ほどでシーナは会議室へと着く。そして扉を軽く叩くと、中から扉が開いた。
開けたのはアルベロだ。彼はシーナを見ると「よう、時間通りだな」と話しながら右手を上げて、部屋の中へと招く。
部屋の中では人それぞれが思い思いの事をしているらしい。右奥のテーブルの上に置かれた地図の周囲にはエリヒオとリベルトの二人が、何やら顔を突き合わせて話し合っている。
その後方ではトビアスとシーロが本を見ながら話し合っているし、左側の空いている場所ではアントネッラたちが訓練をしているように見えた。
自由な空間に親近感を持ったシーナ。キョロキョロと辺りを見回していると、こちらを向いたエリヒオと視線が合った。
「隊長、シーナさんがいらっしゃったようですが」
「ああ、ちょうど良かった。それではシーナさんも含めて会議を始める。総員、集合!」
リベルトの声掛けで、彼の周りには隊員たちが集まる。シーナもアルベロに連れられて、リベルトの隣へ案内された。
まずリベルトから調査について簡単に説明が行われた。
調査する場所は、王都の東側にある山地の調査をロスより指示されているとの事だった。
ナッツィアは元々周囲を山に覆われており、王城からでも山々が見えるほど近い場所にある。今回調査へと向かう山の麓には村があるのだが、そこは木こりを生業としている者が大半の村だ。
そのため、何度かリベルト隊や他の治安部隊が出張で訪れ、魔獣の討伐を行っているらしい。現在もリベルト隊とは別の治安部隊が先行して魔獣退治を行っているそうだ。彼らと入れ替えで、薬草の調査を行うとのことだ。
「今回は先日のように全員で調査、と言うわけではない。アルベロ班とイバンは王都で待機だ。あちらへ行くのは、リベルト班とエリヒオ、フラビオとシーナさんの六名を予定している」
名指しされたイバンはこの事を初めて耳に入れたらしく、目を見開いて驚く。その言葉に続いたのは、エリヒオだった。
「今回向かう場所の問題ですね。あそこはポルニカが多く群生している場所……イバンは症状が重くなってしまう可能性がありますからね。今回は王都で待機をしていて下さい。まあ、アルベロも待機組に入りますから、指示はアルベロから受けて下さいね」
「それは有り難いです。助かります……」
エリヒオが身体を気遣ってくれたと気がつき、イバンは感謝を述べた。この王都内でも目が痒くなってしまうのだ。ポルニカが近くにあったらどうなるだろうか……と本人も戦々恐々としていたところだ。
イバンは待機となった事で胸を撫で下ろしていたが、一方でもう一人ポルニカ症を発症している者は口をあんぐりと開けていた。そう、シーロである。
「……すいません、俺もポルニカ症なんすけど……」
恐る恐るそう告げるが、エリヒオは困惑した表情を、リベルトは申し訳なさそうな表情でシーロを見ている。その表情から察したシーロは肩を落とした。
「本当にシーロには申し訳ないのだが……これはラペッサ様の依頼でな……」
「ラペッサ様っすか?」
「ああ。以前お前がヴァイティスを見つける切っ掛けとなったからだ。もしかしたらまだ見ぬ薬草が見つかるかもしれない、とな……済まない」
リベルトの話す通り、植物から魔力を感じ取れるのはシーロだけ。つまり彼は確実に調査隊へと参加しなければならないのだ。シーナはポルニカ症を発症しているわけではないが、それがどれほど辛いものか、患者から力説された事があった。
シーナは肩を落とすシーロへと声をかけた。
「あの、私が少々強めの薬を作成しておきます! シーロさんは鼻水、でしたよね」
「そうっす! 隊長、シーナさんにお願いしても良いっすか?」
目を輝かせてリベルトの顔を見るシーロ。そんな期待した彼の表情に、リベルトは首を縦に振る。
「良いだろう。シーナさんには出立前に幾つか薬を作成してもらいたいと思っていたところだ。ラペッサ様にその旨を伝えておこう。シーナさん、受けてもらえるか?」
「はい、私で良ければ」
そう告げると、リベルトは口角を上げた。
「助かる。では今からその件で相談に乗ってもらえるだろうか?」
「勿論です!」
そうシーナが了承した後、リベルトと二人で話し込む。それを見たエリヒオは王都待機組には解散を告げ、フラビオと二人で討伐隊から得た報告書に目を通したのだった。