5、薬師の弟子は、商業ギルドへ向かう
*本日途中からリベルト視点となります。
数日後の事。
朝食を食べた後、シーナは物置兼薬室へ向かうと、窓の前で光を取り込もうと葉を伸ばしているヴァイティスを見る。ラペッサより、薬草は魔力を込めた水で育てると良いと教えてもらったため、毎日の水遣りは水に魔力を込めてからあげている。
今日も普段と同様に水をあげようとジョウロを手にしたところ、ふと以前よりも成長しているように思う。赤い実も艶のある濃い赤へと変化しているようだ。……きっと魔力を込めた水で育てているからだろうと判断し、水遣りを終えた彼女の耳に聞こえたのは、入り口のノック音であった。
慌てて扉を開けると、そこに居たのはリベルトだった。
「リベルト様? おはようございます?」
人々が動き始めたからか、街は少しずつ喧騒に包まれていく。だが、そうは言ってもまだ店も開いていないであろう時間だ。何か緊急の要件でもあったのだろうか、と首を傾げた。
「朝早く済まない。アントネッラがこの工房に修理を依頼しに来ると聞いてな。同行させてもらった」
彼がそう言った直後に、下からアントネッラが「私は悪くない!」と声高に叫んでいるのが聞こえる。下からミゲラの笑い声が薄らと聞こえるので、きっとソフロニオと以前のような会話をしているのだろうな、と思う。
目の前にいるリベルトもシーナと同じ考えなのか、彼は頭に手を置いてため息をついた。
「今回持ってきたのは、我が隊に支給された備品なのだが……ソフロニオさんが怖いらしく皆この工房に来たがらなくてな……大体持ち込むのはアントネッラかシーロだ。多分ソフロニオさんもそれは分かっているのだろうが……アントネッラは揶揄い甲斐があると楽しんでるんだ」
本当にお爺ちゃんと孫のような関係だなぁ、なんて微笑ましく思っていると、目の前に何かを差し出される。
「遅くなり済まない。これが本題だ。保証人の件について了承を得たので、書面を持ってきた。ギルドに登録する際に提出すれば大丈夫だと思うが……ふむ。いつ頃登録には行くつもりだろうか」
「そうですね……余裕があるので、今から行ってしまおうかと思っています」
「なら私も付いて行こう」
「えっ?!」
思わぬ事態に慌てふためくシーナ。まさか殿下の側近候補に時間を取らせるわけにはいかない。そう考えたシーナは、しどろもどろになりながら、言葉を選ぶ。
「リベルト様、お仕事はよろしいのですか? 保証関連の書類は既にいただいておりますし……これから登録に行くだけなので、お手間をかけるほどの事でもありませんから」
「まあ、念の為、だ。偽物ではないかと疑われる可能性も否定はできない。私が側にいた方が保証書の正当性がより際立つだろう。それに殿下からは了承を頂いている」
「……分かりました」
そうしてリベルトを伴い、シーナは商業ギルドへと向かう。最初はアントネッラも共に来るのかと思っていたシーナだったが、彼女は先に訓練に合流することとなっていたらしい。
何を話したら良いだろうか、少々気不味い雰囲気のまま、二人は商業ギルドへ向かった。
*リベルト視点
「私、エリヒオ班長に訓練を依頼しておりますので、お先に失礼します!」
敬礼を携え、満面の笑みで言い放ったアントネッラ。なんとなく何かを企んでいるように見えたが気のせいだろうか。てっきり私と共に商業ギルドへと来ると思っていたのに、まさかシーナさんと二人で行く事になるとは思わなかった。
何を話そうかと思案していると、彼女が尋ねてきた。
「あの、お聞きしたいことがあるのですが……隊で購入している薬はどのようなものがあるのでしょうか?」
今のシーナさんは落ち着きがあり、以前のような勢いはない。やはり薬草を目にすると猪突猛進、そういうタイプの人なのだろう。あの時の彼女は非常に生き生きとしていて、楽しそうだった。冷静沈着な彼女も良いが、身体全体で楽しいを表現していた……あの時の彼女をもう一度見てみたいものだ。
そんな事が頭をよぎったため、私はその考えを追い出すために軽く頭を振った後、額に手を添えた。
私のそんな行動を、シーナさんは体調不良だと判断したらしい。
「リベルト様? もしかして体調不良だったりしますか? 最近気温が高くなってきましたから、少し休憩を取ったほうが……」
「ああ、いや。すまない。考え事をしていただけだ」
「……本当ですか?」
まさか本人に「君の事を考えていた」とは言えまい。だから誤魔化した。
「ああ。隊で購入している薬の管理はアルベロ班が担当していてな。彼らに任せている事もあり、在庫については詳細を把握していない……ああ、最近減りの早い傷薬は購入するだろうが、後は何が必要かを考えていたんだ」
「傷薬というのは、以前リベルト様にお渡ししたクリーム状の薬の事でしょうか?」
「そうだ。液体の傷薬も幾つか置いてはいるが……基本重い怪我だけに使うからか、滅多に消費される事はない。自画自賛にはなるが……我が隊は精鋭が多い。以前のような細かい傷はできても、大怪我になる事はあまりないな。それにそもそも、液体の傷薬を多用するのはあまり良くないと聞いていたのだが……」
「あ、はい。液体の傷薬は効果が高いですからね。多用していると、自然治癒力が落ちる……という報告もファルティア王国から発表されています。軽度の傷であれば、クリームで十分だと思います」
