1、薬師の弟子は、住居を探す
申し込んだ翌日。
シーナは早々に家探しをする事となった。
アントネッラが取ってくれた宿はとても居心地が良かったため、最初はこの宿で二ヶ月過ごそうかと考えていたのだが……ふと気になって宿屋の女将さんに薬の作成について相談すると、「申し訳ないけれど匂いがねぇ」と渋られてしまったのだ。
まあ、それも仕方のない話だろう。薬の作成の際にはどうしても多少は匂い出てしまう。宿だけでなく、食堂も運営しているこの店にとって、匂いは大敵なのだろう。
勉強するには良いかもしれないが、流石に二ヶ月薬が作成できないのは困る。そう頭を悩ませていたところ、女将さんが「商業ギルドで相談するといい」と教えてくれたのである。
女将さんに教えてもらった受付へ行くと、下を向いていた女性が顔を上げた。
「こちらは住まい探し用の受付ですが、御用はこちらでしょうか?」
「はい、薬の調合ができる家を探していまして」
シーナが告げると、彼女はシーナの頭から足の下まで観察したが、すぐにシーナへと顔を向けた。
「承知しました。私、住まい探しを担当しているカルメリタ、と申します。失礼ですがお名前を教えていただけますか?」
「シーナです」
「シーナさん……あら、もしかして昨日アントネッラ様と共にいらっしゃって、王宮薬師試験に申し込まれた方でしょうか?」
「あ、はい。そうです」
何故知っているのだろう、と首を傾げるとカルメリタは謝罪する。
「ああ、申し訳ございません。失言でした。昨日アントネッラ様といるところをお見かけしたのと、偶然試験の申込用紙の名前が見えてしまいまして……勿論他の方にはお伝えしませんし、もし必要な場合は許可を取りますので」
「あ、はい。お願いします」
「それでは、ご要望について教えていただけますか?」
シーナはカルメリタに促され、要望を伝えた。
と言っても彼女の要望は薬を作れる環境にある事……できたら個室でお願いしたいという事だ。まあ正直な話、薬が作れればどこでもいいのである。カルメリタは少し悩んだ後、「少々お待ちください」と言って席を立ち、何枚か資料を手に戻ってくる。
「ご要望に該当する物件は三件ございます。一件目がこちらです。ここから歩いて三十分以上かかりますが、農地区画にある小屋です。ここは数ヶ月前まで人が住んでいたのですが、別の場所に新居を建てたらしく、商業ギルドへ売りに出されました。周囲は畑が多いので、ここでしたら匂いも問題ありません。もう一件も別の場所ではありますが、同じような理由で貸し出しをしております」
周りに何もないのはある意味良いかもしれない。だが、困るのは薬の販売や日用品の購入だろう。大量の荷物を手に抱えて王都へ向かうのは一苦労だ。欲を言うならもう少々近い場所が良いのだが……思い悩むシーナに声が掛かった。
「あと一件……これが一番シーナさんの要望に合致する案件ではあるのですが……少々大家さんの癖が強くてですね」
「大家さんですか?」
「はい。前者二件は空き家の貸し出しになりますが、最後の一件は大家さんとの同居となります。まあ、その大家さんが結構変わった方で……」
言葉を濁すカルメリタ。
うーん、確かに癖のある方なのかもしれない。ただ先の二ヶ所とは違い、同居ではあるがこのギルドから数分歩いた場所にあるこの家は、地図を見る限り立地がとても良い。シーナを受け入れてもらえるかは分からないが、当たって砕けてようと思う。
もし大家に受け入れてもらえなくても、他に借りられる場所が二ヶ所もある。それでも良いじゃないか。
シーナはにっこりと微笑んで言った。
「一度、大家さんとお会いしたいのですが」
その願いはすぐに叶えられ、三十分ほど商業ギルドで待った後、すぐに面会が叶う。
シーナはカルメリタに案内され、ある家の前に着いた。
ここは王都内でも職人街、と呼ばれる場所らしい。周囲は鍛治屋だったり道具屋であるため、少々の匂いであれば問題ないであろうという判断をカルメリタや大家は下したようだ。
ちなみに大家は、修理屋を営んでいる。
今も現役で、彼に直せないものはないと言われているほどの腕利なんだとか。貸し出されている部屋は元々娘が使用していた部屋で、現在は嫁入りしていることもあり、空室らしい。
大家には弟子もいるが、現在帝国で修行中の身。帰ってきたら彼にこの工房を譲りつつ隠居の予定だとか。
