9、薬師の弟子は、副商会長から謝罪を受ける
初出店から一ヶ月後。
その後も三回ほど出店したが、いつも完売する程に。早い時には昼過ぎには全ての薬が売れる、そんな時まであった。
毎日露店を開かないか? と客に尋ねられた事もあるが、シーナとしては一時的に販売しているに過ぎない。
もし王宮薬師に合格すれば、露店ができるかなんて分からない。合格しなければ、引き続き露店は出すと思うけれど。
昼の喧騒が静まり、シーナの商品も完売まであと数える程になってきた頃。
「いらっしゃいませ」と声を掛けたシーナは、思わぬ人物の登場に口をあんぐりと開けながら、思わず叫んでいた。
「ネーツィさん?!」
目の前にいたのは、顔を真っ青にして息も絶え絶えなネーツィだった。相当急いできたのだろうか、普段なら整っている髪も風のせいか後ろに流されて乱れている。
シーナの視線に気がついたのか、慌てて彼は髪型を整える。そしてすぐに喋ろうとしたが、聞こえるのは荒い息だけだった。
彼女は予備に持ってきていたコップに水を注ぎ、彼へと手渡した。ネーツィは掠れた声でお礼を伝えると一気にそれを飲み干す。
そして――。
「大変申し訳ございませんでしたっ!!」
と盛大に頭を下げたのだった。
「え、ネーツィさん? どうされたのですか?」
訳の分からない謝罪に困惑するシーナ。むしろカードの件ではこちらが申し訳ないと謝罪しなくてはならない立場だ。
何故首を垂れているのか疑問に思っていたシーナだったが、周囲の騒めきが耳に入ってきた事で、ハッと我に返る。
「ネーツィさん、一度頭を上げて下さい! 流石にこの状態ですと騒ぎになってしまいますよ?!」
ネーツィだって、グエッラ商店の店員だ。ここはヴェローロ支店では無いとはいえ、公衆の面前でこれは不味い。
頭を上げないネーツィ、狼狽するシーナ。そんな膠着状況を変えたのは、シーナも良く知るあの女性だった。
「これは何の騒ぎですか? ……ああ、そういう事ですか」
周囲を押し分けて……いや彼女が野次馬達に話しかけた瞬間、彼らは一斉に横に別れて道ができる。
その奥におり、堂々と歩いてきたのはカルメリタだった。
彼女は二人の様子を見て、何が起きたか一目で理解したらしい。納得した表情で、二人に声を掛けた。
「シーナさんが困惑しておりますから、ネーツィさん一旦頭を上げて下さい。貴方が頭を下げている理由は分かりますが……落ち着いて。ギルド隣のカフェの部屋を貸し出しますので、そちらに移動なさって下さい」
「あ、あの……お店はどうしたら……?」
「そうですね……」
カルメリタはシーナの露店をチラリと一瞥する。
「シーナさん、商品は今こちらに出ている分でしょうか?」
「あ、はい。ここに出ているので全部ですが……」
「でしたら私が店番をさせていただきます」
「えっ?!」
驚きで声を上げるが、彼女はにっこりと微笑んだ。
「こちらにあるメモが商品説明ですよね? この説明書があれば、問題なく商品を販売できると思います。幸い商品名も籠に書いてあるので、販売くらいならできるかと」
「ですが……」
多分販売する分には大丈夫だと思うが、個人的には自分で商品を売りたいシーナ。口篭っていると後ろから現れたのはエウリコだった。
「でしたら、残りの薬は私が購入しましょう。ギルド職員の中にポルニカ症の者が何人かおりますので、ちょうど購入に来たところですから。カルメリタは申し訳ないけれども、シーナさんの店の片付けをお願いできますか? それは如何でしょう?」
「……では、それでお願いします」
エウリコの懇願の表情を見て、ネーツィがこのままだと問題があるのだという事を理解する。シーナは諦めてカルメリタに片付けをお願いすると、エウリコへ軽く商品説明をすると籠ごと薬を渡す。
その間にカルメリタがネーツィをギルド隣の個室に案内し、彼女が戻ってきた頃にはシーナも薬の説明を終えたため、そのままギルドへと向かったのだった。
ギルドのカフェ内の一番奥の個室に案内されたシーナが扉を閉じると、ネーツィが立ち上がり再度頭を下げた。そして先程までは何も話さなかった彼だったが、顔を上げて彼女の目をしっかりと見つめた。
「この度は我が商店の者がシーナさんに対し乱暴を働いたとお聞きしました。その事について私から謝罪に参りました」
乱暴? と一瞬疑問に思ったが、多分デニスが以前カードを破った話をしているのだろうと察する。