「なるほど」
彼女の澱みない説明に、薬師としての努力が窺える。ラペッサ様が気に入るのも納得だ。
最初は何を話せば良いか、と思案していた私だったが、いつの間にかその思いは消えていた。彼女が楽しそうに薬について話していたからだろうか。シーナさんは肩掛け鞄の中からメモ用紙らしきものを取り出し、そこに傷薬と書き付ける。
よくメモを取るのか、と聞いてみたのだが、彼女は恥ずかしそうに「一度このようなやり取りをした後に、他の事を考えていたせいで大惨事になりかけた事があったので……」と言っていた。
そんな頬を染めた彼女の姿に釘付けになっていたのだが、失敗談を話すのが恥ずかしかったのだろう。シーナさんは直ぐに話題を変えた。
「傷薬は幾つか作成する予定なので、そちらを取り分けておくようにしますね。……ちなみにリベルト様の隊は、どのような仕事を割り振られているのでしょうか? 仕事内容が分かれば、こちらでも必要そうな薬を見繕っておけるのですが……」
そう言って首を傾げたシーナさんに話していなかったな、と思い我が隊について詳細を伝える。
我が国の軍部は大まかにいうと4つに分かれている。王族の護衛である近衛師団、城を守る騎士団、魔術師団。そして街の警備を担当している警備隊だ。前者三つは有事の際に国王陛下、王太子殿下もしくは師団長による指揮の元、動く。一方街の警備隊は、街ごとにいる警備隊長の指揮で動いている。
だが、我が隊はその四つのどれにも属さない隊である。第二王子殿下であるロス殿下の指揮下におり、他とは独立した組織なのだ。
諜報、調査、討伐何でもこなす……言わば、何でも屋のような存在だ。まあ、何でも屋と言ってしまうと雑用のように感じてしまうだろうが、ひとつひとつの案件は非常に重く、重要事項である事が多い。そのため、詳細な仕事内容についてはあまり話せないのだが。
そう話をすれば、彼女は目を見開いていた。
「もしかして今回の薬草調査もでしょうか?」
「ああ、そうだ。該当部署が薬師室なのだが、如何にせん人手不足……。発足したばかりだという事、ある程度の薬を作成できるのが副薬師長だけである事を鑑みて、薬師を連れ出す事が不可能だとラペッサ様が判断されたのだ。だが、薬師室ができても、原料がなければ薬は作れないだろう? 現在多くの薬草はファルティアから輸入をしてはいるが、我が国に生えている薬草があれば、輸入するよりも国民にお金を落とした方が良いだろうしな。最終的にはファルティア以上の品質の薬草を育成するのが、今の所殿下の目標だと言っていた。その一環として、どのような薬草が生えているのか現地調査を我々が担当したのだが……」
まあ、見事にドツボにハマったわけだ。彼女の力がなければ、今の時点でもまだ調査を行なっていたに違いない。彼女の顔を見ると、共に山を登った日々を思い出す。本当に楽しかった、と思う。
「今この国に薬師室があるのは、殿下の尽力によるものだ。ファルティア王国から薬を輸入するにも時間が掛かってしまう。ならば早急に我が国の薬師室で対応できれば一番だからな。薬師室は殿下とラペッサ様の努力があったからこそ作られた部署だ。この部署を何としてでも成功させるために、この調査は何としてでもやり遂げようと思っていたのだが……やはり頭の中に薬草の姿形を叩き込むだけでは、遅々として進まなかったな……だから本当にシーナさんが協力してくれて助かった。ありがとう」
恥ずかしくて言えないが、こちらからすれば彼女は我が班の女神だった。まるで神が我々のために遣わせたのではないか、と思う。私自身、そこまで信仰深い者ではないが、今回の件に関しては彼女と引き合わせてくれた事を神に感謝したくらいだ。
そう告げて彼女を見つめる。最初は視線が交わっていたが、しばらくしてシーナさんは視線を逸らした。すると髪で隠れていた耳が見えたのだが、ほんのりと赤く染まっている。体調が悪いのか、と声をかける前にシーナさんが話し始めた。
「いえ、私も……ありがとうございます。皆さんと共に薬草を調査した時間は、かけがえのないものでした。皆さんは私の薬草の話を真剣に聞いてくれましたし、何よりシーロさんの話は興味深いものがありましたから!」
「それなら良かった」
常に薬の事を考えている彼女の姿勢に好感を感じている私は、また彼女と調査に向かう事ができれば、と思ってしまう。何だか不思議な気持ちだ。
「改めてエリヒオから確認を取って伝えさせてもらおう。薬を作成する時間も必要だろうから……遅くても明日の昼頃までには連絡をさせよう」
「ありがとうございます。お待ちしていますね。あ、商業ギルドに着きました!」
商業ギルドの扉は目の前だ。彼女と話していると、時間が過ぎるのが早く感じるのは気のせいだろうか。
シーナさんは保証人の書類を手に、ギルドの扉を開ける。
実は私が商業ギルドに着いてきたのには理由がある。「シーナさんが露店の申請をする場に立ち会えるのであれば、様子を窺ってきてくれ」と殿下から伝えられていたのだ。
調査によるとグエッラ商店に肩入れしている職員がいると言う。シーナさんに店を紹介したカルメリタという職員であれば問題ないだろうが……一番は杞憂であれば良いだのが。
もし肩入れする人物であれば、殿下やギルド長に伝えれば良いだけだ。