だからシーナのような短期で収入を得る事ができる賃貸は都合が良かったようだ。工房らしき場所を横切り奥の部屋に向かえば、既に部屋には老紳士と老婦人が座っていた。
老紳士は細身で短髪、髪と同じような白い髭を蓄えている。眼光が鋭く、眉間に皺も寄っており不機嫌だと言わんばかりの表情だ。一方でその隣に座っている老婦人は隣の老紳士の機嫌など意に介さないのか、ニコニコと笑みを浮かべてこちらを見ている。
ここまでシーナを案内してきたカルメリタでさえも緊張しているのか、肩が強張っていた。シーナが視線を老夫婦へと戻せば、目が合ったように思ったので黙礼をする。
一瞬老紳士は驚いたような表情をするも、すぐに元に戻った。
「こちら、シーナさんと申します。二ヶ月後に受ける王宮薬師試験のために薬を作成できる部屋を探しております」
「あら、まあ、あなた、王宮薬師試験ですって! すごいわねぇ〜」
のんびりと話す老婦人の話に返事をする事なく、老紳士はシーナに話しかけた。
「私はソフロニオ、妻のミゲラだ」
「私はシーナと申します。ソフロニオさんとミゲラさん、よろしくお願いします」
「……あらぁ」
今度はミゲラがポカン、と口を開く。そしてこちらを一瞥したカルメリタは目を見開いていた。
シーナが臆する事なく挨拶をしたからだ。大抵の人間はソフロニオの表情で怯えてしまうのだ。
ソフロニオも含め三人が仰天している間、シーナは王都でよく訪れていた客を思い出していた。風貌は違うが、彼に似たような客も数人いたからである。幼い頃客の顔つきで怖がっていた事もあったが、マシアに「客の顔で判断するんじゃないよ」と言われてから相手をよく見るようになった。そこから顔と性格は結びつかないんだな、とシーナも学んだのである。
それよりも、シーナには気掛かりな点があった。
「あの、お話の前にソフロニオさん、少々よろしいですか?」
「……ああ、何だ?」
ソフロニオは未だに目を見張っているし、仲介をするべきカルメリタはシーナを凝視している。一方でミゲラは面白いものを見ているかのように微笑んでいるが、鼻歌を歌いそうなほど機嫌が良さそうだ。
シーナは鞄から箱を取り出した。そう、以前リベルトたちに渡した塗り薬だ。彼らに渡したのは王都で作成したものだが、こちらはトッレシアで作成した時のもの。品質が落ちてはいないだろう。
「こちら、クリーム状の傷薬です。最近できたと思われる手傷があるようなので、良ければこちらをお使いください」
シーナの言葉に彼は思わず手を離す。すると左の親指に掌半分ほどの傷が見て取れる。先程までは右手で隠していたが、手にごく少量の血が付いていたためその事を悟ったのだ。
「あらまあ、よく気がついたわねぇ。うちの人、傷を隠していたのに」
「職業柄、気になってしまいまして……不躾に申し訳ありませんが……」
そう言って頭を下げる。シーナの顧客の中にも職人はおり、特に高齢の者は「傷は未熟者だからだ」と周囲に見せたがらない者も多い。多分ソフロニオもそうだろう。
そのまま静寂が部屋を支配する。
――もう少し後の方が良かったのかもしれない、とシーナは思った。
いつもの癖で傷があるからと取り出してしまったが、話を進めてからでもよかったのでは。恐る恐る顔を上げると、ミゲラと視線が交差した。彼女はシーナに笑みを見せると、隣のソフロニオへと声をかけた。
「あなた、シーナさんを受け入れましょうよ。ねぇ、良いでしょう?」
「……しかし……」
「あら、あなた。シーナさんのこの行動が部屋を貸して欲しいからだ、とでも思っているのかしら?」
「……いや、そんな事はないだろうが……」
「そうよ。完全に善意じゃないの。あの無垢な瞳をご覧なさい? 私たちの娘にだってあんな瞳はできないわ」
先刻とは違い……ソフロニオの圧は薄れ、反対に彼はミゲラの圧に押されていた。彼のそんな姿を初めて見るであろうカルメリタもそんな二人をしげしげと眺めている。
最終的に彼はミゲラの圧力に屈したらしく、項垂れる。それを見た彼女は満面の笑みでシーナに言った。
「ふふ、貴女なら大歓迎ですよ。カルメリタさん、手続きよろしくね」
「は、はいっ! シーナさんもそれでよろしいですか?」
「ありがとうございます。よろしくお願いします!」
ミゲラに名を呼ばれたカルメリタは我に返ったのか、すぐに契約書類を引っ張り出して机に置いた。シーナは書類とミゲラから口頭で注意事項を確認した後、ソフロニオの署名の横に、自分の名を記入したのだった。