「改めて大変申し訳ございませんでした。こちらの不手際でシーナさんに大層ご迷惑をお掛けした事、お詫び申し上げます。シーナさんから手紙を頂戴する前に、ナッツィア支店で働くパメラという者からデニスの狼藉振りを密告する手紙が届けられました。その中には、私がシーナさんへと手渡したカードを破り捨てたり、貴女が薬師である事を疑った上、薬の品質確認もせず店を追い出したとお聞きしました。先にパメラよりその時の状況を聞き、証拠としてビリビリに破かれたカードを手渡されております……商会長は足を悪くしており謝罪に伺う事ができませんので、代わりに副商会長である私が参りました」
「……え?」
情報量が多く固まるシーナだが、最後の言葉だけは聞き逃さなかった。
「ネーツィさん、副商会長なのですか?!」
「え、ああ、はい」
「いやいやいや、そもそもそんな偉い方が何で私と取引されていたのですか?!」
わざわざネーツィが来ずとも、他の人が来ればいいじゃないか……とシーナは思う。師匠であるマシアはともかく、シーナは彼女の弟子でしかない。副商会長の立場にある彼が何故私と取引していたのだろうか、むしろ以前の自分の態度は問題なかっただろうか、と狼狽している彼女に、ネーツィは話し始めた。
「シーナさんの作る薬は私どもの主力商品です。素晴らしい商品を作ってくださる方には、こちらも相応の誠意を見せるべきだと私は考えております。それにあたって一番最善だと考えたのが、私自らが取引をする事だと判断したからです。シーナさんはご存知ないかもしれませんが、貴女が卸して下さった薬はヴェローロ支店だけでなく、このナッツィア支店でも販売されております。人気で毎回完売になるほどの売れ行きで……感謝してもし切れないほどの恩を我々はいただいていたのですが、それをこのように仇で返す事になってしまい、大変申し訳ございません。私の監督不行き届きです」
「……最初は驚きましたが、パメラさんに良くして頂きましたので、大丈夫です! ネーツィさん、顔を上げてください!」
「ありがとうございます」
やっと顔を上げたネーツィに、シーナはほっと胸を撫で下ろす。
「改めて商店のルール周知徹底と上層部の取り締まりを行います。そして宜しければこちらを――」
そう言ってネーツィから手渡されたのは、またしてもカードである。だが以前貰ったカードとは違い、厚みがあるため以前のカードのように簡単に壊す事などできないであろう。初めて見るそれに、シーナは顔を上げてネーツィを見る。
「これは何でしょうか?」
「このカードを見せれば、商品を三割引きで購入できます。大抵は裏に書かれた日付の期限までとなるのですが、シーナさんは期限がありませんので、常に三割引きで購入できるようにしております。あ、ちなみに数年の間は買取金額を一割増やす事に決定致しました。もしシーナさんが嫌でなければ、また我が商店へ薬を卸していただけると幸いです」
いわゆる特別待遇というやつだ。
シーナはカードを受け取る。これが相手の誠意だと言うのなら、拒否するのは違うと思ったからだ。
商店でお世話になる事はあるだろうが、頻繁に使うのは控えようと思う。グエッラ商店へ全て卸せば、わざわざ露店を開かなくても生活費は稼げるだろうが……シーナはなんだかんだ露店で自ら販売する事が好きだ。
これから自分でも売ろうとは思う。
「ありがとうございます。薬はまた卸しますね」
「よろしくお願いします。それと、きっとシーナさんでしたらこちらの事を気にされて、カードをあまり使って買い物をされないと思いますので、もう一つ。もし必要な薬草があれば、言ってただければ優先的に卸しますね」
「ありがとうございます!」
どちらかと言えば、そっちの方が嬉しい。お金は生活できる分だけあれば良い主義……と言うよりも、大体お金は薬に使用するか貯めるだけ。
欲しい時に薬草が手に入る方が良い。
「そちらはお願いするかも……いえ、きっとお願いすると思います!」
「やっぱりそうですよね。シーナさんならそちらの方が良いですよね……」
目を輝かせて予想していた通りの回答をするシーナに、ネーツィは一瞬引き攣った笑いを見せる。だがすぐにその表情を消して、優しく微笑んだ。
*その頃店番中のカルメリタ
「え? シーナさんの薬がすぐ無くなった? 薬は一日に使用できる量の限度があるって聞きませんでした?」
「は? 聞いてない……周囲の方は説明していたと仰ってますが。貴方が説明を聞いていなかっただけでは?」
「それで文句を言う貴方が私は信じられませんね……は? 一日三回朝昼晩に、一滴ずつ使用して下さい、の意味が理解できないと? 貴方はポルニカ症よりも頭をどうにかすべきですね」
無理ないちゃもんをつけるクレーマーを撃退していたとさ。




