幕間 マグノリア
――やっと、あの平民薬師を追い出したわ!
私は侯爵令嬢として優雅に歩きながらも、胸中は高揚感で一杯だった。あの平民薬師の弟子が、数日前に出て行ったと話を聞いたから。
シーナの師匠であるマシアが国王陛下より王宮薬師の資格を与えられてから十数年。エリュアール侯爵家はずっと辛酸を嘗め続けていた。
私が生まれた頃に起きた病の流行……それが始まりだ。その時の病は国内では初めて観測された病だった事もあり、エリュアール侯爵家には特効薬のレシピがなかったのだ。
侯爵家総出で病の特効薬を研究していたところに、ぽっと出の流れの薬師……マシアがファルティア王国で習った薬を作成し、病気を完治させていたらしい。国王陛下が病に罹った際その評判を聞いた宰相によりマシアの薬が与えられ、一命を取り留めたとの事。
その事件により我がエリュアール侯爵家の地位は落ちた。
薬に関しては国一番と認められ、尊敬の視線を集めていた我々が、「肝心な時に役に立たない」「平民に功績を取られてしまった」とその時期から陰口を叩かれるようになり、肩身が狭くなっていた。
それを追撃するかのように、王宮へと納入する薬も年々減っていき、数年前からマシアたちの薬の納品量が、我が侯爵家の薬の納品量を超えたと言う話まで耳にした。
侯爵家にとってマシアは目の上のたんこぶであったのだ。
だが、そのマシアが一年ほど前から弟子のシーナに店を任せ旅に出ていると言う……今が狙いどきなのでは、と私は思った。だから王太子であるイーディオ殿下と接触し、仲睦まじくなった。
彼は思い込みが激しく、傲慢で権力をひけらかす……帝王学を受けているにもかかわらず、この体たらくかと最初は思ったが、非常に掌の上で転がしやすい人だった。
継承権を持つ者も他にはいるのだが……彼は現王の唯一の息子であることから、誕生した時から彼が王になる事が決まっていた。その事に胡座を掻いているのかもしれない。
いつも笑顔で相槌を打ち、楽しそうに話を聞けば彼は私を「好ましい」と言ってくれるようになった。
そのうち殿下へ平民の薬師の話を振ると、彼も「何故平民を重用するのか分からない」と憤慨していた事もあり、現在彼女らが納入している薬と私の薬の品質を比べ、品質が良い方を採用すれば良いのではないか、という話に私は持っていく事ができた。
そして彼女が納入した薬……と言っても、納入から数週間以上経つものと、私の作成した薬を比べ、私の薬は品質が高いと示したのだ。
薬を作成してから何日も放置すると、だんだん品質が落ちていく、それを利用したのだ。
後は宰相様が視察に行っている間に、殿下を唆して弟子のシーナを追い出し……今に至るのである。
思った以上に上手く事が進んだと思う。これで両親や兄も私を褒めてくれるはず! もし褒めてくれたら、シーナが出て行った薬屋を譲り受けよう。そして私の実力を知らしめ、両親に認めてもらいたい……そう思ったのだが、現実は無常だった。
「ふん、薬を作る事もできない能無しに用はない」
そう鼻で笑う父。隣にいる母も兄も下衆な笑みを浮かべている。
「そんな事ございません! 私も――」
「煩い! お前は薬を作るのも遅い! 品質は良くない無能だろうが!」
「……侯爵家の足手纏いのお前が、どんな手を使った事やら。これはもしかしたら身体を張っているのではありませんか? どう思います?母上」
「貴方の言う通りね。本当に穢らわしい」
まるでゴミを見るような二人の瞳に私は耐えられず、目に涙を溜めた。
「お兄様……お母様……」
「お前にお兄様、と呼ばれる筋合いはない」
その言葉に息を呑んだ。
……薬を作り始めた十年以上前から、私はこのような扱いだ。
初めて薬を作成した時も、二歳上の兄と比べられて、「兄よりも薬の作成時間が長く、品質も悪い」と言われて無能と言われ続けていた。
後から落ち着いて考えれば二年間何度も薬を作ってきた兄よりも時間がかかったり、品質が低くてもおかしい事ではないはずだ。だって私は初めて作ったのだから。
だが、その事に気づかない家族は私を無能だと罵った。
私は悲しかった。
薬を作成するまでは、仲睦まじい家族だったと思う。
そんな家族が私は忘れられなかった。だから自分がもっと薬を上手に作成できるようになれば、また元の家族に戻ってくれる……と思って必死になって頑張ってきたのだ。
常に蔑み虐げてくる家族たちに認められるよう努力し続け……私が十五歳になる頃には、家族よりも品質の良い薬を作る事に成功した。
正直なところ比べた訳ではないので、薬の作成速度は分からないが、そこまで変わらなかったと思う。
……けれども、私に対する風当たりは強く、「どこからか盗んできた薬だろう」「お前がこんな薬を作れるはずがない」と、作成した薬を地面に叩きつけられたのだ。
