7、薬師の弟子は、露店で薬を販売する
その後気まずい雰囲気のまま、ぽつぽつと歓談をしていたところ、カルメリタが戻ってくる。露店登録が出来たようだ。
シーナはカルメリタと日付、場所の相談をする。今のところ週一で出店しようと考えていることを伝えれば、カルメリタは「それならば」とギルド付近の場所を提示してくれた。
シーナは二日後に出店する事を決め、リベルトと共にギルドを後にした。
そして当日。
シーナは商業ギルド近くにある円形広場で露店を開く事となった。非常に大きく広い広場で、既に許可を得ているであろう露天商が店の準備をしている。
彼女は広場の北側にある区画で露天を開く許可を得ている。よく見ると石畳に白い四角が書かれており、その中心には番号が書かれていた。
Ⅻと書かれた場所を探すと、一箇所だけ白い四角に囲われた場所があった。後ろには噴水があり、広場の中心と言っても良い場所のようだ。
シーナは持っていた荷物をそこに置いて準備を始めた。
露店と言っても基本は絨毯のようなものを石畳の上にひき、そこへ商品を並べるという手法をとっている人が殆どだ。
実はその事を昨日ミゲラから聞いて知ったのだ。
シーナは薬にかまけて、露店がどのように開かれているか……の確認を怠っていたのである。夜、納戸からしか音が聞こえない事を不審に感じたミゲラがシーナを訪ねたのだが、その時点で昼食を抜いていた事が判明し、シーナはミゲラに怒られたのである。
そしてすぐに彼女はシーナを二階へ連行し、ソフロニオやミゲラとともに夕食を取ったのだ。
その時に「明日露店で薬を販売する予定だ」と話したところ、二人が露店がどのようなものかを詳細に教えてくれた上、ソフロニオが絨毯を貸してくれたのだ。なんでも、以前ソフロニオも露店で修理工房を出していた事があるらしい。その時に使っていたものだという。
有り難く絨毯を借り、日光に当たるから、自分用に水分や食料を持っていくように、と強く言われたシーナ。そこではたと気づく。
今回の商品の中で日光の影響を受けて品質が変わる、というものはあまりない。だが、念の為日除けをするべきかもしれないと思ったのだ。
商品が日光に弱いものだと、布で作成した天井をつけている店もあるとミゲラが言っていたが、今回は見渡す限りそのような店はないようだ。
むしろ一番日光の影響を受けるのは、シーナの作成する薬だろう。屋根もつけると費用がかさんでしまうので、今回は以前薬屋で使用していた蓋のある籠を利用する事にした。
基本は閉めておき、薬が売れる時に取り出してお客へ渡す、そういう仕組みにすれば問題ないはずだ。
今のところ両隣は露店販売する店がないのか、番号と四角は書かれていない。シーナは周囲がお客の呼び込みをする声を聴きながら、昨日作成した薬たちを籠の中へと入れていった。
数時間経ち、喧騒が最高潮に達する頃。
周囲の店を見ると、何人かお客が店の品を見ている。人通りは多いため、シーナのお客になりそうな人もいるような気がするのだが、チラリと一瞥するだけで、通り過ぎていく人ばかりだ。足を止めて商品を見ていく人もおらず、シーナはどうしたら良いのかと考えていた。
周囲のように呼び込みをしてみたが、喧騒に巻き込まれシーナの声はかき消されてしまう。
呼び込みのため店を離れることもできず、薬の売れなさに心痛む。
薬は普通に売れるものだと思っていた。今までがそうだったから。
だが、シーナはそこで気づいた。今までは師匠マシアが土台を作ってくれていたのだ。だから既に固定客がいたため、シーナが新たにお客を呼ぶ事を考えなくても良かったのだ。
自分は師匠の威光に便乗していただけだったのだ……改めて師匠の偉大さを感じ始めていたそんな時。
「シーナさん、こんにちは」
目の前が暗くなる。自分の目がおかしくなったか、と一瞬思ったが、どうやら物理的に太陽の光が遮られたようだ。少しづつ視線を上げると、そこにいたのはエリヒオさんと、彼の班員二人、そしてシーロさんだった。
周囲のお客の視線は彼ら四人に釘付けだ。それもそうだ。王城に仕えているような格好の人たちが、薬を売っている女の子……しかも売り子のシーナの元へ来るなんて驚くに決まっている。
まさか彼女が不法行為を起こして取り調べられるのだろうか……と言わんばかりの視線を持つ野次馬たちが彼女に注目していた。居心地の悪いまま、シーナは目の前にいた彼へと声をかける。
「こんにちは、エリヒオさん。今日は何かありましたか?」
「あれ、シーナさん? あの件忘れていませんか? いくつか薬を購入しにきたのですよ」
「あ……!」
彼らの登場には驚いてしまう。二日前に貰ったメモには薬の種類の下に、「よろしく頼む」とリベルトの名前が書かれていたので、リベルトが来るのではないかと勝手に思っていたのだ。
その勘違いに気づいたシーナは少し頬を染める。幸い相手の影で頬の色は隠れていたらしく、エリヒオはそのまま話し出した。
「手が空いている人に頼んでこちらへ来たのですが……購入は今でも大丈夫ですか?」
「問題ないですよ! えっと、薬は……腹痛の薬と発熱の薬と……傷薬ですね。後打撲が多いと聞いていましたので、湿布もお作りしたのですが……」
「なんと! そちらも購入してよろしいですか?」
「はい、勿論!」
元々リベルト隊へ納入する薬はまとめてある。シーナは別途に分けて置いてあった籠を後ろから引っ張り出し、エリヒオたちの前へと置く。彼の部下が籠内にある薬の数を二人で確認している間手持ち無沙汰だったらしいシーロは、彼女が何を売っているかに興味を持ったようで、籠の上に貼ってある薬の名前をひとつひとつ確認していた。
注文の数が一致したと部下から確認が取れたのか、エリヒオは満足そうにそれを魔法袋へ入れている。
「我が隊が購入する分を取り分けて置いて下さった事、お礼申し上げます。お陰様でゆっくり他の商品も見ることができますね――」
ニコニコと微笑んでいるエリヒオの言葉を遮ったのは、彼の後ろにいる部下だった。
「シーロ! これ!」
「イバンさん……これポルニカ症に効く薬っすっよ!」
二人が指をさしているのは、シーナから見て右手に置いてあったポルニカ症の症状を軽減する薬である。パメラに多く作ると良い、との助言を貰っていたので、その薬に関しては出ている分だけではなく彼女の後ろに置かれている籠の中にいくつか商品が残っていた。
イバンと呼ばれた彼は、胸に入れていたらしいハンカチで目を拭っている。よく見ると目が赤いようだ。
「本当だ! 鼻水とくしゃみを抑えるための薬。もう一つは目の痒みを抑えるための薬……!」
「俺、ポルニカ症らしいのか、この時期鼻水が酷いんすよ! イバンさんは目の痒み、っすよね?」
「そうなんだよ〜。本当に酷くて……あ」
イバンは何かを思いついたのか、エリヒオへと顔を向けた。
「班長! 薬の購入は終わりましたか?」
「ええ。これでお終いですが……」
「では、個人的にシーナさんの薬を購入する事は可能でしょうか」
「……成程。個人で購入する分には問題ないでしょう」
「ありがとうございます! 丁度目の痒みが治らない時期で――」
そう言いながら、イバンとシーロはそれぞれ必要な薬を数個ずつ籠の中から取っていく。そして二人だけではなくエリヒオもニヤリとした表情で、籠に入れてあった傷薬を手に取った。
「隊費ではこれ以上購入できませんが、個人で薬を購入する分には何も言われないでしょう。イバンもシーロも、丁度薬が無くなったのですよね?」
「「そうです(そうっす)!」」
「なら問題ありませんね。こちらも購入してよろしいでしょうか?」
「あ、はい」
そんなやり取りをしていたシーナは気が付かなかった。野次馬で事の成り行きを見ていた人たちがいた事を。
少女と呼んでも差しつえない年齢彼女の薬を、この国のお貴族様らしき人たちが購入している。その事実に周囲は息を呑む。まさかシーナが彼らと懇意にしているとは、気づくはずがない。
周囲は呆然と彼らのやり取りを見守っている。彼女はそんな彼らの姿に首を傾げつつも、会計を優先させた。
「ありがとうございました、シーナさん」
「こちらこそ、購入していただき、ありがとうございます」
全員の会計が終わったので、彼らはそのまま王宮へと帰るらしい。わざわざ薬の購入のために来てくれたとの事だった。シーナがエリヒオたちへと感謝を述べていると、ふと外野から声がかかった。
「あ、あの……」
「ん? どうしたんすか?」
恐る恐る声をかけた男性に対応したのはシーロだ。話し易さに背中を押されたのか、彼はしどろもどろになりながらも続けた。
「皆さんは、彼女のお知り合いで?」
「ええ、そうっすよ。とある任務でお世話になった薬師さんっす」
「……! もしかして、彼女がこの薬を全て作っているのですか?」
「勿論、作ってるっすよね? シーナさん」
「は、はい。こちらにあるのはここ二日の間で私が作成した薬ですが……?」
シーナが不思議そうに彼を見る。その瞳に嘘がないと気づいたらしい男は、気不味そうに下を向いた。
「彼女は腕の良い薬師ですよ。私も彼女の薬を使用しましたので、断言できます。それに、彼女の保証人は我が隊の隊長であるリベルト・ベルナルドですから、彼女もその事を理解して出店されていると思いますよ」
エリヒオが満面の笑みで周囲に聞こえるような声で話す。最初は彼の言葉を静かに聞いていた群衆だったが、彼がリベルトの名を出した瞬間、「なんだって」「ベルナルド伯爵令息……」「貴族の保証人だって!」などの様々な声が上がり、一気に騒々しくなった。
最初に声をかけてきた男性も、既に血の気が引いている。
シーナはその事に気づき、鞄からひとつの小瓶を取り出した。
「あの、こちらをどうぞ」
真っ青な表情をした男性に取り出した小瓶を手渡す。彼は何故これを渡されたのか疑問なのだろう、シーナと手の上にある小瓶を交互に見ている。リベルト隊は口を閉じ、シーナと男のやり取りを見守っているようだ。
「こちら、気を落ち着かせるために使用する香です。蓋を開けたら、手で仰ぎながら香りを嗅いでください。緊張が解れると思いますよ」
「あ、ありがとうございます……」
言われた通りに男は小瓶の香りを嗅ぐと、少しだけ頬に血の気が戻ってきたような気がする。シーナは胸を撫で下ろす。
「あの、ありがとうございます……少し落ち着きました。お金は幾らですか?」
「え、私が渡したものなので――」
「いや、払わせてください!」
「でしたら、銅貨五枚でお願いします」
男は銅貨五枚をシーナに渡し、神妙な顔でお辞儀をした後背を向けて去っていった。リベルト隊の面々は、そんな彼の背中を微笑んで見つめている。そして彼が人混みに紛れて見えなくなった後、満面の笑みを湛えて彼らは帰っていった。
その後、シーナの露店に人が押し寄せた事は言うまでもない。