それからも頑張ったけれど、もう薬では振り向いてもらえないのではないか、と諦め半分だった私に転機が訪れた。
一年ほど前にマシアがシーナへと代替わりした事で、彼女たちを追い出せるのではないかと考えた家族が、私に協力を求めたからだ。
その時にシーナが宰相様と契約を結んでいる事、それを破棄するには変化の指輪が必要で、指輪は国王陛下の執務室に保管されている事を知る。
両親や兄が場を整えてくれ、私は殿下と会う事ができ、手応えを掴んだ。
そして今日、宰相が視察で王宮に居ない隙を狙って、私は彼女の契約を破棄したのだった。
侯爵家の悲願が私の手で達成されたはずだった。
喜んでくれる、と思っていた。
だが、それは全て私の幻想だったらしい。
「そんな……私、お父様に言われて彼女を追い出しました! これでまた元のように侯爵家が王宮で 幅を利かせる事ができるはずですわ! 私も――」
「黙れ!」
薬を作れるようになりました――そう言おうとした私の言葉を遮るかのように、机を叩いた父。
私は頑張ったはずなのに、褒めてもらえるはずなのに……そう期待を込めて父を見るが、私を見る瞳には憎悪の色しか映っていない。
「自分の手柄だと主張したいのか? お前にはそれしか能がないのだから、殿下に身体を差し出すのは当たり前だ」
憎々しげにこちらを見る三人に、私は衝撃を受けた。
これが成功すればまた家族として認められる……と思って私は殿下を誘惑してきたのだ。それを暗にやれ、と言ったのは両親や兄である。
悲願を達成したのは……頑張ったのは私なのに。何故私はそんな目で見られなければならないのだろう。
頭の中で何かがパリン、と割れたような気がした。
「ふん、お前はもう用無しだ。お前が破棄したのは宰相とあの平民との契約だ。流石に何かお咎めがあるに違いない。お前は全ての罪を背負ってこの家から出ていくといい!」
「父上、それはいい考えだ。僕らの王宮薬師の地位は復活し、お前は我が侯爵家の役に立つ事ができる、双方共に益があるね!」
満面の笑みで話す兄を、私は信じられないような目で見つめるが、彼がこちらへと向ける視線は冷たい。
結局のところ彼らは私を切り捨て、利益だけを享受するつもりらしい。
私は愛という餌をぶら下げられ、良いように使われただけだったのだ。彼らの掌の上で想像通りに動く私は、彼らにとって良い駒でしかなかった。
ただ兄と比べられて劣っていただけで……私の想いはここで全て砕け散る。
もうこの場所に居たくない、そう思った。
「……分かりました。私は家を出て行きますわ……」
「我々の前に出なければ、数日くらいは家にいても構わん。最終的に出て行ってくれるのであればな」
「父上はお優しいですね」
「曲がりなりにも我が侯爵家に尽くしてくれたのだ。慈悲を与えなければな。その間に準備をして出て行け」
目から涙がこぼれそうになるも、令嬢としての矜持がそれを許さない。私は頭を下げた後、彼らの顔を見る事もなく退出する。
私も先程殿下の事を馬鹿にしていたが、一番の馬鹿は私だった。
後ろから「色気しか使えない娘が」「これで我が家の地位は安泰だ」……私を貶める言葉も聞こえたが、心は凪いでいた。
「侯爵家から追い出される事になりましたの」
そう目の前の男に告げると、彼は口をあんぐりと開けて固まった。
いつも全く表情が変わらない彼の変化に、私は小さく声を上げて笑ってしまう。
ここは屋敷内にある薬師室。そして彼は薬師コンスタン。ある子爵家の次男で、屋敷に滅多に訪れることのない薬師長や副薬師長に代わり、この侯爵家の薬師を実質纏めている立場にある。
ここは侯爵家の屋敷内にもかかわらず、兄や両親ですらも顔を出さない。そのため、私は幼い時からこの場所で薬学の勉強をした。
正直この場所でも最初は針の筵だった。私は薬が作れない、その噂はこの薬師室にまで届いていたからだ。だが、そんな私に「練習すれば、きっと薬を作れるようになりますよ」と声をかけてくれたのがコンスタンだった。
視線を感じながらも私はこの場所を借りて薬を作り続けた。時には薬学の本を借りて読み漁った。そのうち薬師からの視線には棘がなくなっていったとは思う。正直その時は家族の愛を取り戻すために必死だったから、周囲に目を配る事ができなかったのだ。
今思えば素っ気ないながらも私という存在を受け入れてくれていたのだと思う。
仕方ない。虐げられている令嬢に声をかけたら、どうなるか分かったものではないからね。
それでもコンスタンはたまに話しかけてくれた。
それに釣られてか他の薬師たちも私が困っていたり、悩んでいる時には話しかけたりしてくれるようになったし、両親の機嫌が悪く食事を抜かれていた時も、食事を分けてくれた事もある。
だからこの人たちには、感謝を伝えたいと思ったのだ。
「私、宰相とシーナさんの契約書を殿下に破かせましたの。その罪を背負って生きていかなくてはならない、お前は出て行けと言われましたので、出て行きますわ。皆様今まで私を助けてくださり……ありがとうございました」
感謝の意を込めて頭を下げる。しばらくして顔を上げると、全員が口を開いた状態で私を見ているではないか。それが面白くてまた小さく笑ってしまう。
私が笑った事で我に返ったのか、コンスタンが慌てて私に話しかけた。
「お嬢様が何か思い詰めているとは思いましたが……そんな事をされてしまったのですか?!」
「ええ。これが侯爵家のためになると思い、今までやってきましたが……どうやら私は彼らの掌の上で踊らされていたようですわ。あの人たちから見たら私はただの駒。使えなくなったら捨てるだけ」
「そんな……」
愛など幻想、まやかしだったのだ。
さぞかし私を操るのは簡単だったでしょうね。
思った以上に冷静に答える私は、壊れてしまったのかもしれない。そんな私を気遣ってくれるコンスタンの優しさが身に沁みた。
「お嬢様はこれからどうなさるおつもりで?」
「……そうね……出て行けと言われたのだから、一人で旅にでも出ようかしら?」
多分両親たちもそれをお望みだろう。
「そうですか……ですがお嬢様一人での一人旅はお勧めしません」
「まあ、そうよね。私がフラフラと出歩いていたら、きっと盗賊やら人攫いやらが群がるでしょうね」
「ですので、一週間ほど待っていただけませんか? お供のできるであろう男が、帰ってくると思いますから、そいつをお嬢様につけましょう。もしその前に屋敷から追い出されているのであれば、この薬師室の仮眠室をお貸しします。侯爵様たちはこの別邸には滅多に訪れませんから、匿う事くらい問題ないでしょう。食事も薬師室用に出ている物でよければ、召し上がってください」
「その男性は私と旅に出ても大丈夫なのかしら?」
「それは私が説得しますのでご安心を。何も出来なかった分、ここで恩返しをさせていただきたい」
そう言われて私は首を振る。
そんな事はない。むしろ助けられたのは私である。
「ありがとう。侯爵様からも数日程度なら屋敷に滞在していいと言われているの。できる限り滞在してその方を待つわ。もしその人が拒否をしたら……私は一人で旅に出るから、無理強いはしないでね」
「承知しました」
「本当に皆さん、ありがとうございました。コンスタン、最初に私へ『練習すれば、きっと薬を作れるようになりますよ』と励ましてくれてありがとう。今思えばこれが私の原動力だったわ……」
「お嬢様……」
周囲の視線が温かいものになる。きっとここがあるから、私は前を向けているのだと思う。家族に捨てられるんじゃない、私が家族に見切りをつけたんだ。
そう思うと心が軽くなった。そして最後くらいお世話になった薬師室の皆に報いたい気持ちが生まれる。
私は微笑んでコンスタンと後ろで話を聞いてくれている薬師たちに言った。
「さて、まだ出立するのに数日あるから……私暇なの。部屋の整理もすぐに終わると思うから、薬作りの手伝いに来ても良いかしら?」
「ええ、お待ちしていますね。荷物の整理が終わったら、こちらで預かりましょうか?」
「それはいい考え。お願いできるかしら。……そういえば、お祖母様から頂いた魔法袋があるのだけれど、それは確保しておいた方が良いわよね?」
「それは良いと思います。後は換金できるようにお嬢様が作成した薬はいくつか持って行って下さい。用意しておきますから」
「本当に助かるわ。また来るわね」
感謝の意を込めて手を上げた後、私は彼らに背を向けて部屋へと向かう。
持ち出したいものはあまりない。
強いて言えば、薬学の本やここへ来る時に使っていたローブくらいだろうか。
服や靴、ドレスは魔法袋を使うとは言え持ち出しも換金する事だって大変だ。宝石もあるが……形見のようなものはないので置いていこうと思う。
私に残っているのは今まで勉強してきた薬学だけ。
でもそれで良いと思う。
なんだかんだ薬は嫌いになれない。だって、それを否定するという事は、真摯に取り組んできた姿勢までもを否定するという事。
愛を求める手段として学んだ薬学が、これからは生きる手段となる。
それでも良いじゃない。私と薬学は切ってもきれない関係なのだから。
決意を新たにした私の耳に、後ろから他の薬師の声が聞こえる。
「コンスタンさん、お嬢様が使っていらっしゃった道具をお渡しできないでしょうか?」
「そうだなぁ……壊れた事にして新しい物を請求してやれば良い。バレないだろうよ」
「テランスの道具はどうしますか?」
「あいつは自前の道具を使っていたはずだ」
「なら、問題ないですかね?」
「もし壊れそうな道具があれば、変えてやるくらいで良いんじゃないか?」
コンスタン以外の薬師たちも色々と動いてくれているようだ。
私の知らないところで、気にかけてくれる人がいた……その想いが私を更に勇気付けてくれたのだった。




